市川社長のブログ
尾山台
- 2009年12月29日 12:46
先週、世田谷・尾山台のフォルクスワーゲン東京で
我が家の「POLO」の1年点検を受けました。
ちょうどこの付近の環状8号線沿いは
外車のディーラーが集中している場所です。
点検を待つあいだ、目黒通りの向こう側にある
「RIEN」という通称「猫カフェ」まで歩いて行ってみました。
ここはノルウェージャンフォレストキャットという猫の
ブリーダーだった店主が一軒家を改造して
猫好きな人が交流できる施設を作ったものです。
部屋の壁にはキャットウォークが設けられ
猫のためのリフォームのモデルルームも兼ねています。
あまり人見知りをしない猫たちは餌の匂いを嗅ぎつけると
10匹くらいさっと集ってきます。
さて大井町線の尾山台駅から環八を越えて
多摩川まで高級住宅街を下っていくと私が4年間通った
武蔵工業大学(東京都市大学に今年改名)があります。
卒業生は校名変更に反対で署名活動もしたのですが
この夏たまたま会社に来た人とした雑談の中で
「校名がカッコいいといって姪っ子が受験するそうです」
と言うのを聞いて、少子化時代に大学の存続のためには
改名もやむを得ないのか、と納得してしまいました。
大学の向かいには瀟洒なテラスハウスが建っていましたが
周辺の住宅は建替えが進み、その設計はさすがに
中原あたりとは違うデザイン性の高いものがほとんどです。
私は今まで尾山台から上野毛に続く高級住宅街は
東急による開発とばかり思っていましたが
大正12年に就任した玉川村の村長が渋沢栄一の影響を受けて
地域一帯の農地の耕地整理を始め、30年の歳月をかけて
現在の尾山台の基礎を築いたことを知ってちょっと驚きました。
もちろん当時は一帯の農地がこのような住宅地になることは
想像してなかったでしょうが、先見の明がある人はいるものですね。
(社長)
師走のコンサート
- 2009年12月22日 21:16
今月、3回足を運んだコンサートについて紹介します。
まず8日は六本木のSTB139(スイートベイジル)行なわれた
「小林明子コンサート」です。『恋におちて』で有名な小林さんは
家内の大学の同級生で、現在はロンドン在住ですが、最近
年末に日本でコンサートを開くことが多くなっています。
この日はハープをバックに自身の曲のほかカーペンターズや
クリスマスソングなどを聞かせてくれました。
その週末帰国の前日に、来日しているご主人のデイビット氏も一緒に
私たちと食事をして旧交を温めました。
次は12日のバッハ・コレギウム・ジャパンによる
ヘンデルのオラトリオ「メサイヤ」。この曲では短い
「ハレルヤコーラス」だけがいやに有名になっていますが
約3時間の演奏が全く長く感じないほど私は好きな宗教曲の1つです。
オルガンを弾いている知人の今井奈緒子さんを含む
小編成のオーケストラに18人の合唱と5人のソリストが加わり
1階の8列目という今までで一番良い席?のせいか
ソプラノが朗々と歌うと歌声がホール全体に響きわたり
人間の声の素晴しさに恍惚としてしまいました。
20日は東京オペラシティの小ホールで行なわれた
「森 正ピアノリサイタル」です。東京に住まいのある森さんは
徳島の大学で教鞭を取っていながら
定期的に都内と徳島でリサイタルを開いています。
この日はバッハのパルティータにベートーヴェンとリストの
ピアノソナタという、フルコースにステーキが2枚付いているような
メニューで、2曲目のベートーヴェンの第18番のソナタが
軽かで爽やかな感じに聞こえました。
12月はいつも慌ただしく過ぎてしまいますが
常に音楽会に行くぐらいの余裕は持っていたいものです。
(社長)
経営の見える化
- 2009年12月18日 23:06
東西線の早稲田で降りて早稲田大学の方に向かい
大隈講堂(写真下)の前を通ってさらに進むと
「リーガロイヤルホテル東京」があります。
昨日ここで株式会社武蔵野の小山昇社長の講演会がありました。
ダスキンの代理店としてスタートしたこの会社の社長に
小山さんが就任したのは1989年で、当時幹部社員16名中
3分の1は元暴走族という「正真正銘の落ちこぼれ集団」
だったそうです。
それが2000年度には天下の日本IBMと同時に
「日本経営品質賞」を受賞するまでに成長したのでした。
小山社長はすでに何冊も著書を出版しており
その中で成長の秘訣は優秀な社員がいたからではなく
「ひたすら自社を改善する仕組みを作り、改善し続けた」
からと書いています。
例えば環境整備、つまり掃除を徹底的に行なうこと。
武蔵野は月に1度、全営業所対象に環境整備点検を行ないますが
その時どこも緊迫した空気に包まれているそうです。
