市川社長のブログ
ラナイ島の旅 (2)
- 2009年11月20日 20:10
私たちが泊ったロッジと海辺のホテルとの間は
1時間に2本のシャトルバスが運行されています。
島内にはタクシーがないのでこれが宿泊客の唯一の交通手段です。
ロッジからバスで5分のところにラナイ・シティという
島内唯一の町があります。といってもお店は
細長い公園を挟んで両側に20軒くらいあるだけ(写真下)。
その中のマーケット(写真上)で買い物をしていたとき
「日本の方ですか」という声がしました。
ミッシェルという女性で話してみると座間の米軍キャンプに
4年いたことのことですが、その割にはとても滑らかな日本語です。
町のギャラリーに勤めているので是非寄って、と言われたので
訪ねてみました。(写真上)そこで紹介された店主のマイク・キャロルは
シカゴ出身の画家で、10年位前にラナイ島に遊びに来て
その魅力に取りつかれ、シカゴを引き払って移住したそうです。
いつも笑顔を絶やさないたいへん温和そうな人柄です。
その翌日ホテルの一角で絵画の展示即売会が行なわれているので
覗いてみるとそこにいたのは、にこやかなキャロルさんでした。
最後の日はジープを借りてドライブしようと思いましたが
前夜に雨が降り、大半が舗装されてない島内を走るのは無理なので断念。
そこで地図をよく見ると海辺のホテルから歩けそうなところに
「Sweetheart Rock」というポイントが記されていたので
パラソルの並ぶ砂浜を通り、海沿いに岩場を上がって行きました。
すると急に目の前が断崖になり、その先は大海原が広がる絶景です。
ドライブをしなくてもこんな風景が見られるとは何と運がいいのでしょう。
また不思議なことは、このような場所に誰もいないのです!
帰ろうと下り始めたところでやっと一組とすれ違いました。
ホテルの宿泊客はここを知らないのでしょうか?
そこに何時間でもいたくなるような素晴しい場所に人が全くいない!
こんな信じがたい島が「ハワイ最後のパラダイス」ラナイ島です。
(社長)
ラナイ島の旅 (1)
- 2009年11月18日 19:01
「ハワイ最後のパラダイス」と呼ばれている
ラナイ島は、大きさがホノルルのあるオアフ島の約4分の1で
人口はわずか3,000人の島です。(ちなみにオアフ島は約90万人)
今の環境と全く違うところに短期間でも移動することで
心身ともリフレッシュを図りたいと思い
時間をやり繰りして先週、妻とラナイ島を訪れました。
海辺には「マネレ・ベイ」 山のふもとには「ザ・ロッジ・アット・コエレ」
という2つの素晴しいフォーシーズンズ・リゾートがあるだけで
その他は未開発の原野がほとんどです。
私たちは標高480mの丘にある「ロッジ」の方に泊まりましたが
広大な芝生とノーフォーク・パインという高く空に伸びた松に囲まれ
涼風の吹くこのホテルはまるで高原リゾートのようです。
ガイド付きのハイキングがあったので申込みましたが
参加者は私たちのほかは無く、2m近い身長のジョーの専用ガイドで
ホテルから約2時間のハイキングを楽しみました。
山の頂上近くになると急に視界が開け
マウイ島とモロカイ島が渓谷越しに見えたときの気持ちは
ちょっと言葉には表わせないほどで
ずっとそのままそこにいたい、という感覚に包まれました。
ジョーは私のカメラを見て「自分のと同じCANONだ」と言って
自分のフォトサイトのカードを私にくれました。 →http://joewestphoto.com
翌日ホテルで行なわれたカクテルパーティーに顔を出すと
ホストの一人にジョーがいるのでまずビックリ。
そしてホテルでラナイ島のガイドブックを買ったら、その中に
「フォトグラファー・ジョー」の名を見つけて2度ビックリ。
「ザ・ロッジ・アット・コエレ」を発つ日
三たびエントランスで彼に出会い、一緒に写真を撮りました。
ケンタッキー州出身、大男のジョーはなかなかの紳士でインテリでした。
日本のこれから
- 2009年11月 8日 18:47
昨日ロータリークラブの地区大会が開かれその中で
「日本のこれから」と題した藤原正彦・御茶の水女子大
名誉教授の講演がありました。
藤原さんは2005年に出版した「国家の品格」が
250万部を超える大ベストセラーになったことで有名です。
講演は「いま史上最低の国民が日本を壊している」という
激しい現在の日本の風潮の批判から始まりました。
政治家は国民の要望は聞くな。
国民の目線で政治を行えば国が滅びてしまう。
何故かというと国民は気まぐれであり
国民を圧倒する知性で国民をリードするのが本当の政治家である。
国民投票で95%以上が支持したヒトラーの例や
戦前の「鬼畜米英」が戦後はすっかり民主主義に変った
我々日本人の例を挙げて説明しましたが、その内容の賛否はともかく
これだけストレートな主義主張を最近聞くことは珍しくなりました。
今の大学生に日本はどんな国かを聞いてみると
