市川社長のブログ
倫理法人会
- 2009年7月31日 13:49
当社では、昨年から毎日の朝礼で「職場の教養」を
読んでいることは、以前のブログ(2008年4月)で書きました。
「職場の教養」は、社団法人倫理研究所が出している冊子で
一日ごとに違うテーマがあり、1ヶ月分で1冊になっています。
取り上げられているテーマは、人が生きていく上で
また仕事をしていく上で欠くことのできない基本的なこと
例えば、明朗な挨拶、仲間の協力、他人への気配り・・・
等について、具体例をあげて分かりやすく書かれています。
この冊子は全国で毎月150万部発行されていますが
全国の各地域にある「倫理法人会」という組織に先ず入会し
それから購読するというのが順序で、当社が所属した
川崎地区の倫理法人会では、毎週金曜日の朝6時30分より
「経営者モーニングセミナー」が開かれています。
私はセミナーに最近まで参加したことはなかったのですが
先日会長さんが来社されセミナーへの参加と、そこで何か
話をするよう依頼され、簡単に引き受けしましたが
セミナーに参加してみると講師のお話は教訓に富むものばかりです。
私は自分のこと、会社のことを話すしかなく
実は今朝「地域限定の顧客満足の経営」というテーマで
当社の沿革、企業理念と行動基準、「職場の教養」の活かし方
清掃による地域貢献など、約40分お話をさせていただきました。
結果としてこのスピーチを考えることが、当社の進むべき方向や
その実践について再確認することに繋がり、まだまだ現状では
実行されてない多くのことがあるこに気づき反省しました。
倫理法人会の目的には「実行によって直ちに正しさが証明できる
倫理を基に経営者の自己革新をはかり、心の経営をめざす人々の
ネットワークを拡げ・・・」とあります。
「計画」も大切ですが、それを「実行」するために
今後も自己革新をはかっていくこと・・・
これが今回のセミナーを通して私自身が得た大きな収穫でした。
(社長)
日本橋界隈
- 2009年7月22日 08:07
先週末から今週にかけて用事で
日本橋へ何回か足を運びました。
2つのデパートと日本舞踊の浴衣ざらいを見るためです。
日本橋というと商業の中心地というイメージですが
ビル郡の中の思わぬ一角に小さな席亭があって
何かほっとさせるものがありました。
デパートの老舗といえばやはり三越。
1673年にできた間口9尺の呉服店「越後屋」がその発祥で
1914年には日本で初めて「デパート」として営業を始めました。
エスカレーターの設置も日本初で、今の建物はその後増築し
1935年(昭和10年)に完成したものです。(写真下)
これに対し高島屋は1831年の京都の木綿商が始まりで
今の日本橋店の建物は1933年の建築です。(写真下)
現在の売上は約8,400億円と三越を凌いでおり
1969年(昭和44年)には日本初の郊外型デパート
玉川高島屋を開店させました。田園都市線が溝口から
長津田まで延長されたのが1966年なので
高島屋の先見性を感じさせます。
三越の並びには1929年完成の重厚なコリント式の三井本館
その隣は再開発されて39階の三井タワーができ(写真下)
30階以上はマンダリンオリエンタルホテルが入り
雰囲気が少し「丸の内風」になったような気がします。
日本橋が初めて架けられたのは1603年の木造橋で
広重の浮世絵でも有名です。当時この界隈は多くの店が
軒を連ね、江戸でも最も賑わいのある場所だったのでしょう。
今は橋の上を走る高速道路で風景が切り取られ
その面影もないのは残念と言うほかありません。
道路を撤去すると5000億かかるそうですが
道路を作るときに江戸・東京の原点ともいうべき
風景の保存を考えた人は誰もいなかったのでしょうか。
(社長)
フィオーレの森
- 2009年7月17日 20:35
南武線の溝口駅の南口を出て
洗足学園方向に暫く歩いていくと
洗足の向かいの小高い丘にスペイン瓦葺の店舗や
それを見下ろす瀟洒な建物が2棟見えてきます。
そこは「フィオーレの森」という
元々この辺を所有している三富さんという方が
運営している商業施設とマンションです。
2頭のライオンの石像を見ながらゲートを通ると
右手にカジュアルなフレンチレストランがあります。
そして中庭越しに正面に見えるのがフォーマルな
イタリアンレストランです。
先日ここで私の父の米寿のお祝いを行ないました。
この界隈で雰囲気の良くてちょっとしたパーティができる
