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2019-05-26
12日は昼前にニューヨークを発ちナッシュビルへ。
5年前に当地に移った元横浜のロータリアンの野坂さんと
2つのクラブ例会に参加することがツアーの主目的です。
ホテルチェックイン後、ダウンタウンへ。さすがカントリー
音楽の都、メインストリートは各種のライブハウスが連なり、
色々な音楽が路上にまで鳴り響いているのにはビックリ!
ナッシュビルはテネシー州の州都、翌日1859年にできた重厚な
州議事堂を見学。上院・下院議場、図書館などほとんどの部屋を
案内され、この開放性に日本との差を感じてしまいます。
お昼はナッシュビルロータリークラブ例会に参加。ここの
会員数は600人近く、世界で第3位の規模もさることながら
会員の半数が女性というのに驚きました!
例会終了後、事務局の若い女性が亡くなったおじいさんが
所有していたという日章旗を私たちに見せました。フィリピンでの
戦闘中に取得したもので、所有者の遺族を探す協力をすることに。
午後はまずライマン公会堂に。1892年に初めは礼拝・集会場を
目的にできたホールがカントリーの発信地に変ったとのこと。
カントリー音楽殿堂博物館にはスターの舞台衣裳や楽器等の
コレクション、極め付きはプレスリーが寄付したキャデラック!
ライマン公会堂
カントリー音楽殿堂博物館
最後に行ったのは小さな録音スタジオ、RCAスタジオB。
開設した60年前には他になかったので、プレスリーは200曲
以上をここで録音し、ピアノなどが当時のまま残されていました。
次の日は野坂さんの“大栄アメリカ”を訪問。この樹脂部門で
日産などに車のプラスチック製品パーツを供給しています。
従業員80名の約7割はラオス人でアメリカ人より手先が器用で
労働集約型のこの仕事では助かる、と言っていました。
その後野坂さんのマーフリーズボロ・ロータリークラブの
例会に参加。会場はゴルフ場のクラブハウスで、会長・
幹事は女性で、進行も日本ほど形式的ではありません。
船木委員長からプレゼント
午後は南北戦争の激戦地、ストーンリバー古戦場跡へ。
1862年末の戦闘で双方多数の死者を出し、今この地にある
国立墓地には6000人以上の兵士が眠っています。
テーマ名
ページ作成日 2019-05-26
2019-05-25
横浜・川崎地区のロータリー国際奉仕委員会では
昨年から他国のクラブ例会に参加することを中心とする
「メークアップツアー」を始め、今回はアメリカです。
13名の参加者はまずニューヨークに10日午前中に到着
JFK空港からブルックリンに向かい、イーストリバーにかかる
ウイリアムズバーグブリッジが目前に広がる素晴らしい
ロケーションのレストランで昼食を取りました。
食事後、ブルックリン・ブリッジとマンハッタン・ブリッジに
挟まれた「ダンボ」と呼ばれるエリアを散策しました。
かつて治安も悪かったブルックリンは近年おしゃれなショップ
カフェやアーティスト等も進出して注目のエリアです。
そのあとマンハッタンのウォール街を見学してホテルへ。
この日夕刻、ブローウエイミュージカル「シカゴ」を鑑賞。
英語が分からないせいもあり私は舞台そのものより年代を
感じさせる劇場の雰囲気に魅力を感じました。
二日目はまずハイラインに。ここは廃線になった鉄道の
高架部分を公園化したもの。途中に東京オリンピックで
有名?になったザハ・ハディド設計の建物に出会う幸運も。
ザハ設計によるオフィスビル
その後バッテリーパークから自由の女神を遠く望み
グラウンドゼロへ。今回メモリアルミュージアムに初めて入り
生々しい遺品の数々を見てこの大惨劇を実感しました。
また3年前に完成したワールドトレードセンター駅の
コンコース「オキュラス」は鎮魂の大空間と感じました。
この日の昼食は参加者の一人がお店と懇意で予約を取り有名な
NOBUで。アメリカで極上の和食が食べられるとは・・・
自由行動の午後、初めてMOMA(ニューヨーク近代美術館)へ。
時間がなくピカソ、ゴッホなど近代の巨匠の絵画のみ鑑賞。
夕刻は初めてnお大リーグ観戦のため、地下鉄で小一時間、
クイーンズ地区のニューヨークメッツの本拠地へ。
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ページ作成日 2019-05-25
2019-04-20
我がロータリークラブの第2回まち歩き同好会は
日暮里駅に集合して上野駅まで散策するコース。
まず「谷中銀座」を目指してしばらく歩くと、
商店街を見下ろせるゆるやかな階段の上に出ました。
ここは「夕やけだんだん」と呼ばれTV等でも
取り上げられる夕焼けの絶景ポイントとのことです。
そこを降りるとフランス語を話す団体客に遭遇!
成田空港から日暮里駅までスカイライナーで40分
という近さのためか、外国人の多いのにビックリ!
もう中原近辺では見られない、和菓子屋、とうふ屋
履物屋、呉服屋などが軒を連ねていました。
そこから谷中霊園に入り、桜の盛りも過ぎ閑散とした
広大な敷地の中、徳川家墓地や新一万円札の渋沢栄一、
横山大観のお墓を通って言問通りに出て根津駅方向へ。
路地を入ったイタリアンでランチを取りました。
横山大観の墓
渋沢栄一の墓
イタリアンレストラン
食事のあと上野不忍池のボート池を一周して旧岩崎邸へ。
改修中のこの建物は三菱財閥の3代目がイギリス人建築家
ジョサイア・コンドルに設計を依頼し明治29年に完成したもの。
洋館と同時に書院造の和館も竣工し、洋館はお客様用
和館は日常生活の空間として使い分けていたとのこと。
洋館全景(Wikipediaより)
岩崎邸は戦後GHQに接収され、その後財産税の物納として
国庫財産になりさらに庁舎の建設のため昭和44年、当時550坪も
あった和館の大部分が壊され、大広間など3部屋と茶室を残すのみに。
残された和館
現在この3部屋は、国の重要文化財に指定されていますが
歴史的建物を簡単に?壊すのは今始まったことではなかった!
そして御徒町駅前からアメ横を通って上野に向かい、2回目の
まち歩きは無事終了しました。
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ページ作成日 2019-04-20
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