何故ならこの結果の賞与反映度が30%だから・・・
実は環境整備の本質は掃除そのものではなく
あくまでも「仕事がしやすい環境を整えて備える」こと。
講演では「マネすることが最高の創造」と断言しました。
多くの会社はいい方法を考えるだけで決して実行しない
3年間マネし続けるとオリジナルになる・・・
私はこの考え方に大賛成です。実は社内外の掃除の徹底や
少しでも協力してくれた部下や同僚に「サンキューカード」を
発行することなど、既にマネをしているのです。
この日は「経営の見える化」という本の出版記念講演でした。
社長の思い、お金の流れ、現場の仕事・・・の見える化のため
アウトプットはアナログでなければいけない、これも同感です。
(社長)
リーガロイヤルホテル東京
新宿御苑
- 2009年12月 6日 18:06
川崎は今では人口140万人を超える立派な政令都市なのですが
東京などと比較するとまだまだ足りない部分を認めざるを得ません。
私が考える都市の必須条件は、林立する高層ビルや
地下鉄などではなく、身近に市民が憩い集える「公園」があることです。
ニューヨークのセントラルパーク、ロンドンのハイドパークの例を挙げるまでもなく。
川崎にも確かに等々力緑地、生田緑地はありますが
いずれも交通の便が悪く、正直利用しにくいのです。
そこへ行くと東京は、代々木公園、神宮外苑、新宿御苑、駒沢公園
と枚挙にいとまがありません。
先日、フッと思いたって、晩秋の新宿御苑を訪れました。
一歩中に入ると新宿の喧騒とは別世界が広がるこの公園が私は好きです。
もともとは徳川家康の家臣の信濃・内藤家の江戸屋敷の一部で
明治12年に宮内省の管理で植物園が開設されたのが始まりです。
面積は約58ha(等々力緑地の1.3倍)外周は3.5kmで
ゆっくり歩いて約1時間、まさに大都市東京のなかのオアシスです。
たまたま御苑のすぐ近くに家内が通っているヨガの教室があり
最近等価交換方式で共同ビルに建て変ったとのことなのでそこを見学。
新宿御苑を借景にした素晴しい環境の建物です。(写真上2枚)
そのあと大木戸門から入り、フランス式庭園に向かいました。
中央にはバラ園があり両側をプラタナスの並木が囲んでいて
名画「第三の男」のラストシーンのような雰囲気です。
そこから中央の広い芝生を横切り、公園の東西に横たわる
池沿いに歩くと、旧御涼亭という中国風の建物が見えてきます。(写真下)
この建物は皇太子(後の昭和天皇)御成婚記念として昭和2年に
台湾在住邦人から贈られたそうで、そこから眺める日本庭園は
たいへん情緒のあるものです。
今回は時間が無くて半分くらいしか回れなかったのですが
久しぶりに都心部の名園の魅力を堪能しました。
(社長)
日銀本店
- 2009年11月29日 18:07
先日、日本銀行本店と貨幣博物館を見学する機会が
ありました。重要文化財に指定されている日銀の本館は
地上3階、地下1階の石積み煉瓦造りで明治29年の完成です。
日銀は明治15年に現在の日本橋箱崎町で開業しましたが
手狭になり、もともと江戸時代に小判などの金貨を鋳造していた
「金座」の跡地だった現在の敷地を購入したそうです。
設計者は東京駅の駅舎などの設計をした辰野金吾で
海外視察をしたあと、ベルギーの中央銀行をモデルに
ネオバロック様式の建物を計画しました。
「日銀」と聞くとすぐ紙幣の印刷と連想してしまいますが
本来の使命は「物価安定のための金融政策を行なうこと」だそうで
毎日金融機関との国債などの売買を通して
世の中に出回る資金や金利を調整しています。
確かにインフレ(物価が上がりお金の価値が下がる)でも
デフレ(物価が下がりお金が使われず不景気になる)でも
私たちの生活は苦しいものになり、その安定が第一目的なのです。
2階廊下には歴代の日銀総裁のいかめしい肖像画が掛けてあります。
中には小磯良平のような著名な画家によるものもありましたが
少し前から世相を反映して?予算の関係で作成は中止、白川さんのはありません。
お土産に古いお札を裁断したチップをもらいましたが
1万円札が4~5年、千円札が1,2年で回収することを聞き
お金の流通の激しさに驚きました。
向かいの貨幣博物館では、奈良時代の「和同開珎」から
現代までの変遷が学べます。16世紀までは中国銭が多く流通し
特に粗悪なものを鐚(びた)銭と呼んだそうです。
「びた1文、まけられない」がここから来ているとは知りませんでした。
また秀吉が作らせた「天正大判」は現在3000万円はするとのこと。
何となく遠い存在だった日銀が身近に感じた一日でした。
(社長)
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