「恥ずかしい国」と思っている学生が少なくないのには驚くが
歴史的に見て日本の文学、芸術、数学は欧米に引けを取らないどころか
西暦500年から1500年までの1000年間で考えると
その間の日本の数々の文学作品に比べられる世界の文学はわずかしかない。
また数学でも理系の大学生がまず習う「行列式」について言うと
江戸初期に生れた関孝和が独学でその概念を考え出したそうで
調べてみると「微分・積分」についてもヨーロッパより少し前に
彼が一歩手前までたどり着いたことも分かりました。
藤原さんが文部省の審議委員をしていたとき、指導要項に「丁寧な指導」のあとに
「厳しく」の文字を入れたほうがいいと発言したら、大御所の先生が
「厳しくすると児童の心が傷つく」と言われて唖然としたとか。
今の学校の教室には教壇がないそうです。
教壇があると先生が生徒の一段上から見下すことになるから・・・
日本のこれから、私たちはもう少し自信と誇りを持っても良いのではないでしょうか。
(社長)
稲刈り
- 2009年10月31日 19:26
「収穫の秋」といえば、私たち日本人が想像するのは
やはりたわわに実った稲穂を刈ることではないでしょうか。
私が小さい頃には田んぼが普通の風景だった武蔵中原周辺も
最後の水田が姿を消してからもう20年くらい経ちました。
だから今の子供たちは、お米がどのようにできるのかを
田舎に行かなければ見たことがないはずです。
マンションへのコンシェルジュの派遣を主な仕事としている
株式会社アスクでは、入居者へのサービスの一つとして
「稲刈り体験ツアー」を実施しているというので
今日、山梨県・小淵沢で行われた催しに参加してきました。
久しぶりで見る田んぼは、八ヶ岳を背景に濃い黄金色の絨毯を
敷き詰めたような光景で、何とも言えないような美しさを感じました。
農家の方から鎌の使い方を教わり、左手で稲下の方を押さえて
右手で一気に鎌を回すように引くと初めてにしては見事に?
1束刈ることができました。
これを休まず3~4束続け8束くらいを一つにして藁で縛り
それを下の写真のように二つに分けてぶら下げて約1週間天日で干します。
今はほとんど機械で刈り取るのでこのような稲刈りはしないそうです。
機械と人力で効率がどのくらい違うか聞いて見ると
目の前の2反(600坪)の田んぼだと機械で刈ると40分で終わり
人間では8人でやって1日かかるそうです。
ただ、手間ヒマがかかっても、コシヒカリなどのブランド米は
このように手作業で刈り取りから天日干しまで行っているとのこと。
最後に「今日は刈るところまでは100点だったけど、後片付けが
できてないので60点」という農家の方のやや厳しい講評。
刈った束は全部吊るしたつもりだったのですが
まだ稲穂の付いているものがいくつも落ちていたのです。
これを拾うのが「落穂拾い」ということを教わり
最後にこれを集めて、稲刈りの初体験は無事終了しました。
(社長)
研究グループ交換 (2)
- 2009年10月20日 19:34
ブラジルからのGSEチームの担当が
今日のお昼で川崎から横浜のロータリークラブに
引き継がれました。
川崎地区が担当の1週間を無事終了することができ
ホッとするとともに、振り返って見ると多少の苦労はありますが
なかなか楽しいものでもありました。
苦労というのは、その期間の来日メンバー5人の
ホームステイ先を決めることと
企業等の訪問先、研修先を決めることです。
決ってしまえば当日の案内は会社の人がやってくれますので
多少視察を楽しむ余裕もできます。
先週はJFEスチールを訪問、溶鋼を圧延して
厚さ25cm長さ50mの厚板を作る過程を始めて見学しましたが
雷鳴のような凄まじい音響で、直径1.2mの数十本のローラーの上を
50mの厚鋼板が移動するさまに度肝を抜かれ
世界第5位の製鉄所のダイナミズムに感動しました。
川崎にはエレクトロニクスの大手企業がたくさんあり
今回も富士通、東芝ほかを訪問しましたが
一方、昨日訪れた東京電力の火力発電所(写真上)など
市内には世界に誇れるような重厚長大型の企業が存在していることを
今回メンバーに同行してあらためて認識させられました。
企業訪問の合間を縫って日本文化に触れる体験も好評で
生け花は、中原の小川慶一さんの教室に行って
一流の作品の創作を見るだけではなく、自らチャレンジもしてもらいました。
あるメンバーに、「来る前に考えていた日本と、実際来日してみて
何が一番違っていたか」と質問をしたところ、返ってきたのは
「日本人は冷たい印象があり、ホームステイも実は心配していたが
来てみるとみんなが素晴しく親切で、そこが想像と違った」という意外な答で
うれしい反面、国際交流をもっと広げていく必要性を実感しました。
(社長)
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