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2021-09-28
これまで歩み続けた100年間。
多くの方と関わり続け、時代の流れに合わせて、様々な試行錯誤を繰り返してきました。
一部、年表から詳細をご紹介します。
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地鎮祭等の重要な行事の際には、ジェクトの社長以下全員が写真のような「半纏(はんてん)」を着用します。
こちらは創業当時の復刻デザインで、襟元の社名以外を忠実に再現しています。
背部の意匠「カネ清」とは、創業者重太郎の父、清次郎の頭文字であり、
明治のころからの伝統的なトレードマークです。
ジェクトの半纏は、自社の伝統と信用のシンボルと言えるでしょう。
重太郎が1920年(大正9年)、宮大工の棟梁として「市川組」を旗上げしたのちの仕事で、主要なもののひとつが東京西五反田にある「氷川神社」の社殿です。
氷川神社は、当時の東京市品川区大崎一帯の氏神として由緒ある神社で、1935年(昭和10年)に、当時の市川組により社殿が新築されました。
戦災に耐え現在もその重厚かつ典雅な姿を残す社殿は、宮大工棟梁重太郎の匠の技を今に伝えています。
ジェクトでは、現在まで数多くの学校建築に携わってきました。
戦後しばらくすると、川崎市内の人口急増を背景に学校の需要が急拡大し、
校舎の建設が追いつかない状況において、当時の川崎組では重点的に学校建築に取り組んだ結果、
1954年から56年にかけては総完工高の6割以上、ピーク時の1957年には8割以上が
学校建築の受注でした。
1950年以降65年までの16年間にジェクトが受注した市内学校の新築および増改築工事は、
主要なものだけでも25校あり、当初は木造主体であった学校建設は、1950年代後半には、
鉄筋コンクリート造が主流になっていきました。
2004年5月、ジェクトの会社設立60周年記念行事として、ボニージャックスをお招きしてコンサートを開催しました。当日、会場のエポックなかはらは1,000人近いお客様で満員となる盛況で、参加された皆様はボニージャックスの素晴らしいハーモニーを心ゆくまで堪能しました。
ジェクトでは、この10年前の会社設立50周年の際にも、同会場でボニージャックスのコンサートを行っており、そのときメンバーの方から、「10年後の60周年にもまた呼んでくださいね」とお話があったのですが、図らずもその約束を守ったことになりました。
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ページ作成日 2021-09-28