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2021-10-20
先日、洗足学園の前田ホールで川崎いのちの電話の
チャリティーコンサートがありました。青島広志さんが
進行役で3人の歌い手が有名なオペラの曲を披露しました。
さて洗足学園と私は古くから係わりがありました。
まず私は洗足の幼稚園を卒業しています。私が5歳の時
中途で2年保育の「川組」に入ったのですが、これは
私の母と当時の先生がお茶でご一緒していたご縁でした。
左端が吉村先生、最後列右から3人目が私
その後私は地元の小学校を卒業して私立中学に進みましたが
そこで洗足の幼稚園で一緒だった数人と再会しました。
彼らはそのまま洗足の小学校へ入学し、中学を受験したのです。
それから20数年後、今度は私の長女が洗足の幼稚園に
入園しました。しかも担任は私と同じ吉村先生でした!
昭和60年当時の学園要覧
左端が母の友人額田先生(園長)、後列に長女
長女が卒園してから吉村先生からご主人の絵の遺作展の
お知らせが届きました。ご主人は養護学校を定年後、パリに
留学して絵画を学んだのですが残念ながら逝去されました。
その作品は印象派風で、気に入った絵があり先生に聞くと
「30万と書いてありますが15万でいいです」と耳打ちされて
私は生まれて初めて絵画を購入したのでした。
洗足高等女学校が東京・目黒区に創立されたのは1926年で
1948年には川崎市久本に移転して幼稚園が開園し、1962年に
短期大学音楽科、67年には洗足学園大学音楽学部が開校。
1100人収容の前田ホールが出来たのは1984年。
私はこの音楽ホールに「出演」したことがあるのです!
それは1990年の「第1回高津市民音楽祭」でベートーヴェンの
「第九」を合唱団の一人として歌ったのです。
この頃より洗足学園は幼稚園も含めて改築が始まり、建築的に
見ても“母校”のとてもユニークなデザインが気に入っています。
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ページ作成日 2021-10-20
2021-09-17
北朝鮮…私は拉致被害者が問題になるずっと前からこの
不可思議な国に興味を持ち本を読んだり映画を見たりしました。
2002年に小泉首相が訪朝して北朝鮮から8名が帰国してからは
情報が氾濫し、私の興味は少しずつ薄れていく今、その中の一人
蓮池薫氏のお話を聞く機会が先週あったのです。
1989年に見た「金日成のパレード」
新潟県生まれの彼は、1978年7月女友達と柏崎海岸に行き
町から松林を抜けて砂浜へ出たところで「火を貸してくれま
せんか?」と声をかけられた後いきなり顔を殴られ引き倒され
その時言われた言葉が未だ耳に残る「静かにしなしゃい!」
沖合の工作船からゴムボートが来て猿ぐつわされ袋に入られ
薬、注射で2日ぐらい気を失って北朝鮮のある港に到着。
招待所に送られスパイの思想教育が始まったが1年で方針が転換。
急に彼女と結婚するかといわれ招待所で式を挙げたそうです。
その理由は1978年レバノン・ベイルートで日立の社員を装った
東洋人が女性4人を拉致、北朝鮮でスパイとして再教育されて
ユーゴのベオグラードに行った際、大使館に駆け込み救助され
レバノンは強硬に抗議して4人は無事帰国。それ以来“拉致被害者は
使えない、結婚させて精神を安定させよう”となったから。
1987年には大韓航空機爆破で115人が死亡、金賢姫が捕らえられ
彼女の日本語の先生が田口八重子さんということが判明しました。
2002年3月幹部が急に「我が国は日本との国交を回復する。家族が
日本から来たら幸せを装うように。拉致を聞かれたらモーターボート
に乗ったらエンストし北に帰る工作員に助けられたと言いなさい」
9月に小泉首相が来朝、北朝鮮は拉致を認めて謝罪、蓮池夫婦は
10月日本のチャーター便に。飛行機が動き始めた時、息が詰まる
思いがして、やがて眼下に緑の大地日本を見た…。2004年5月には
小泉首相が再訪し蓮池さんの子供2人を含む5人が解放されました。
横田めぐみさん等消息不明の日本人はまだいますが、韓国とソ連が
接近し北朝鮮が一時日本に傾いた時期に蓮池さん達が解放された
こともお話を聞いて分かり、同時に今後の交渉の困難さも感じました。
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ページ作成日 2021-09-17
2021-08-19
オリンピックが無事終了し、そのあとの夏休みは
コロナ禍の中遠方へは行けず、ある一日は上野の
東京都美術館でアート鑑賞。きっかけはTVの美術番組で
「イサム・ノグチ」展が開かれているのを見たことです。
上野駅の公園口を降りると目の前には東京文化会館。
私は上野というと動物園ではなく前川國男設計の
この素晴らしい音楽堂の建物をまず思い出します。
その先にある東京都美術館が同じ前川國男の設計により
1975年完成したことを今回調べて初めて知りました!
さて私はイサム・ノグチの名前は知っていても
実際に作品を見るのは初めてです。天然石と金属を使った
作品の一つひとつに不思議な磁力?があり見ていて飽きない!
彼は1904年日本人の父とアメリカ人の母の間に生れ、
3歳から14歳まで日本で過した後、単身渡米し彫刻家を
目指しました。第二次大戦のとき日系人収容所に入った彼は
フランク・ロイド・ライト等の嘆願書により出所できたとのこと。
その後日本とアメリカを行き来し、彫刻以外も商業デザイン
舞台美術、絵画など幅広い分野で才能を開花させました。
横浜のこどもの国建設にも協力、いくつか作品が残っている
というのは意外でした。高松市にも彼の美術館があるそうです。
この美術館の好きな所の一つは共用部の大きな開口で、
置かれているシンプルな椅子や家具が素敵に見えます。
またオリンピックの公式アートポスターが貼ってあるコーナーは
屋外のグリーンを背景にポスターがとても映えていました。
帰り道、国立西洋美術館の前を通ると工事中の貼り紙。コルビユジエ
の原設計に戻すよう改修されるとのこと。こちらも楽しみです。
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ページ作成日 2021-08-19
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