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2023-11-29
先日、帝国ホテルを視察する会に参加しました。
今の建物は1970年(昭和45年)に完成の3代目です。
初代は1890年(明治23年)の開業。明治維新後、
外国人迎賓施設として建てられたホテルで経営会社の
株主は宮内省が筆頭で、渋沢栄一や大倉喜八郎の名も。
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設計は鹿鳴館を設計したイギリス人のコンドルの教え子で
ベルリン留学帰りの新進気鋭の渡辺譲が選ばれ、ドイツ・
ネオ・ルネサンス様式の優美な建物が完成しました。
1909年(明治42年)には日本人初の林愛作が支配人に就任。
この頃から本館建替えの話が出てきて、それまでアメリカ
での勤務経験が長かった林の旧知の建築家、フランク・
ロイド・ライトに設計を依頼することになったのです。
2代目の開業日は1923年(大正12年)の関東大震災の日!
建物は軽微な損害で済み、低層でシンメトリーな建物は
大谷石と煉瓦が多用され、独特の雰囲気を醸し出していました。
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それでも昭和40年代には雨漏りなどの問題から建替えが決定。
昭和45年に地上17階建ての今の3代目が完成したのです。
設計したのは前田侯爵邸や川奈ホテルを手掛けた高橋貞太郎。
今回館内を見学して、外観からは覗えないライトの意匠が
内部空間に色濃く残っていることが分かりました。
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チャペルと茶室を見学した後「F・L・ライト・スイート」へ。
まず入口ドアには幾何学模様が施され、リビングからダイニング、
寝室にもライトの意匠が取り入れられ、宿泊費は150万円!
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2階の「オールドインペリアル・バー」へ行くと、重厚なバー
カウンターを通って奥にある大谷石の壁は当時のものとのこと。
この3代目も再開発の波に呑まれて?建替えが決定。果たして
「4代目」にはライトの遺産を残すことができるのでしょうか。
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テーマ名
ページ作成日 2023-11-29
2023-10-16
先日、二子新地の周辺を散策する会に参加しました。
主催は「大山街道ふるさと館」という川崎市の施設で、
当社が工事を施工して平成4年に開館。大山街道に関わる
歴史などの展示とともに、学習の場も提供しています。

大 山 街 道
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ふ る さ と 館
大山街道は江戸の赤坂御門から雨乞いで有名な大山までの道。
江戸時代中期 に「大山詣り」がブームになって有名になり
後期には駿河のお茶、秦野のたばこなどを江戸に運ぶ輸送路
として多くの物や人が行き来して栄えた歴史ある街道です。
当日私たちは小雨の降る中二子新地駅に集まり、多摩川の
「二子の渡し」のあった場所へ。大年14年に二子橋が架かる
まで、ここから渡し船で対岸の瀬田と行き来していました。

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土手を降りると岡本かの子の文学碑があり、ここにある彫刻は
かの子の息子・岡本太郎の作、台座は何と丹下健三の設計!
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かの子の実家「大貫家」は江戸時代には幕府の御用を務めた
高津の大地主。今はない大貫病院の跡地にも立ち寄りましたが
この病院は、かの子の弟の大貫喜久三が大正10年に開設した
ことが、今回調べて初めて知りました。

かつての大貫病院
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現在の跡地(マンションと公園)
最後に訪れたのは料亭「やよい」。途中の古い街灯柱には
「二子三業組合」の文字。三業地とは芸妓置屋・待合・
料亭の三業種の営業が許可された区域とのことです。
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酒造業のかたわら東京・吉原で待合を営んでいた大貫吉之承は
橋の開通後に二子にも歓楽街をとまず自分の水田に待合「大和」
を開店。その後吉原や向島の料亭などにも声をかけ、最盛期には
100人の芸者が行き交う花街が出来たのですが、今残っている
のはこの「やよい」だけで、営業は既に終了しています。
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戦後建てられたこの料亭は、改修の跡もなく当時の雰囲気を
そのまま保っていました。何とか将来ともこの建物を残して
二子新地の歴史を後世に伝えていく方法はないでしょうか?
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テーマ名
ページ作成日 2023-10-16
2023-09-25
先週、ミュージカル「生きる」を鑑賞しました。
この原作は1952年に公開された同名の黒澤明の監督
による映画です。私は50年近く前に観ていますが
とても感激し、私の黒沢映画のベスト3に入ります。
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映画「生きる」のラストシーン
上演は初台駅からすぐの新国立劇場。日本の伝統芸能の
公演は国立劇場がすぐ思い浮かびますが、オペラやバレー
演劇という舞台芸術のための劇場を、という要望が国を
動かして国立劇場から約30年遅れて1997年にオープン。
その候補地選びは難航したそうで、明治時代にできた
初台の東京工業試験場が茨城県つくば市に移転することに
なりその跡地に決定。建設に先立ち国際設計コンペが行われ
200以上の応募作品の中から、当時竹中工務店の設計部
にいた柳沢孝彦氏の案が当選したとのこと。
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私は黒沢映画を果たしてミュージカル化出来るのか?と
少し疑問を持ちましたが、舞台を見て納得しました。
黒沢監督の映画では少ない現代劇で、舞台は主人公の自宅
と役所と公園予定地、そして夜の酒場のみで、役所勤めの
定年間近の課長が、当時は不治の病の胃がんになって目覚め
余命を本当に市民のために捧げるというストーリーです。
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映画で主人公を演じた志村喬は黒沢映画に欠かせない存在で
1948年「酔いどれ天使」で主役に抜擢されたあと、「生きる」
の2年後の「七人の侍」では三船敏郎と共に志村喬の演技が
“世界の黒沢”と呼ばれる原動力になったとことは間違いありません。
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黒澤明は生涯30本の映画を監督しましたが、志村喬は
その内の21本に出演。黒沢ファンの私も5,6本はまだ観てない
ので、これを機に全作品をじっくり鑑賞することにします。
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ページ作成日 2023-09-25
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