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2024-03-13
「近現代建築のウォーキング視察会」に参加しました。
これは世界的建築家が共演して、新旧の名建築が立ち並ぶ
東京・銀座の街を見て歩こうという主旨の会です。
集合場所は昭和7年竣工の奥野ビル。設計者の川元良一は
震災復興を目指した同潤会の建設部長で、同時期に九段会館
も設計しています。昨年知り合いがここでミニコンサートを
行ったとき、私は初めて建物の中に入りました。
次は近くにある昭和5年築のヨネイビルに続いて、銀座1丁目
中央通りの貴金属店へ。外部のステンレス製の波型ルーバーを
施工した金属工事の会社の人も同行し、いかに難しい設計者の
要望を実現したかを解説してくれました。
ヨネイビル
アルティメイトダイヤモンド本店
そのあと4丁目に向い松屋銀座店に並ぶルイ・ヴィトンの
店舗へ。とても複雑な金属のファサードもこの会社の施工。
松屋とは別に見えますが実は同じ建物で、ヴィトンの要望で
あたかも違う建物のように設計した結果だったのです。
再び1丁目に向いマロニエ通りを入ったところがV88ビル。
11階までこれほどのカーブのステンレス外壁は見たことはなく
金属会社も施工可能かと悩みながら3次元データで製作すると
現場はピッタリ合って、信じられないほどだったとのこと。
4丁目の和光は昭和7年竣工。服部時計店の創業は明治14年、
設計者の渡辺仁は同時期に東京国立博物館も手掛け、モダニズム
の波に抗して重厚なネオ・ルネサンス様式を実現。これが今でも
銀座のランドマークの地位が揺るがない最大の要素でしょう。
解体前の三愛ビル
建築中の三愛ビル
なんと向かいの三愛ビルは、60年を経て老朽化という決まり
文句?で解体が始まっていました。建築のデザイン性が今では
特段ではないにしても、4丁目の定番が無くなるのは残念です。
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ページ作成日 2024-03-13
2024-02-27
都内で開催されているフランク・ロイド・ライト展
に立ち寄りました。驚いたのは平日の夕刻にも
かかわらず、整理券が発行され30分待ちだったこと!
日本でのライトの人気の元が、今は明治村にある
帝国ホテルの設計者ということだけでは理解できません。
明治村・帝国ホテル
私がライトの設計した建物を初めて現地で見たのは
約30年前、ロスアンゼルスの「ホリーホックハウス」。
名称のhollyhockとはタチオアイという植物の名で、
神殿風の外観、入口の廊下の天井高が低いこと、中の
大きな暖炉と日本の屏風の印象が強く残っています。
2回目は10年前に当社で企画したアメリカ不動産視察で
まず訪れたのがニューヨークのグッゲンハイム美術館。
内部は大きな吹き抜けがあり、それを取り巻くらせん状の
廊下が展示スペースとして一番上まで続くユニークなもの。
住宅設計が中心だったライトの晩年の傑作です。
次に行ったのがピッツバーグ郊外の「落水荘」。発注者の
カウフマンが別荘の設計を「滝を眺めて過ごしたい」と
要望して依頼したのに対し、ライトは滝の上に住居を構える
ことで実現。世界の名作住宅で抜きんでたものになりました。
2017年にはシカゴ郊外のライトの自宅と建築スタジオへ。
ここが彼の建築家人生の出発点で、プレーリースタイルという
ヨーロッパとは違うアメリカ独自のスタイルを考案しました。
今回の展示会を見て、いつか行ってみたいと思った建物が
ジョンソンワックス本社ビル。1936年、ライト69歳の
時の設計で、「落水荘」が完成した年です。彼が住宅で
表現した有機的な建築とは異なるモダンなオフィス空間を
80年以上前に手掛けたことは意外で、それが今でも現役として
存在しているのをこの眼で確かめてみたいです。
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ページ作成日 2024-02-27
2024-01-26
新聞の神奈川版に「山口蓬春と吉田五十八」の見出しと
「日本画家と建築家“同窓の誼”」のサブタイトル。
葉山の山口蓬春記念館についての記事でした。
日本画にも興味はあるのですが、近代数寄屋づくりの
第一人者、建築家の吉田五十八が改築を担当したとの
ことで、建物もぜひ見てみたいと先日訪問しました。
神奈川県立近代美術館
JR逗子駅からバスに乗り、海岸べりの神奈川県立
近代美術館の前で降り、一色海岸を望む小高い丘の
途中に建物が見えてきます。蓬春は昭和23年から
亡くなる46年までこの地で過ごしました。
戦前の世田谷の自宅は吉田五十八の設計で、昭和初期に
建てられたこの葉山の建物を購入したあと、再び五十八に
よって昭和28年に新画室などを増改築したのです。
山口蓬春は明治26年、北海道で生を受けました。大正4年
東京美術学校(現東京芸大)の西洋画科に入学、その後日本
画科に転じたのですが吉田五十八とは同級生だったそうです。
蓬春の作品を見ていると、マティスを思わせるような
対象物を黒線で囲んだ今まで違う作品があって、西洋画科
に在籍していたベースがあって生み出されたのかも。
解説を読むと戦後フランス絵画にも接近し、時代の感覚を
取り入れた新しい日本画を目指し、「蓬春モダニズム」と
呼ばれる独特の日本画の世界を創り出していった…。
吉田五十八も日本の伝統様式の数寄屋造りを独自に近代化し
日本の建築美を後世に伝えた建築家なので、この二人の
芸術家の作品を同時に体験できる素晴らしい記念館でした。
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ページ作成日 2024-01-26