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2017-04-20
台湾に初めて行ったのは昭和63年、当社では
その頃からタイルや建具などの建築資材の輸入を始め、
これまで資材購入ツアーに何度か参加しました。
最後に行ったのは平成10年の秋、これは法人会青年部の
ツアーで、その時はたまたま台北に駐在していた私の
高校の同級生と会うことができました。
それ以来19年ぶりに川崎北ロータリークラブの松波会長
から誘われて訪台しました。松波さんは仕事で毎月のように
台湾を訪れていて、今回ツアーを組んだとのことです。
12日の夜成田を発つと、3時間半で台北着です。
翌朝、戦争で亡くなった英霊を祀る忠烈祠での衛兵交代を
見物しましたが、以前はこんなに人がいませんでした。
次は故宮博物館。ツアーガイドはとても説明がうまく
また2月末から写真撮影がOKになったことは幸運でした。
中でも1本の象牙から親子3代にわたって彫られたという
すべて別々の24層の球体はいつ見ても唸ってしまいます。
午後は郊外の九份へ。ここは「千と千尋の神隠し」の舞台
ともいわれるレトロな町で、坂道の両側に日本ではまず
見られない様々なお店が連なり、飽きることがありません。
3日目は101タワーに上った後、中正記念堂で再び衛兵交代を
見ましたが、これはとてもいい観光資源だと感じました。
台北で最も古い龍山寺は神仏混交で台湾の寺院では普通だそうです。
どこへ行っても観光客が多く、今回街の活気を特に感じました。
中正記念堂
龍 山 寺
最後の夜は以前から交流がある台北のロータリアンと会食。
10人の仲間と共にとても暖かく迎えてくれました。
そのうち4名は来月私のクラブの30周年式典に参加予定です。
外国を旅して現地の人と交流ができると、その国自体の印象も
違ってきます。そんな旅をこれからも続けられれば幸いです。
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ページ作成日 2017-04-20
2017-04-12
赤坂見附から弁慶橋越しに見える満開の桜を
眺めながら、月曜の朝小泉進次郎さんのモーニングセミナー
が行われるホテルニューオータニに向かいました。
講師は慶大の井手英策教授。テーマは「弱者救済を超えて
~『不安の分かち合いで』日本社会の潜在力を引き出せ」。
冒頭「私は小泉さんの敵、民進党のブレーンですが、今日は
敵に塩を送るつもりで来た訳ではありません」と切り出しました。
バブル崩壊後、この20年で世帯収入は2割近くダウンして
300万以下の世帯が全体の3分の1になり、格差は確実に
広がっているにも関わらずそれを認めようとしない日本人。
アンケートによると約9割が自分は中流と思っていて
平均所得以下を占める6割の人たちが本来リベラル支持である
はずが、反・リベラル派(保守)となっている割合が多い。
井手教授は医療、介護、子育てなど暮らしの保障のため
全員にサービスを給付するかわりに、全員で税を負担する、
具体的には消費税を7%上げることを提案し、「財政とは
究極の支え合い」で不安を分かち合うことが必要と説きました。
最後に登場した小泉さんは「民進党の弱みが分かった。議員より
ブレーンの方が演説が上手い」と笑わせた後、「もし皆さんが
お酒を飲む場合、気の合う人と、違う意見の人と飲むのと
どちらを選びますか?」と問いかけました。
「今の日本に必要なのはイノベーションで、これは違う意見に
触れることからしか実現できない」と彼の信念を披露。
井手教授は民進党の「尊厳ある生活保障総合調査会」の
アドバイザーで、3月の党の定期大会ではネットで検索すると
聴く人の心を動かすような名スピーチをしたようです。
最近「子供保険」を提言した小泉さんは、街頭インタビューで
「私は反対。子供を持つか分からないのに負担したくない」
と若い女性が答えたことに対し「これからの日本を支える
子供たちへの給付は全員で負担すべきものだ」と述べました。
このように主張に共通点はあるものの、野党のブレーンを
自分のセミナーに招くのはなかなかできることではなく
小泉さんについて感心することが一つ増えました。
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ページ作成日 2017-04-12
2017-03-26
先週、川崎いのちの電話の創立30周年を
お祝いする催しがありました。当社では2012年に
新しい事務所の施工を担当させていただきました。
日本で初めていのちの電話が東京で発足したのは
1971年でした。川崎に出来たのは1986年で
その頃の川崎は中高年層の自殺率が日本一という
ワースト都市だったそうです。
当時の伊藤川崎市長の要望もあり、初代理事長の
近藤俊朗さんの尽力で、全国で27番目の電話センターが
誕生しました。川崎では現在約200人の相談員が24時間
365日、一日約40件の電話に対応しています。
全国の自殺者は2011年まで3万人を超えていましたが
このような活動などの成果もあり昨年は21,764人までに
減少しています。
この日はまず福田川崎市長から、標榜している「最幸のまち
川崎」の実現のパートナーとしての期待と、この時間も電話を
取っている相談員への感謝の言葉がありました。
続いて成田真由美さんによる「自分の可能性を求めて」と
題する記念講演がありました。川崎市生まれの彼女は
中学1年のとき脊髄炎のため両足が不自由になりました。
水泳は不得意だったのですが障害者の水泳大会に欠員が出て
誘われたことがきっかけで始めたそうです。その後5回出場した
パラリンピックで獲得したメダルは20個と大活躍。
話の中で、以前車いすOKと書いてあるタクシーに乗ろう
としたら乗車拒否されたエピソードがありました。
当時に比べれば障害者に対する世間の理解は確実に
進んできていると思う一方、昨年起った相模原の障害者施設
での悲惨な事件の顛末を考えると、全く差別のない日本
になった、と言い切れないのがとても残念です。
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ページ作成日 2017-03-26
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