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2017-09-08
最近1年おきくらいに行くようになった京都。その中で
宮内庁管轄の桂離宮は申込みのことを考えると敬遠気味
だったのが3か月前にネットで予約が取れ初めて訪れました。
京都駅北口よりタクシーで真西に約4㎞、桂川を渡ると
川沿いの道路に竹で編んだ笹垣が出現しました。入口で
車を降り午後1時半からのスタートを待つと参加者は20人を
少し超えるぐらいでした。
まず茅葺きの御幸門へ。ここから表門まで約50mですが
先の道幅を少し狭くして遠近法の原理で奥を深く見せています。
ここから昔は舟遊びをしたという池をぐるっと回りますが
園路の飛び石が不揃いでとてもでこぼこしています。これには
理由があり視線を足元に集中させて、道が平らになり顔を上げた時
全く別の風景が目の前に現れる効果を狙ったとのこと。
次の外腰掛という開放的な待合所の前には島津家から贈られた
という南国風のソテツが植えられ、わざと異質な部分を作っています。
そこから小道を通って石の橋を渡ると入母屋造りの茶室、
松琴亭に出ます。中の襖は大胆な青と白の市松模様で
いまの住宅で使っても十分斬新に感じさせるデザインです。
松 琴 亭
そして小さな橋を渡ると連小窓が特徴的な賞花亭があり
この辺が園内では一番小高いところで、ここから園林堂という
持仏堂へ行く途中が、書院を見下ろすには絶好の場所で
なかなか良い写真が撮れました。
賞 花 亭
園 林 堂
書 院 の 遠 景
桂離宮の中核の書院は、古書院、新御殿など4つの部分が
雁行形に建ち並んでいて、特に古書院には月を鑑賞するための
月見台が池に突き出すよう設置されています。
池面に映る月を鑑賞するのを妨げないよう周囲も造園され
以前放映されたNHKの特番では、観月が桂離宮造営の大きな
目的だったとしていました。江戸時代の初期の1620年頃より
八条宮家の別荘として普請を行った桂離宮は、武家とは異なる
自然とあくまで調和する皇室文化を強調しようとしたのでしょうか。
約400年前の雅な文化をそのまま体験できるのは幸せなことです。
月見台から見える池
池に映る月(CG:NHK番組より)
テーマ名
ページ作成日 2017-09-08
2017-08-30
溝ノ口を中心に50戸を超える賃貸建物を所有・管理している
越水さんは古い築年の物件を基本的には間取り変更などをせず
お部屋を飾り付けることにより次の入居を決めています。
これはホームステージングと呼ばれ、始まりは1970年代の
アメリカ。流通市場の9割が中古住宅のアメリカでは家具や小物類で
室内を演出して客さんに“ここに住みたい”と思わせる必要があり
ホームステージャーという専門家までいるそうです。
昭和62年築の「カワサキハウスⅡ」
その越水さんに当社が所有する築30年のマンションの
ステージングをお願いしました。まずコンセプトから始まり
それは「入居したDINKSが子供を作り、育てる部屋」。
まず和室を洋間にリフォームするところですが“基本通り”
そのまま。その代わり天井に格子を組み、襖はモダン柄で
壁はピンク。子供ができると畳の部屋は便利で、洗濯物など
掛けるものが増えるので天井の格子が役に立ちます。
リビング・ダイニングは入居者が自由に釘打ちや棚を吊るなど
DIYできるよう一方の壁を板張りにし、ラブリコという金具を
使い木材で棚を作った上、小さいテーブルを設置。DINKSだと
食事が別々なことも多く、これで十分との説明がありましたが
疑問が残り、参加した女子社員数名に聞いてみると皆が賛成!
流し台は古いタイプのものを変えず扉を塗装し、壁タイルの
一部を交互に赤いシートを貼っただけなので、その理由を聞くと
全体のレトロ調な雰囲気にこの方が合っているとのこと。
洗面・トイレの壁には棚を付け輸入品のマッサージオイルや
ボディソープなどが置かれ、トイレットペーパーさえヒョウ柄!
また皆が感心したのは「子育てコンセプト」を貫くため台所の壁に
開口を作りそこから和室(子供部屋)が見えるよう工夫したこと。
置かれた小物類は、入居者が好むものは残して使ってもらいます。
だから100円ショップの品ではなく数千円もする輸入品を置き
それが部屋を決めるポイントの一つになれば確かに安いものです。
越水さんはステージング後の賃料を相場より2割位アップ
して設定するそうです。賃貸では差別化が明確なら、分譲ほど
年数により金額が下がらないことを私たちも今までの経験で
知っており、これを広めるため我々自身がホームステージャーに
ならなければいけないと強く感じました。
テーマ名
ページ作成日 2017-08-30
2017-08-27
武蔵新城商店街、恒例の夜店市「にぎどん」が
25日、26日と開催されました。私は久しぶりに
行きましたが道路は買い物客で溢れ、このときばかりは
有名商店街にも引けを取らないのではと思うほどの人出でした。
その中心はアーケードがある「アイモール」かと思いますが
その昔ここは「信用金庫通り」と呼ばれていました。川崎信用
金庫が入り口にあったからですが、私はアーケードができた
昭和60年頃、ここの商店主から最盛期の様子を聞いことがあり、
入口から通りの奥を見ると人の頭で真っ黒だったと言っていました。
「ア イ モー ル」
その話を思い出し、「アイモール」を入口から眺めてみたら確かに
奥が黒山のように見えました。今は区内では元住吉・ブレーメン通り
の方が有名ですが、この賑わいを平時でも保てないのでしょうか?
もっとも武蔵新城は武蔵中原と比べると商店の集積度が
とても高く、武蔵中原では駅前のいくつかの商業ビルには
店舗が入っていますが、面で広がる新城とは勝負になりません。
「マイロードゆうゆう」
確か私が学生の頃まで中原駅の南側には田んぼがあって
商店は中原街道沿いに少しある程度でした。これに対して
新城駅は、戦時中に駅南側の約7万坪の水田が埋立てられ
宅地が造成され、そこで発注された住宅300戸のうち100戸の建築を
まだ個人営業だった市川組が川崎住宅(株)から請け負いました。
奇跡的に残っていた感謝状
川崎住宅は川崎市も資本参加して昭和16年に設立され
今でも当社とお付き合いがありますが、民間デベロッパーが
なかった時代に、公社のような役割を果たしたのでしょう。
この南口に出来た住宅街の東側は日本光学などの社宅となり
それが段々商店に変って行き、そんなことから「サンモール」は
しばらく「日光通り」と呼ばれていました。
「サ ン モ ー ル」
まだまだ人口増が予想される中原区で、商業施設は小杉、元住吉が
注目されがちですが、それとは一味違う個性豊かなお店が武蔵新城
周辺にあるということを、私たちも認識しPRしていきたく思います。テーマ名
ページ作成日 2017-08-27
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