お客様インタビュー松原 茂様
“大重さん”時代からの交流
松原家は新城地区でも指折りの旧家。手作りの家系図を広げながら
「私が子どものころ“大重さん”が父に『おじいさんの名前が泉澤寺の屋根裏の板に
書いてあったぞ』と話していたのを覚えています」とおっしゃいます。
大重とは「大工の重太郎さん」を略したもので、ジェクトの前身・市川組創業者の市川重太郎のこと。
松原さんのお父様とは親しい仲でした。
「大重さんの息子さん(市川清相談役)、お孫さん(市川功一ジェクト社長)と、
三代にわたり、建築のことはジェクトさんに相談してきました」
と、松原さんはジェクトとの長いおつきあいを語ります。
かつてこの中原一帯は桃の栽培地であり、松原家も新城の地主として桃畑を持っていました。
戦後、新城近辺は大きく様変わりし、農地の宅地化、区画整理、道路拡張などの影響を受け、
松原さんの所有地も大きく変形しました。
松原さんは土地の有効活用を考え、1987年に川崎組(ジェクトの前身)で店舗併用の共同住宅を建てました。
2003年、松原さんは自宅の建築をジェクトに発注。
「普通の住宅建築では床柱には三寸五分の角材を使うのに、
市川清さんは四寸角材をつかってくれました」と、
当時の市川清社長の細かい心遣いに感動したといいます。
こうした出来事もあり、松原さんは「ジェクトは親戚みたいなもの」と信頼を寄せてくださっています。
賃貸マンション「ポラール」の建設計画は、松原さんにとって大きな決断でした。
長い間駐車場として使用してきた土地を
「次の世代のために、自分が元気なうちに実行すべきだ」
と決断し共同住宅の建築に踏み切りました。
JR南武線武蔵新城駅から徒歩6分、武蔵中原駅からは9分という通勤に便利な場所に
鉄筋コンクリート造4階建て、15室の賃貸マンションが完成しました。
モニター付オートロック、防犯カメラ、宅配ボックス、駐輪場などを完備、
照明はすべてLEDを使用しています。
「居住者に安心・安全・便利を提供し、例えば10年住んで、ああここで良かった、といっていただけるような賃貸マンションを建てたい」
という思いを持っていた松原さんは完成したマンションの利点を誇らしげに語ってくださいました。
「ポラールという名前は、参考にといってジェクトさんから渡された名前一覧の中に、
スペイン語で北極星を意味する言葉があったので決めました」。
新城に一つ不動の星が誕生しました。
“本職”はゲートボール
松原さんは、昭和22年に地元の企業に就職しました。
当時は近辺に高い建物もなく、富士山が手に取るように見えたといいます。
平成4年に定年退職するまでの45年間勤続した松原さんは、
会社員時代の辞令、依命書、表彰状などのすべてをきちんと保存されています。
在職中は一貫して旋盤工として通信機器や電話交換機の金属部品の加工部門で働き、
旋盤の一級技能検定合格証や旋盤のカッターターナー(切断工具)を改善し
会社から表彰された「発明考案賞」も大切にしています。
旋盤の「匠」のような松原さん。
自宅にも小型旋盤が置いてあり、熱中しているゲートボールのスティックの表面研磨に長年の技を生かしています。
「趣味は?」と訊くと「本職はゲートボール、副業はグランドゴルフ、道楽がボウリング」と答えます。
自宅の庭のグリーンでスティックの具合を確かめる毎日です。