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2018-07-14
四ツ谷駅を降りて外堀通りを左に進むとほどなく
迎賓館の象徴的な正門が見えてきます。この門の前までは
何度か訪れましたが、中に入るのは今回が初めてです。
迎賓館は東宮御所として、かつて紀州徳川家の江戸屋敷があった
ところに明治42年、鹿鳴館などで有名な建築家コンドルの弟子の
片山東熊の設計によってネオバロック様式の宮殿として建設されました。
彼の設計した建物は奈良国立博物館や東京国立博物館の
表慶館などいくつか現存していますが、明治維新から約40年で
西洋建築の設計・施工術を習得できたのは感嘆に値すると思います。
戦後この建物は皇室から国に移管され、国立国会図書館など
として利用されましたが、外国の賓客を迎える施設として
使用していた旧朝香宮邸が手狭ということで、村野藤吾の設計
協力を得て、昭和49年に改修工事が完成。その秋アメリカの
大統領として初めて来日したフォード大統領を迎えました。
また和風別館「游心亭」は谷口吉郎の設計で同じ年に完成。
47畳の大広間などを中心に会食や茶会に利用されていますが
迎賓館が一般公開されたのは2016年からでした。
和風別館は予約が必要で見学はこちらから。まず前面の池は
浅い水盤で設計されたものを当時の田中首相が錦鯉を入れる
よう指示し、池の底を掘りさげたとのこと。また正面玄関脇の
庭は竹林と白砂が印象的ですが、中曽根首相が竜安寺のように
石を置くよう指示、江戸風が京風になってしまったとのこと。
本館に入り2階大ホールから見下ろす中央階段はまさに
宮殿にふさわしい荘厳さで、日本にいることを忘れさせます。
ホール正面には小磯良平の200号の絵が2枚掛けられていました。
中央階段ホール
2階大ホール
朝日の間
羽衣の間
ホールに続く「朝日の間」は首脳会談で使用する部屋で、
「羽衣の間」のシャンデリアは重さが800㎏で館内では最大。
また国賓の晩餐会がよく行われるのは「花鳥の間」です。
花鳥の間
さて見学を終え、正門から出ようとすると私たちは警備員に
呼び止められました。何とこれから天皇陛下の車列が通るとのこと。
平成時代の最後に陛下の姿を見られたのはとても幸運でした。
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ページ作成日 2018-07-14
2018-06-27
私たちのロータリークラブの国際奉仕委員会主催で
この度、海外からのロータリーの奨学生などを対象とした
茶道教室を当社の会議室で行いました。当社では20年以上
前から、お客様や地域の方を対象として茶道教室を
開催しておりそのお道具などを使用しました。
なぜ当社でお茶の教室か?茶室付きの住宅の建築も
時折り行っていた当社では、茶道の基本的な知識を
社員が持つことが必要と当時の社長が始めたのです。
当初は社員が順番に受講していましたが、全社員対象
となると年2,3回しか回って来ないのでだんだん参加者が
少なくなり、社外の人を対象にするよう変えたのでした。
今回はお昼をいただきながらのお茶席「正午の茶事」で
午前11時から午後3時までという長丁場です。
まず、つくばいの代わりに部屋の角の流しで手と口を清め、
茶碗の水で喉を潤してから懐石弁当をいただきます。
食事のあとは濃茶の体験。ふつうのお茶席は薄茶で
濃茶を頂く機会は少ないそうです。亭主はその準備が
できた合図に銅鑼を「大小大小中中大」と音の大きさを
変えて打ちます。何人かトライしましたが難しそうでした。
点てられた濃茶は数人で回し飲みするのがしきたりで
ドロッとしたお茶を3回半で頂き、懐紙で茶碗を拭ってから
お隣に回します。次の薄茶は一人ずつ頂いきましたが
一つのお茶を共有する作法は他国ではありえないでしょう。
亭主とお茶や茶器について会話ができるのはお客の代表の
正客だけ、というのも集団主義の日本の特徴だと思います。
最後にお点前の体験をしましたが、初めてにもかかわらず
皆上手に茶筅を使ってお茶をたてていました。
奥が深い茶道の入り口、4時間があっという間に感じたのは
私だけではないでしょう。日本人も滅多に経験しない「正午の茶事」
に留学生が触れる機会を設けることができて幸いでした。
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ページ作成日 2018-06-27
2018-05-28
4月から東京国立近代美術館で開催されている
横山大観展の最終日に何とか昨日滑り込みました。
今年が生誕150年、明治元年に生まれ、昭和29年に
89歳の生涯を閉じた大観の作品をまとめて見るのは
初めてで、掛け軸や屏風のほか40mに及ぶ日本で最長の
絵巻があり、これはとても素晴らしいものでした。
大観の絵は伝統的な日本画を継承しつつも定型から
離れたような表現があり、そこに独自の魅力を感じました。
帰りがけに出口で「この建物は、石橋正二郎氏が建設し
寄贈されたものである」と書かれたプレートに気が付きました。
近代美術館は昭和27年に京橋で開館したのですが、手狭になり
今の場所への移転の話が持ち上がった時、ブリジストンの
創始者である石橋正二郎が建物の寄贈を申し出たそうです。
設計者は東宮御所や帝国劇場などを設計した谷口吉郎で
昭和44年に竣工。私は学生の頃に初めて訪れたような
気がしてたので、入場券を探したら出てきました!
アンドリュー・ワイエス展で、その頃の手帳も見つかり
昭和49年(1974年)4月28日だったことが分かりました。
さて私は国立近代美術館に工芸館という分館があることを
今まで知らず、この度初めて訪ねました。本館を出て
お堀沿いに約300m坂を上がると、首都高速の代官町の
入口の右側に、重厚な建物が見えてきます。
この建物は明治43年に建てられた近衛師団の司令部で
戦後放置され荒廃していたものを、明治の貴重な煉瓦建築を
残そうという機運が高まり、昭和47年に重要文化財に
指定されて改修され、昭和52年に陶器、漆工、金工等を
展示する工芸館としてオープンしたのでした。
またここは終戦の日に、降伏反対の将校が師団長を殺害し
玉音放送の録音盤を奪おうとした事件の舞台で、歴史的にも
重要な建物がこのように保存されたことを知り嬉しい限りです。
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ページ作成日 2018-05-28
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