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2017-03-26
先週、川崎いのちの電話の創立30周年を
お祝いする催しがありました。当社では2012年に
新しい事務所の施工を担当させていただきました。
日本で初めていのちの電話が東京で発足したのは
1971年でした。川崎に出来たのは1986年で
その頃の川崎は中高年層の自殺率が日本一という
ワースト都市だったそうです。
当時の伊藤川崎市長の要望もあり、初代理事長の
近藤俊朗さんの尽力で、全国で27番目の電話センターが
誕生しました。川崎では現在約200人の相談員が24時間
365日、一日約40件の電話に対応しています。
全国の自殺者は2011年まで3万人を超えていましたが
このような活動などの成果もあり昨年は21,764人までに
減少しています。
この日はまず福田川崎市長から、標榜している「最幸のまち
川崎」の実現のパートナーとしての期待と、この時間も電話を
取っている相談員への感謝の言葉がありました。
続いて成田真由美さんによる「自分の可能性を求めて」と
題する記念講演がありました。川崎市生まれの彼女は
中学1年のとき脊髄炎のため両足が不自由になりました。
水泳は不得意だったのですが障害者の水泳大会に欠員が出て
誘われたことがきっかけで始めたそうです。その後5回出場した
パラリンピックで獲得したメダルは20個と大活躍。
話の中で、以前車いすOKと書いてあるタクシーに乗ろう
としたら乗車拒否されたエピソードがありました。
当時に比べれば障害者に対する世間の理解は確実に
進んできていると思う一方、昨年起った相模原の障害者施設
での悲惨な事件の顛末を考えると、全く差別のない日本
になった、と言い切れないのがとても残念です。
テーマ名
ページ作成日 2017-03-26
2017-02-27
先週末、施工中の賃貸マンションの引渡しを行いました。
名称は「ディアコート」、ファミリータイプが19所帯です。
もともと駐車場だった約240坪の敷地にオーナーは
相続対策で賃貸建物を建設しようと決め、ハウスメーカー等
色々な企画が持ち込まれ、都内物件もいくつか見学した結果
出した結論が「特徴のある賃貸」でした。
建設前の敷地
提案した計画案
そこで当社も標準的な賃貸タイプ以外に、建築家の
平野さんに企画を依頼し、3つの異なる賃貸建物を提案し
その1つが気に入られて決定したのが「ディアコート」です。
この計画の特徴は、まずエントランスにロビー空間を
設けたことです。私はここをアート・ギャラリーのような
スペースにしたいと思い、いくつか壁に絵をかけました。
エントランス・ロビー
また入り口正面はコンソールのようなものを絵の下に
置きたいと思い、当社でまだ保管している創業者が集めた
ケヤキの1枚板を中原工房で加工して設置しました。
平野さんが選んだ中央のソファは成田空港の第3ターミナル
にも設置されている無印良品のもので、入居者が外出から帰って
部屋に戻る前に、ちょっと休む空間にぴったりです。
また敷地の奥行きが60mもあり、普通の設計では廊下が
とても長くなるので3つの階段を設け、それを1フロア2所帯、
3階分で6所帯が利用する形になっています。
間取りは1LDKが中心で、特徴はその中にインナーテラス
のタイプがあること。特に1階のものは廊下からも直接入る
ことができて、フリースペースとして活用できます。
逆に3階のものは、屋外テラスになっているので
気候が良くなればアウトドアライフも楽しめる場所です。
インナーテラス
屋外テラス
私たちは今後もこのように、地域の賃貸の中でいつまでも
抜きん出た特徴のある住まいを提供し続けていきます。
テーマ名
ページ作成日 2017-02-27
2017-02-16
先週末から我が家ではアメリカからのお客様を
お迎えしました。バネール・イングラムさんで
3週間の滞在の最後の3泊を当家で過ごしました。
彼女はこれが3回目の来日で、最初は学生時代に短期留学、
2度目はロータリーのGSE(社会人対象の交換研修プログラム)
メンバーの一人として、2010年秋に1か月半滞在しました。
2010年10月,6人のGSEチームが来日
私たちGSE委員会はその間の訪問先、ホームステイ先を
アレンジし、それがきっかけで2012年には私が彼女の住む
サウスカロライナ州グリーンビルを訪ねることになりました。
2012年6月、バネールの自宅前で
そして偶然にも川崎市長の福田さんが、その町のファーマン
大学を卒業したことが分かり、さらに私たちは知らずに
そのキャンパスも訪れていたのです。(公園のような場所で
福田さんに指摘されるまで大学とは思いませんでした)
ファーマン大学のキャンパス
ということで今回の来日時にどうしても福田市長をバネールに
会わせたいと思い、当社でやっと20分の面会が実現しました。
まず市長が「クレムソン大学の岸本先生を知らないか?」
と聞くと、その大学の卒業生の彼女は何と岸本先生に日本語を
習っていたのです!福田さんは土曜日に日本人学校の生徒の
為のボランティアとして活動し、先生と知り合ったそうです。
短い時間はあっという間に過ぎ、バネールは福田さんに
ファーマン大学のバッチをプレゼントして、彼女は
クレムソン大学の旗を出して記念撮影をしました。
そのあとショッピングに原宿のオリエンタルバザーへ。
ここには日本の伝統的な品物がたくさん置いてあります。
休日の原宿はいつもにも増して混雑していましたが、
落ち着いた和食のお店を見つけて夕食を取りました。
オリエンタルバザー
彼女は現地の日本人に英語や習慣を教えていることもあり
日本に対する理解が深く、またとても心遣いの細やかな性格で
私たちは短くも素晴らしい時間を過ごすことができました。
最後の夜も日本情緒たっぷりの場所で
テーマ名
ページ作成日 2017-02-16