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2024-12-28
多摩区が発行している冊子に「小沢城址・多摩自然
遊歩道を歩く」という見開きの案内ページを見つけました。
私がこの記事に反応した理由は、もともとJR稲田堤駅
近くの山林約1万坪をかつて当社が所有していたのです!
かつて所有していた山林の一部
案内に従い三沢川の脇から山道に入ると思ったより急斜面で
落ち葉に滑りながら登ると視界が開け「小沢城址」の看板が。
ここに鎌倉時代に築造された小沢城がありました。源頼朝の
重臣の子、小沢小太郎の居城で、戦国時代にかけて幾たびか
合戦の舞台になったそうで、今も物見台などが残っています。
三沢川脇の登り口
私が会社に入った40数年前、この社有地をいかに開発するかに
当社の命運がかかっていました。ただこの広大な土地は道路に
接していなかったことが大きな問題で、一社では難しいので、
フジタ工業が隣接の土地所有者を取りまとめて、共同開発計画
を提案していました。
ただ近隣住民は開発に反対で、緑地保存の請願を川崎市に
出していて、それが認められこの地区はついに保存緑地に!
さて幸運なことに指定された緑地は川崎市が昭和60年から
3年に渡って買い上げてくれたのです!当社はその資金で
所有していた木造賃貸建物を、次々にRC造に建て替えて
賃料収入を増やし、強い経営基盤が出来上がりました。
今はシェアハウスとして賃貸
三沢川側から見た建物
この山林の麓に昭和61年に、ある会社の独身寮を建てて貸し
数年前にシェアハウスに改修したので時々は訪れたのですが
売却した山林は一度も足を踏み入れたことが無かったのです。
高台から見える京王線(下は新宿の高層ビル群)
新宿を望める所で道中初めて人に会い、少し言葉を交わし
こんな道幅の狭い遊歩道を訪れる市民はどれくらいいるのかと
思いましたが、それだけ豊かな自然が保護されていることで
40年を経て川崎市は正しく税金を使ったことを確認しました。
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ページ作成日 2024-12-28
2024-06-25
昨年3月にブログで取り上げた「自由が丘」、大井町線
沿いに商業施設があるというので行ってみました。
「トレンチ自由が丘」というショッピングモールで
大井町線の電車庫が廃止された跡地に2006年に開業。
かつてここあった自由が丘検庫区が1966年に廃止され
その後大井町線の車庫になっていたので、そこにあった
廃レールや枕木がこの敷地内に使われているそうです。
名前の由来は「トレイン+おうち」で、緑豊かな
屋外空間に加えて、居心地の良さそうなラウンジには
カフェやレンタルスタジオがありシェアオフィスに使う人も。
駅のガード下には自由が丘の歴史を示すパネルがあり、
1927年に東横線が開通したときの駅名は「九品仏」で
2年後に大井町線の新駅ができた際、この駅名を譲って
ここに住み自由を重んじる人々が付けたのが「自由ヶ丘」。
戦後は線路沿いに闇市が立ち並び、鉄筋コンクリート造の
自由が丘デパートができて映画館6軒も加わり賑わいを見せ
1980年代には「anan」などの女性誌にファッション・雑貨
の街として頻繁に取り上げられ、全国的にも知られるように。
現在の自由が丘デパート
さて昨年から着手した再開発は、駅前広場の右側エリアの
解体がほぼ終わった状態で、2026年7月完成を目指して
約4,000㎡の敷地に地上15階の、商業施設と集合住宅の
複合施設が完成する予定です。
そのきっかけは意外!二子玉川や武蔵小杉の発展を見て
地元の有力者が、建物の老朽化も含めた街の危機感を感じて
徐々に地域の人達がそれに共鳴し、自分たちで再開発を決心
したそうで、デベロッパーや自治体主導ではなかったのは、
いかにも「自由が丘」らしいと感心しました。
完成予想図
テーマ名
ページ作成日 2024-06-25
2023-10-16
先日、二子新地の周辺を散策する会に参加しました。
主催は「大山街道ふるさと館」という川崎市の施設で、
当社が工事を施工して平成4年に開館。大山街道に関わる
歴史などの展示とともに、学習の場も提供しています。
大 山 街 道
ふ る さ と 館
大山街道は江戸の赤坂御門から雨乞いで有名な大山までの道。
江戸時代中期 に「大山詣り」がブームになって有名になり
後期には駿河のお茶、秦野のたばこなどを江戸に運ぶ輸送路
として多くの物や人が行き来して栄えた歴史ある街道です。
当日私たちは小雨の降る中二子新地駅に集まり、多摩川の
「二子の渡し」のあった場所へ。大年14年に二子橋が架かる
まで、ここから渡し船で対岸の瀬田と行き来していました。
土手を降りると岡本かの子の文学碑があり、ここにある彫刻は
かの子の息子・岡本太郎の作、台座は何と丹下健三の設計!
かの子の実家「大貫家」は江戸時代には幕府の御用を務めた
高津の大地主。今はない大貫病院の跡地にも立ち寄りましたが
この病院は、かの子の弟の大貫喜久三が大正10年に開設した
ことが、今回調べて初めて知りました。
かつての大貫病院
現在の跡地(マンションと公園)
最後に訪れたのは料亭「やよい」。途中の古い街灯柱には
「二子三業組合」の文字。三業地とは芸妓置屋・待合・
料亭の三業種の営業が許可された区域とのことです。
酒造業のかたわら東京・吉原で待合を営んでいた大貫吉之承は
橋の開通後に二子にも歓楽街をとまず自分の水田に待合「大和」
を開店。その後吉原や向島の料亭などにも声をかけ、最盛期には
100人の芸者が行き交う花街が出来たのですが、今残っている
のはこの「やよい」だけで、営業は既に終了しています。
戦後建てられたこの料亭は、改修の跡もなく当時の雰囲気を
そのまま保っていました。何とか将来ともこの建物を残して
二子新地の歴史を後世に伝えていく方法はないでしょうか?
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ページ作成日 2023-10-16
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