市川社長のブログ
東京プリンスホテル
- 2015年9月 5日 19:07
今週木曜の朝、東京プリンスホテルで小泉進次郎
議員のモーニングセミナーがありました。地下鉄の
御成門で降りて日比谷通りに出ると右側がもう敷地です。
そこに建つのはホテル1棟だけで、対する敷地はとてつもなく
広いのです。建物まで伸びる歩道付の2車線の私道は100mを
優に超える長さで、その両側は広大な駐車場です。
開業は1964年、西武グループ初のホテルとして増上寺の
徳川家霊廟跡にオリンピック直前にオープンしました。
ほぼ同時にオープンしたのがホテルニューオータニ。東京は
オリンピックに向けてホテルが絶対的に足りなかったのです。
ニューオータニはこのあと40階建てのガーデンタワーと
30階建てのガーデンコートを建築しましたが、東京プリンスは
駐車場もそのままで、建物も直していないようです。
またこれより少し早い1962年にオープンしたのがホテル
オークラで、建て替えのため先月末で営業を終えました。
海外から解体を惜しむ声が多数寄せられましたが国内は静かなもの。
日本人は建物をいつくしむという習性がないのでしょうか?
私はせめてもこの日本美術を結集したような建物を最後に
体験したいと思い3月に泊まってきました。
それからすると東京プリンスホテルは大健闘している・・・
一昨日、日比谷通りを背にして東京タワーをバックに
ホテルの建物が見えたとき、特別な感慨があったのです。
さてこの日のセミナー講師の手嶋龍一氏の話が終った後
例によって小泉さんがショートスピーチ。安保法案に対し
著名人が発言していることについてこう言いました。
「ハリウッドスターは大統領選のときに旗幟を明らかにして
応援する。これに対し私的な発言を控えるのがこれまでの日本だが
少し変わってきた」これには私も大賛成で、何も言わずにいて
勝った方につくという姑息なやり方はそろそろ止めましょう。
多摩川の花火
- 2015年8月24日 22:06
久しぶりに多摩川の花火を見に行きました。今年は
世田谷と川崎側に加えて調布の花火も同時開催でした。
花火というと遠い子供の頃のぼんやりとした記憶が思い
浮かびますが、大きな音が怖くて喜んで行った記憶がありません。
一度小杉会館の屋上から見たことがあり、それが家族と行った
最後と思うのですが、高校の頃だったか時期は思い出せません。
私は基本的に人が大勢いるところは好きでないので
その後行ったことがなかったのですが、ちょうど10年前
アメリカからの交換留学生が我が家にホームステイしたとき
数十年ぶりに彼を連れて花火を見に行きました。
様子がまったく分からず、二子新地駅で降りて多摩川の
土手に向うと、道路はラッシュアワーの電車並みの混雑で
身動きが取れず、身の危険さえ感じました。
結局土手の下の住宅街まで下がって花火を見たのですが
彼に感想を聞いたら「アメリカの100倍良かった!」と
言ったのがとても印象に残っています。
さて今回行くことになったきっかけは、娘が久地駅から
近い所が穴場らしいので子供を連れて行きたいというので
久しぶりに孫の子守り役を兼ねて行ってみました。
南武線が久地駅に着くと、何と半分以上の人が降りて
駅前で待っている人も一緒に多摩川に向うではありませんか。
これが穴場か、と疑いながら歩き土手に着いて河原を見下すと
人は多少いても何とか座ることは出来そうなので一安心。
最初の花火の音で孫は泣きべそをかきましたが
それからは大人しくしていました。1時間はあっという間で
終了10分前には混雑を避けて河原を後にしました。
後から投稿されたクライマックスの映像を見たら、次は
何とかして最後まで見届けようと思わせる程のものでした。
湖水地方とスコットランド その3
- 2015年8月16日 16:38
イギリスの運河のことはテレビ等で知っていましたが
リンリスゴーにも運河があることが分かったので
宮殿の隣の聖マイケル教会に寄ったあと、キャナルセンター
の周辺を歩くと様々なナローボートと行きあいました。
その後エジンバラ郊外のメルヴィルキャスル・ホテルへ。
18世紀にメルヴィル家の居城として建てられ、1991年から
ホテルとしてオープンしましたが、2夜続けてインド系の
ファミリーの披露宴が行われていました。ゲートから車で
入って暫くしても建物が見えてきません。広大な敷地は
6万坪あるとのこと! 客室はわずか32室です。
ホテルで再びコリンと待ち合わせをしてエジンバラ市内へ。
彼推薦の海べりのシーフードのお店でジャズの生演奏を
聞きながら、先日の車のお礼に昼食をご馳走しました。
