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2021-04-20
先日、父親の書棚を整理していたら、とても古い
2枚の絵葉書が出てきました。両方とも海外から
祖父・市川重太郎あてに出されたものです。
1枚目は昭和40年元旦と記されたカンボジアからの
年賀状で、送り主名は当社お客様の田辺進、淑江さん。
田辺さんご夫妻は昭和39年の7月に日本からの
海外協力事業団の一員としてカンボジアへ渡りました。
これが太平洋戦争の補償請求権を放棄した東南アジアの
国々への援助の始まりで、当時東京農工大学の助手だった
田辺さんは農林省の派遣技官として参加したのです。
調べると日本の青年海外協力隊が出来たのは翌昭和40年
なので、その先がけの行動だったのでしょう。プノンペン
から500㎞も入った所で奥様のお話では、現地では水道水も
濁っていて、今の人ではまず生活できない?とのこと。
シアヌーク殿下より功労章を授与
さて田辺さんは一昨年まで当社の監査役だったのですが
その前はお父様の田辺亘さんに長い間お努めいただきました。
また昭和59年には当時この地区では一番高い新城駅前の
10階建ての建物の発注をいただき施工しました。
地鎮祭での田辺さん親子
もう1枚はそのお父様からの葉書で切手はシンガポールのもの。
昭和38年から市会議員を1期務めた田辺亘さんは視察で
東南アジアを訪れ、その折に出した絵葉書と思われ、この時は
訪問先のタイ・バンコクまで進さん夫婦が会いに行ったそうです。
大戸神社の境内に「下小田中土地改良事業完成記念」の碑があり
そこには理事長“田辺亘”の名が。今この地区の道路が碁盤の目の
ようになっているのは昭和29年に着手したこの耕地整理のおかげで、
理事長宅には連夜訪問客が絶えなかったことを亘さんの奥様から
随分前に聞いた記憶があります。2枚の絵葉書により昭和時代の
田辺家の地域、海外両方への貢献を再確認できました。
テーマ名
ページ作成日 2021-04-20
2021-03-15
先日法人会のセミナーの講師は地元で賃貸経営を
営む石井秀和さんで、私がお願いをしました。テーマは
「大家さんのまちづくり~コロナ禍での新たな挑戦」。
石井家と当社との関係は、秀和さんの曽おじいさんの
幸重さんまで遡ります。当社の創業者、市川重太郎と
幸重さんとは単なるお客さん以上の関係だったようで、
私が入社した頃は取締役(非常勤)、かつ株主として総会にも
出席され、とても存在感のある方でした。
幸重さんと重太郎(右)
幸重さんは、一代飛ばして孫の宏康さん(秀和さんの父)
に賃貸経営を任せ、宏康さんは“セシーズイシイ”シリーズを
次々に建設し、歳も近い私は地域のこと等も含めて公私ともに
とても親しかったのですが、残念なことに60歳で逝去。
宏康さん
後を継いだ秀和さんが目指したのは築年数の経た建物の
バリューアップ。まず“セシーズイシイ7”のリノベーションを
ブルースタジオに設計を依頼、60戸のマンションの1階の
エントランス周辺の改修に加えて、カフェ「新城テラス」と
集会ができる「パサールベース」をつくりました。
秀和さん
セシーズイシイ7
パサールベース
新城テラス
当社がかつて“セシーズイシイ11”の1階で入居者のための
メンバーズラウンジ「l i v」を運営していた場所は、今では
石井さんがブックカフェ「Shinjo Gekijo」を直営しています。
昨年11月には商店街の築35年のビルの2階にコワーキング
スペース「新城WORK」を開設。テレワークができるような
施設は地元では珍しく、石井さんが先駆者となりました。
人と人が繋がることで新たなコミュニティが形成され、エリアの
価値が高まり、結果として賃貸の入居者も増える…このような
施策を実践しているオーナーは少なく、私たちも学んでいます。
テーマ名
ページ作成日 2021-03-15
2021-02-25
年が明けて新聞の「銀座に88歳のたたずまい」
という見出しが目にとまりました。昭和7年に
完成した「奥野ビル」が現存しているという記事です。
当時としては珍しい7階建ての高級アパートで
映画俳優や芸術家も住んでいたとのこと。ほどなく
書店で手に取った「復興建築」にも載っていた
こともあり、興味が湧いて見に行くことに。
(復興建築とは関東大震災後に生まれた建物のこと)
中央通りの銀座一丁目の交差点を右に入ると古いビルが
視界に入り、家内が「昔ここで面接を受けたことがある!」
言ったのが「ヨネイビル」でした。「復興建築」を見ると
昭和5年築で、現在も自社ビルとして使用中。
その先を左に折れて行った3軒目が「奥野ビル」。
外壁タイルのくすみ具合は相当なもので、中に入ると
かつてのアパートは、ギャラリーや小さなショップに
変わり、雰囲気は昭和20年代の“黒沢映画”そのもの。
私は表参道にあった同潤会アパートを思い出しました。
昭和初期に建てられたこの建物は十数年前に解体されて
ガラス張りの普通?の商業ビルになってしまいました。
旧同潤会アパート
さて本に出ていたもう1棟の銀座7丁目の建物へ。
「旧菅原電気商会ビル」で、今は3階までが椿屋珈琲店。
1杯1000円のコーヒーを楽しむお客さんが溢れていました。
帰りは銀座4丁目まで戻ると交差点には本の表紙にも
なっている有名な昭和7年築の「旧服部時計店ビル」。
銀座には現代建築の合間に歴史的な「復興建築」が
健在していることを再認識し、いつまでも「現役」
として活躍してくれることを願うものです。
テーマ名
ページ作成日 2021-02-25
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