飲食施設は「フィオーレの森」以外にあまりなく
最近ここを利用する回数が増えてきています。
よほど評判がいいとみえて
日曜日はほとんど結婚式のパーティで貸切で
予約がなかなか取れない状態です。
そして店舗以上に特徴があるのは
「パレス・ド・レオナール」という建物です。
エントランスを入るとギリシャ彫刻のニケ像に先ず驚きます。
(3000年前のもの?本物ならいくらするのでしょうか)
ホールの床は茶系の代理石貼り、堅木を使った
幅木やドア枠、織り上げ天井のシャンデリアなど
まるで19世紀のヨーロッパの邸宅をそのまま移設したような
格調の高い建物でこの辺では見たことがない仕様です。
この1階には「星のサロン」というしゃれたティールームまであり
私は個人の行なう「土地の有効活用」で、ここまで住宅も店舗も
洗練され、一つのコンセプトが貫かれている例をほかに知りません。
(社長)
松 島
- 2009年7月 6日 10:52
日本三景のひとつ、宮城県の松島に
行って来ました。私にとって初めての訪問です。
仙台から仙石線に乗り換え、約40分で
松島海岸駅に到着します。
まず遊覧船に乗って松島湾内の観光に。
出航するとすぐに数十匹のかもめが
乗客の撒く餌ほしさに船を追いかけてきます。
数十の島々の中にはそんなに大きく見えなくても
人が住み学校まである島があるのは意外でした。
瑞巌寺(写真上)は駅から数分のところにあり
現在のものは伊達政宗が1609年から5年の歳月をかけ
完成させたもので、庫裏が国宝に指定されています。
瑞巌寺を出て右に折れると円通院です。
現地ガイドによると松島に来る観光客でここを訪れるのは
その2.5%とのこと。結果からいうと大正解でした。
入口からすぐ左手に松島湾とその島々を模した石庭(写真上)があり
さらに奥へ進むと重要文化財の三慧殿(写真下)があります。
これは伊達政宗の孫の光宗が19歳で夭折したことを悼んで
建立されたもので、中にある厨子には正宗がヨーロッパに派遣した
支倉常長が持ち帰った様々な文化がデザインされています。
鎖国令が施行されていたこの時代に万一見つかったら
お家取り潰しものだったそうで
ローマを象徴するバラやトランプの模様、そして十字架が
ちょっと見ただけでは分からないように描かれています。
幕府に対しては伊達家の霊廟だということで
350年間その扉は閉じられたままでした。
それを初めて行って見られるのは幸運でした。
この仏教寺院には何とバラ園まであり
幕末の開国の約250年前にヨーロッパとの交流を夢見た
伊達政宗という風雲児に特に興味を持つようになった旅でした。
(社長)
成 城
- 2009年6月30日 07:54
いま当社では世田谷の成城で鉄筋コンクリート造の
個人住宅の工事を施工しており
引渡しが近くなったので現場を見てきました。
小田急・成城学園駅を北側に降りると
学園の正面へ出る大きな並木のある道に出ます。
それを学園とは反対側の左に折れて
2本目を右に曲がるとまもなく現場です。
正面が成城学園
住所は成城6丁目、この街の中でも
最も高級な邸宅が並んでいる区域です。
田園調布と並ぶ都内屈指の高級住宅地にふさわしいたたずまいで
街路樹の幹の太さが街の風格を感じさせます。
都内に成城中・高等学校が成城学園とは別にあるのは
知っていましたが、1925年(大正14年)にそこから分離独立した形て
成城学園ができて、さらに学園の要請を受けて
2年後に小田急が成城学園駅を設置したということは、
今回街の歴史を調べて初めて知りました。
成城は石原裕次郎や三船敏郎などの往年の大スターや
「世界の」黒澤明監督が住んでいたことでも有名ですが
これは1932年(昭和7年)に東宝撮影所ができたことも
関係しているようです。
この仕事は当社が加盟する、建築家との家作りを推進する
アーキテクツ・スタジオ・ジャパン(ASJ)「京浜川崎スタジオ」の
活動の中で受注したものです。
成城学園までは意外に近く、電車で行っても
会社から現場まで30分しかかかりませんが
ASJへの加盟がなければ、成城エリアでの住宅工事の受注は
実現しなかったでしょう。
加盟してちょうど2年、今後も建築家とデザイナーズ住宅を
希望する方を結びつける活動を広げていきたいと思います。
(社長)
成城学園入口付近
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