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市川社長のブログ

寄附講座

  • 2008年5月21日 09:26

寄附講座とは大学の外部から
教育の振興のために寄附された資金や人材を活用し
研究や講義を行う事業です。

信用金庫業界のセントラルバンク、信金中央金庫が専修大学に
「中小企業金融」をテーマとした寄附講座を設けていますが
金融機関の取引先から見た話を何かしてほしい、との依頼が
川崎信用金庫を通して当社にあり
昨日、経済学部の学生にお話をしてきました。

経営資源としての金融は経営に不可欠なものです。
金融機関も取引先の成長が営業的なプラスになります。
私は金融の話よりも、むしろ当社の経営戦略や
尊敬する経営者についての話を中心にしようと思いました。

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大学のキャンパスへ足を踏み入れると
新しく建てられた施設がたいへん立派なことにまず驚きます。
屋外から校内に入るのは階段でなくエスカレーター!
中に入るとガラス張りの広々としたパソコンルームがあり
多数の学生が思い思いに操作しています。

少子化の折、大学間の学生獲得競争が激しさを増し、
外面的なものをまず改善する必要があるのでしょう。でも
学生が卒業した後、このような立派な施設で働ける人は
どのくらいいるのだろう、などとつい考えてしまいます。


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私が大学を卒業してもう30年以上経ちましたが
当時と比べて建物などのハードは見違えるほどになりました。
はたして勉学の中身の方はどう変化しているのか
興味のあるところです。

企業と大学の連携が以前より進んでいることは確かですが
社会人と学生が接触できる機会がもっとあってもいいのではと
講義終了後、熱心に質問する学生の姿を見て感じました。

(社長)
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学校訪問

  • 2008年5月15日 17:49

久しぶりに横浜の浅野工学専門学校を訪ねました。
当社とこの専門学校のと関係は
昭和58年に建築科の卒業生を採用したことから始まり
現在、卒業生が8名勤務している当社では一番の
学閥を形成?しています。

昨日お目にかかった高橋校長には
先生が就職担当でいらしたころからもう四半世紀にわたり
お世話になっていることになります。


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創立者の浅野総一郎は浅野セメントや浅野造船所(後の日本鋼管)の
創業者としても有名な実業家で、川崎・鶴見の東京湾の埋め立てを手がけ
今の京浜工業地帯の基礎を築いたといわれています。

総一郎が大正期にアメリカを視察した際、フォードなどの有力企業で
人材教育が重視されていることに感銘を受け
教養と職業能力を併せ持つ人材を民間企業へ供給していくことを志し
大正9年に浅野中学校を設立、昭和4年には
本専門学校の前身の専修学校を開校しました。

また昭和22年には専門学校として全国初の4年生に移行しました。
講師陣も多彩で、当社が昨年開催した気鋭の建築家との住宅展に
参加された一人とお話をしているうち、浅野の建築科の設計の授業を
担当されていることが分かり、驚いた記憶があります。


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一時は当社に毎年のように卒業生が入社していましたが
近年少子化による大学全入時代を迎えたことにより
専門学校の学生数が漸減し、建設業界の不人気?も手伝って
当社へ入社する学生も少なくなってきています。

このところマスコミに建設関係が登場するケースは決って
マイナスのイメージを与える内容ばかりです。
若い人たちが夢を持てるような業界にしていくことが
私たちの大切な使命であることを痛切に感じ
学校をあとにしました。

(社長)

一眼レフ

  • 2008年5月 9日 11:21

連休中のたまたま私の誕生日に
念願のデジタル一眼レフを購入しました。
私が初めて一眼レフカメラを買ったのは
もう40年近く前、高校1年のときでした。

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カメラ好きの叔父に連れられ推薦されて買ったのが
ニコンの「Nikomat」。確か値段は45,000円くらいで
私にとっては初めての大きな買い物でした。

昔のカメラは非常にがっちりしていて、重さは1キロを超え
一日肩にかけているとヒモが食い込み痛かったほどです。
またスイスのユングフラウヨッホで滑って転び氷の地面に
したたか打ちつけたときも、少しへこみはしたものの
機能には全く異常はありませんでした。

その十数年後、ミノルタがオートフォーカスの一眼レフを開発し
新しいカメラの歴史を作りました。
その少し後に買ったのがキャノンのオートフォーカス機「EOS 650」です。

それからしばらくしてコンタックスの「CONTAX G1」を買いましたが
ズームなどの交換レンズの種類が少なかったので
再びキャノンの「EOS 55」を購入し、重宝に使っていました。

21世紀、IT技術がついにフィルムカメラの時代を終焉させました。
今回デジタルの一眼レフの機種を選ぶとき
基準にしたのが今持っているキャノンの交換レンズが
そのまま(焦点距離も変わらず)使えるということ。

そうして消去法で行くと「EOS 5D」ということになりました。
(実は発売から2年が経ち値段が安くなったのが本当の理由です!)
これから名機に恥じない芸術的?な写真が撮れるよう
腕を上げていきたいと思います。

(社長)

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              CANON EOS 5D

ジェクトの禁句

  • 2008年5月 1日 15:42

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最近私が朝礼で話したことがポスターになり
社内の各部署に貼り出されました。

・・・「できない」と言ってはいけない・・・

私たちは簡単に、あるいは無意識に
「それはできません」と言ってしまうことがあります。
でもそれはどう工夫しても、逆立ちしても「できない」のではなく
考え方や、条件を変えれば「できる」ことがその99%なのです。

社員がお客様に、社員が他部署の人間に・・・
「できません」と言われた方はそこで途方にくれ
二の句が継げなくなり、コミュニケーションが断絶します。

その結果、お客様には不快な思いをさせて
最悪の場合は仕事を失ってしまいます。
社員同士でも言われた方は仕事がそこで停滞し、かつ
「あいつは無責任だ」というような悪い感情のみが残ります。

ものごとを進める過程で困難なことに遭遇したとき
できない理由を雄弁に語る人間を時たま見ることがあります。
しかし、できない理由と同じ数のできるための方法もあるはずで
常にそのように前向きに考えていく習慣をつけて行きたいものです。

ジェクトでは「できない」は禁句です。

(社長)

中原堰

  • 2008年4月25日 21:35

市内の宮前区から高津区を通って
多摩川に流入している平瀬川という川があります。
江戸時代にこの川から今の中原区へ
農業用水を引くために「中原堰」と呼ばれる施設が
現在の溝の口駅から約200mのところに作られました。

ここから取水された用水は新城、下小田中、上小田中
の農地を潤しましたが、水田の減少と共に川も荒廃し
やがて姿を消しました。

近年、川崎市はこの上に駐輪場を計画しましたが
この堰の保存を要望する郷土愛好家のグループの声に応えて
堰を壊さずにそのまま埋め戻してその上に説明板を設置し
今月23日にそのお披露目式がありました。

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当社では昨年行われた取水口の遺構の発掘調査や
説明板に載っている当時の堰の様子を描いた絵図の作成に
協力させていただきました。

堰は高津にあるのですが
大正時代には中原の人々の手により
立派なコンクリート製のものに改築されました。

側壁に埋められていた、当時の中原村の村長はじめ
5人の中原の建設委員の名が刻まれた石版を見ると
地元へ命の水を引き込むために費やしたであろう
様々な労苦を想像することができます。

(社長)

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