市川社長のブログ
東京国際フォーラム
- 2009年4月 8日 18:34
先日、当社が加盟している「ITG」という
建築会社と店舗出店情報を結ぶネットワークの
フォーラムが有楽町駅前の
「東京国際フォーラム」でありました。
建築会社がテナント情報を持っていないと
受注を失する事態になることがあります。
「テナントを探してくれた会社に建築を頼みたい」
というオーナーの要望がよくあるからです。
当日は100社を超えるテナント出展希望企業と
当社のようなITGネットワークに属している
全国の会員企業60社が一同に会し情報交換をしました。
会場の東京国際フォーラムは
東京都庁が新宿に移転した跡地に国際コンペで選ばれた
ラファエル・ヴィニオリという米国の建築家の設計により
1997年にできた総合文化施設です。
ガラスの外壁面にある小さな入口から中に入ると
まるで豪華客船の船底に迷い込んだような感覚で
眼前に高さ60mの巨大な吹き抜けが広がります。
1957年に完成した丹下健三設計の
旧都庁舎を解体したのはとても惜しい気がしますが
このような超一等地で建物を楽しみながら私たちが
会議ができるという「東京の文化度」は認めざるを得ません。
昼休みに外へ出て、いま話題の東京中央郵便局まで
歩いてみました。1933年にできたこの建物を
本当に鳩山さんが保存する気があるのなら何故
今ごろ突然言いだして、しかも途中で妥協したのでしょうか。
私は「部分的に残す」とか「外部の意匠をまねる」
という手法が「歴史的建物保存」とイコールになっている
風潮をたいへん残念に思っている一人です。
(社長)
入居者交流会
- 2009年3月31日 18:58
当社は賃貸用の建物を建築することと
住宅を探している人にそのお部屋を紹介することが
主要の業務になりつつあります。
今まではお部屋が満室になればそれで十分なのですが
さらに入居された方がより快適な暮しが送れるよう
出来ることはないだろうかと考えました。
例えば、お隣同士顔を合せたとき気持ち良く挨拶する
というような入居者のコミュニケーションが
良くなるために何か出来ることはないか・・・
当社が自社物件として建築し、1月から入居が始まった
「タウントートⅢ」の入居者に呼びかけて
先週末、当社と入居者の交流会を開催しました。
目的は3つ、1つ目はオーナーとして
入居された皆さまへの感謝の意を表わすこと
2つ目は住んで建物に不具合な点があれば聞かせていただくこと
3つ目が入居者同士の親睦のきっかけを作ることです。
初めに私がご挨拶し、当社のスタッフ紹介のあと
入居者の方にそれぞれ自己紹介をしていただきました。
懇親会が始まってから、建物についてのご意見を伺ったところ
いろいろな感想が次々と出てきました。
例えば「靴のサイズが29cmで横にしないと
下駄箱に入らない」すると別の方が「28cmだけど
少し横にしないと入らない・・・」
下駄箱は何cmまでのサイズを想定しているのか
関係者は誰もわかりませんでした。
アルコールのせいか参加者同士の会話も盛り上り
建物についてのご意見を聞くという目的も十分達成して
初めてのこの試みは成功裏に終了することが出来ました。
(社長)
つくし保育園
- 2009年3月27日 20:15
当社で施工していた「つくし保育園」が完成し
昨日その内覧会がありました。
元々、川崎市営の保育園だったものを
今回民営化されて「川崎市社会福祉事業団」が
保育業務を受託して、建物も改築されて
この度開園の運びとなりました。
阿部川崎市長が来賓として駆けつけ
「川崎は毎年人口が2万人増加している。
この施設は民間開放として32番目で
今後も市として子育て支援を強化していきたい」
という祝辞がありました。
この民営化で園児も90人から120人に増え
公営では出来なかった0歳児保育や
緊急時の一時保育が可能になるとのこと。
昭和60年に設立されたこの事業団は
これまでに保育園以外にも特別養護老人ホームや
