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2018-03-23
6日からアフリカ10日間の旅に参加しました。
アフリカは二度目で、一度目は南アフリカのみ、
約5年前でこの時も河合さん夫妻と一緒でした。
河合さんは長男が南アフリカに赴任していた時にも
訪れているので、今回が三度目です。その時に
体験したサファリにもう一度行きたいという希望を
このツアーで実現させたのです。
香港、ヨハネスブルグ経由でザンビアのリビングストンへ。
そこからバスでボツワナに入り、川べりのロッジへ。
このテラスからチョベ川に落ちる夕陽を見てやっと
アフリカに来た実感が湧いてきました。
翌早朝6時からサファリカーでチョベ国立公園に入り
動物ウォッチング。川に遊ぶカバ、草原を走るシマウマ、
そして草むらにたたずむライオンを見つけましたが
残念ながらライオンはこの時だけでした。
昼からのドライブではチョベ川に水浴びに向かう
ゾウの群れに遭遇、私たちのジープの前を次々に横切り
中には止まってじっとこちらを睨んでいるゾウも!
これがサファリの神髄!これだけで私はこのツアーに
参加した価値があると感じました。
この日3度目のウォッチングはロッジの船着場から
ボートサファリ。このときは再びゾウの群れとカバ、ワニ
に遭遇。船上での3時間がゆったりと流れて行きました。
サファリとはもともとアラビア語で旅行のこと、
参加者15人は2つの車に分乗して見学したのですが
最後の朝のサファリで私たちに幸運が…。
運転手が指さす道路の先に何かがいるようですが
初めは小さくて分からなかったのが数頭のキリン。
そっと近づくと優雅に道路を横切ったのです!
テーマ名
ページ作成日 2018-03-23
2018-02-28
先週末、「カルッツかわさき」の吹奏楽コンサートに
行ってきました。2013席の大ホールを持つこの建物の
正式名称は「川崎市スポーツ・文化総合センター」で、
昨年10月にオープンしたものです。
ここは1956年に開館した川崎市体育館があったところで
この体育館は各種スポーツはもちろんプロレスも盛んに
行われ、「女子プロレスの聖地」とも呼ばれていたとか。
旧川崎市体育館
「カルッツかわさき」にスポーツと文化の両方の名が
付けられているのは、川崎市体育館と教育文化会館(教文)の
両方の機能を有しているからです。
「教文」は1967年に、産業文化会館(産文)という名で
誕生した市内最大のホールで、今でも「カルッツかわさき」の
斜め向かいにあり、私の成人式(1974年)はこの会場でした。
教育文化会館
「カルッツ」と「教文」
また1989年、私が初めて市民合唱団に加わり第九を歌った
のもこのホールで、2004年に「ミューザ川崎」ができるまでは
クラシックのコンサートもここで行われていたのです。
私は昨年秋ここで行われた定時制高校の弁論大会を聴きに
久しぶりに訪れましたが、「カルッツ」ができたこともあり
その大ホール部分は3月末で半世紀の歴史の幕を閉じます。
昔の思い出深い建物が次々と消えていく中で、教文は
次の計画が白紙なので、その懐かしい姿は暫くそのままに。
さてJR川崎駅はこのところで改札口が一つ増えました。
これまでは東口と西口を結ぶ自由通路のみだったのが
先月東京寄りに新しく北改札ができて、「駅ナカ」にも店舗が出現、
京急川崎駅や川崎市役所が少し近くなりました。
西口にラゾーナ川崎ができたのが2006年、それから駅周辺に
次々と施設が建てられ変貌していく川崎ですが、その決定版は
既に解体された市役所の新庁舎で、2022年完成の予定です。テーマ名
ページ作成日 2018-02-28
2018-02-09
台湾から来たアレン君のホームステイもあとわずか、
先週末一泊旅行に連れて行きました。
宿泊は、会社が加入しているリゾートトラストが
昨年湯河原に新設した「エクシブ湯河原離宮」。
できれば箱根に寄ってから行こうと思っていたところ
前日からの雪で無理なことが分かり、先に熱海へ行き
昨年リニューアルが終ったMOA美術館を見ることに。
入場口から高台にある美術館エントランスまで
何度も乗り継ぐエスカレーターには驚かされました。
その分、館内から見下ろす相模湾周辺は絶景です!
所蔵品の中の白眉、国宝の尾形光琳の「紅白梅図屏風」は
文化庁の規定もあり梅の時期に60日しか公開されません。
真ん中を独特な模様の水流が占め左右に梅が配置された構図は
大胆で、左の白梅の幹はほとんど隠れていて見えません。
また屋外には約400年前に京都に建てられた光琳の屋敷が
彼自身の手による図面をもとに、復元されていました。
さて熱海でもう一か所見学したのは「起雲閣」。
大正8年に財界人が建築した別邸を同15年、東武鉄道社長の
根津嘉一郎が購入し徐々に敷地を拡大。終戦後に所有者が変わり
旅館「起雲閣」を開業、谷崎・太宰等の作家にも愛されたものが
平成11年に廃業、翌年熱海市が買い取って保存が確定。
3000坪の敷地に築100年近い和風、洋風の建物が点在し
私はこの一つ一つから、かつて第一級の保養地として栄えていた
当時の熱海を実感しました。
ここを跡にして湯河原離宮へ。明治創業の「天野屋旅館」が
経営不振でリゾートトラストに売却、有形文化財にも指定された
建物が取り壊され、都心の最新の外資系ホテルのようなテイストの
施設として生まれ変わりました。
これが東京の奥座敷、湯河原の盛衰の象徴か、と思うと同時に
熱海の例のような保存は難しかったのかなと考えました。
かつての天野屋旅館
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ページ作成日 2018-02-09
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