そのあと私たちは市内が見渡せる小高い丘へ行きましたが
都会のすぐ近くに意識的に自然を残しているよう感じました。
翌日の最終日、まずエジンバラ城へ行ったのですが
夏のフェスティバルを前に多くの観光客が押し寄せ
入場チケットを買うのに約40分待ち。
元々岩山の上にできた古代からの要塞で、一番古い建物は
12世紀にできた教会堂とのこと。様々な建築物も見ごたえが
ありますが、ここからのエジンバラ市街の眺めは素晴しく
いつまでも飽きさせません。
城はオールドタウンと呼ばれる中世の街並みが残る地区にあり
目抜き通りでは色々なパフォーマンスが行われていました。
これに対し鉄道駅の反対側がニュータウン。私たちはここで
18世紀末に建てられたジョージアンハウスを見学しました。
日本を発ったのは猛暑日が続いている頃で、旅行中は精々
20℃止まり。南のロンドンでも日本の最北端より北なので
当然なのですが、カントリーサイドの絵のような風景と
涼しさが特に印象に残った旅でした。
湖水地方とスコットランド その2
- 2015年8月15日 14:58
ハイアムホールに2泊して、3日目の午前中で
書道教室は終わりました。その後私たちは小澤さんと
スコットランドの小さな町、リンリスゴーへ。
ここの市民ホールでこれから書道展が開かれるのです。
生徒のコリンが私たちをリンリスゴーまで車で送って
くれることになり、途中にある自宅にも寄らないか
と誘われて、お茶をごちそうになりました。
初対面の外国人でも自宅に招くのは英国流の「おもてなし」。
そこへいくと日本はどうでしょうか。残念ながら知らない
お客様に対し、このように開かれているとは言えません。
着いた宿泊は1階がパブで2階に部屋という日本にはない
B&B型のホテルですが、スタッフはとても感じが良く
地元のロータリークラブの例会場だったのにはびっくり。
リンリスゴーは人口5000人の小さな町で、宿から
スコットランド女王メアリー・スチュアートが生まれた
リンリスゴー宮殿まで歩いて行けます。
今は廃墟となっている城内、周囲の湖、中世の街並み
そのままの目抜き通り...。こんな素晴らしいところに
観光客の姿はほとんど見られませんでした。
翌日は小澤さんの知人のトムが、エアという町を案内して
くれました。人口約5万人、ここは「蛍の光」の作詞者の詩人
ロバート・バーンズの生誕地としても有名です。
まずバーンズ博物館に立ち寄ったあと、バーンズの作品で
有名な「ブリガドーン」という石橋へ。次にすぐ上の前の庭園を
散策してバーンズが生まれたというコテージを見学しました。
宿への帰り道トムは不思議な公園に案内してくれました。
そこには「ケルピー」という頭が馬の形をしたスコットランドの
幻獣のとても大きな金属製の彫像が建っていたのです!
湖水地方とスコットランド その1
- 2015年8月14日 15:41
5年ぶりにイギリスを訪ねました。目的地は
湖水地方とスコットランドですがまずロンドンで一泊。
気温は20℃以下、薄いコートを羽織っている人も。
ヒースロー空港から中心部に向う車窓から見える建物は
一様に古く日本とは全く違います。新しそうな建物でも
築100年くらい?と思われました。
最初の夜はロンドン在住の友人夫婦とその知り合いの
夫婦とおいしいインド料理を楽しみました。翌朝は
列車で約3時間、湖水地方北部のペンリス駅で下車。
そこから車で約30分でハイアム・ホールに到着です。
1828年に建てられたこの館は、今はカルチャーセンターとして
使われ、2階が宿泊施設になっています。ここで知人の書家、
小澤蘭雪さんが夏期の書道教室を行っていて途中参加しました。
ホール到着後、他の日本人の生徒さんとドライバーを雇い
まずバターミア湖へ。約1時間半のウォーキングで
清々しい湖畔の3分の2位を歩きました。
ホールに戻って夕食後に夜の部の書道教室に参加。
きちんと習うのは中学校以来でしょうか?現地の人も
漢字やひらがなを書いているのにはビックリ!数年
習っている人もいて、日本文化が浸透しているようです。
翌日はまず湖畔の町、ボウネスへ。ここからフェリーで
ウィンダミア湖を渡りニア・ソーリー村へ。「ヒルトップ」
はピーター・ラビットの生みの親、ベアトリクス・ポターが
住んでいた家です。周辺はとてものどかでこの本が出版
された100年前と変らない風景が保たれているのでしょう。
私たちは湖水地方北部の中心地ケズウィックまで戻り
近くのダーヴェント湖で約1時間遊覧船に乗りました。
さらにこの近くには石をいくつか並べたストーンサークル
がありました。いつ、誰がつくったかとても不思議です。
- Search