グループホーム、身体障害者などの施設を
運営している社会福祉法人です。
市長の言うとおり保育園の整備に市は力を入れていますが
それでも市内には希望しても入園できない待機児童が
まだ数百人いると言われています。
以前OECD加盟30カ国を対象とした女性就業率の調査があり
25~54才での日本の就業率は男子が93%に対して
女子は67%とトルコ、メキシコなどに続いて
下から7番目の低さだったそうです。
人口が既に減少に転じている日本の中で
女性の労働力はたいへん貴重で、就業率向上のためにも
今後さらなる保育施設の拡充が望まれます。
卒業式
- 2009年3月20日 18:47
昨日、川崎市立大戸小学校の卒業式に
出席しました。この学校は
当社が数年前に校舎の改築をした学校であり
かつ私が卒業した母校でもあります。
先ず卒業生は会場の体育館のステージから5人ずつ現れ
段を下りて各々の席に着きます。そして
たんぽぽ学級(特殊学級)の5名の卒業生から順に
141人が菊池校長から卒業証書を授与されました。
終了後、校長先生が挨拶され、壇上にある
「一期一会」と書かれたものを指して
「会う人に対しては最高のもてなしを、中学に入って
出会える人との縁を大切に」というはなむけの言葉を送りました。
そのあと、全員がステージの前に整列し
6年間にあったこと、中学への希望と抱負などを
一人ずつ順番に次々と大きな声で短い文を繫いで
お別れのことばとして発表しました。
そして最後は「巣立ちの歌」を手話付きで大合唱。
『花の色 雲の影
懐かしい あの想い出
過ぎし日の 窓に残して
巣立ちゆく 今日の別れ
いざさらば さらば先生
いざさらば さらば友よ
美しい 明日の日のため』
私はそれまで卒業式は「仰げば尊し」でなければ
と思っていましたが、たいへん素敵な曲で
6年間の万感の思いを胸に涙をこらえながら歌う
児童たちの心情が溢れ出て
それを見守る先生や保護者も
ハンカチを目に当てずにいられない場面です。
式が終了、たんぽぽ学級の卒業生から元気に退場していきます。
私は一瞬、親御さんはこれをどんな思いで見ているのだろうと考えたら
5人のうしろ姿を最後まで正視することが出来なくなりました。
(社長)
早春の京都(2)
- 2009年3月17日 13:59
私たちは昼間、いくつか古寺を散策したあと
宮川町の料理屋で夕食をとり、お茶屋へ。そこで
舞妓や芸妓さんと遊ぶという稀有な機会を得ました。
京都には「五花街」といわれるお茶屋がある花街が
五つあり、現在約100人の舞妓さんがいるそうです。
宮川町もそのなかのひとつです。
昔、舞妓さんは中学のころからお茶屋に起居し
日本舞踊、端唄、三味線、清元などを習いながら
学校に通ったそうです。
たいてい二十歳で芸妓さんになるのですが
それまでの費用はお茶屋の「お母さん」がすべて負担。
無給で月二回のお休みのときお小遣いがもらえます。
芸妓さんになると島田のかつらを着用しますが
それまでは地毛で日本髪を結い、それを結い直すのは
1週間に1度、寝る時は形が崩れないよう箱枕を使います。
日本髪は町を歩いても目立つので
自然と立ち居振る舞いも淑やかになり
この髪型を結い続けるのも修行のひとつだそうです。
また1年未満の舞妓さんは口紅を上唇にしません。
もし不調法をしてもお客さんはそれを見て
新米だということが分かり、大目に見てもらえます。
今舞妓さんの応募は全国からあり、その時の芸妓さんは
横浜出身で、オーストラリアのホームステイ先で
日本の掛け軸を見せられ、全く読めなかったことがあり
それから日本文化を猛烈に勉強し、それが高じて、
この世界に飛び込んだという経歴を話してくれました。
数百年前からある日本の特上の接待文化の継承が
京都以外の多くの若者によってされている-
これが「伝統」ということなのでしょう。
(社長)
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