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市川社長のブログ

新分野進出モデル

  • 2010年3月10日 20:00

昨年の新築住宅の着工件数は80万戸を割りました。
これは前年の2割減、ピーク時の件数の約半分で
何と昭和39年の水準まで落ち込んだそうです。
すでに日本は人口減少時代に突入しているので
景気の状況も考えれば驚くことではないかもしれません。

また川崎市の高齢化率(人口に占める65歳以上の割合)は
17.2%で、政令指定都市のなかでは最も低いのですが
20年後には約25%まで増加すると予想されています。

このような環境で今後の会社の方向性を考えるとき
避けられないのが介護・高齢者関連施設への取り組みです。
以前、上原建築設計事務所の所長さんから既に先進的に
この分野に取組んでいる会社があることを教えられ
ご紹介いただき、昨日訪問してきました。


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             瀬戸建設(株)・本社

この会社は小田原の瀬戸建設さんで、創業は明治40年
社員数は63名と沿革や規模が当社とかなり似ていますが
主力としている商品が全く違います。

当社の中心が賃貸住宅の建設・管理なのに対して
瀬戸建設さんは介護・高齢者施設の建設・運営です。
きっかけは2000年にできた介護保険だったそうです。


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それまではハウスメーカーからの発注工事や
デベロッパーがらみの仕事が多かったのですが
そのときを機に会社の方向を見事に切り替えました。

当初は施設の建築が主で運営は他社を紹介していましたが
あることがきっかけで自社でデイサービス業務を受託し
それから今まで7つの施設の運営にも携わるようになりました。

そして2005年にはこの実績を評価され、国土交通省から
中小建設業の「新分野進出モデル構築支援事業」に選ばれました。
当社も遅ればせながら瀬戸建設さんに学んで
新分野に取り組んでいきたいと思います。

(社長)

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     バーデンライフ伊勢原(有料老人ホーム)

箏とコントラバス

  • 2010年3月 4日 16:41

昨日はひな祭り。毎年この時期に行なわれている
長戸はるみさんの主催するお箏のチャリティーコンサートに
行ってきました。

長戸さんのお父様は、以前下新城の町会長をされていて
私はその頃町内会の行事等でよくお目にかかりましたが
はるみさんとは最近、ロータリークラブの活動でよくお会いします。


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コンサートは溝の口の「糀ホール」で行なわれました。
このホールは明治創業の老舗の岩崎酒店さんが
地域の音楽や文化活動のために自社ビルの最上階に
個人で創られた立派な音楽ホールです。


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今回のプログラムの中に筝曲で有名な「春の海」を
川崎出身のN饗のコントラバス奏者と共演をする演目があります。

曲の演奏の前にコントラバスについての説明がありました。
語源はドイツ語で英語ではダブルベースといいます。
全長が2メートルの割には重さは約10kgと意外に軽量。材質はスプルス
(北洋エゾ松)で弦が張ってある部分は黒檀が使われています。

またブラスバンドの構成に入っている唯一の弦楽器だそうで
ジャズの演奏にも欠かせない楽器です。

音の特徴はゆったりとした太い音が横に広がっていく感じで
オーケストラでは低音域のリズムを担当することが多いのですが
有名なシューベルトの「未完成」の冒頭はコントラバスの独奏で始まり
その演奏が披露され、曲全体の重く暗い印象を暗示していました。


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「春の海」は普通、箏と尺八で演奏されるのですが
コントラバスとの共演を聞いてみると、その音色がすごく和風に聞こえて
あたかも最初からこの楽器のために書かれた曲のようでした。

コンサートの目的は川崎自立会という更正保護法人への支援で
今回が13回目とのこと。川崎出身の音楽家が地元のホールで
日本の伝統音楽のチャリティーコンサートを続けているのは
たいへん意義のあることだと思います。

(社長)

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日吉・慶応

  • 2010年2月27日 21:02

今日、日吉の慶応大学でロータリークラブの
川崎全体のミーティングがありました。

場所はキャンパス正面の右側に
創立150年記念事業の一つとして完成した「協生館」です。
まず私たちのクラブはこの1階にある「HUB」という
ブリティッシュパブで昼食を取り、会議に臨みました。


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会場はやはりこの中にある「藤原記念ホール」です。
席数は500くらいで私たちの会議にはちょうど良い大きさで
本格的なコンサートができる素晴しいホールでもあります。

名前の由来はインターネット総合研究所の藤原洋という人が
インターネットの導入・普及期に慶応大学の果たした貢献に対して
記念事業に20億円!を寄付したことに感謝して命名されたそうです。


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巨額の寄付というとアメリカの富豪の専売特許と思っていましたが
興味を持ったので調べてみると、藤原さんは年齢は私よりひとつ下で
慶応のOBではないのには驚きました。
京大出身でIBMに入社、その後1996年に上記の研究所を創設しています。

この建物の3階以上は大学院専用のフロアですが
2階にはフレンチレストランの「クイーンアリス」があり
1階のパブやイベントホールなど地域社会に開かれた施設が
いくつも設けられています。


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慶応が日吉に校舎を開設したのは昭和9年と古く
昭和19年には工学部がここに誕生しましたが
工学部は「製紙王」と言われた藤原銀次郎氏の寄付により創設された
藤原工業大学を統合して創設されたそうです。

「慶応義塾」と命名されたのは1868年(慶応4年)で
創設以来150年、私学の雄として、経済、社会など多くの分野に
現代日本の礎となる人材を輩出し続ける慶応大学と
それを支援するたくさんの人々。日吉の慶応を訪れて福沢諭吉の
「独立自尊」人を頼りにせず、自分で考え、実行する、という精神の一端を
垣間見た気がしました。

(社長)

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河津桜

  • 2010年2月15日 17:25

友人に誘われ昨日「河津桜」を見に行ってきました。
温暖な気候の伊豆では桜前線より一足早く
さまざまな桜がこの時期から咲き始めます。


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              河津桜の原木

その中でも特に河津桜と呼ばれているものは
昭和30年頃に地元の人が偶然発見した早咲きの桜の苗を
現在の場所に植えたものがその始まりで(写真上)
昭和49年に河津桜と正式に命名されたそうです。

例年だと1月下旬につぼみを付け始め
2月上旬より花が開き、それから約1ヶ月という
長い期間ピンク色の花が咲き続けるのが特徴です。


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川べりの桜並木は伊豆急の河津駅から
天城方面に向かって約3.5kmも続いていて
お花見のウォーキングコースとなっています。

先週末は雪も散らつくあいにくの天気で
見ごろは多分1週間後くらいの感じでしたが
それでも桜は3分から7分咲きで、お花見の目的は
何とか達成できました。

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行き帰りの道路の混雑には閉口しましたが
それにしても人出の多いことにはビックリ!
学校のグランドを始め、約50ヶ所の駐車場があっても
昼過ぎにはほぼ満車のようでした。

河津町は北側が天城山、南側が下田市に接して
海辺も今井浜などの海水浴場に恵まれています。

川端康成の「伊豆の踊子」の舞台になったのも河津で
「ミス伊豆の踊子」はともかく、この小説にゆかりのある宿や
文学碑が湯ガ野温泉まで行くと見られるようです。


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今度来るときは「天城越え」をして湯ヶ島、修善寺まで
足を延ばしたいと思いました。

(社長)

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富士通橘会

  • 2010年2月 8日 20:53

先週「富士通橘会」の賀詞交歓会がありました。
この会は、中原区周辺で富士通及びその関連会社に
独身寮や事務所などを貸している大家さんの集まりで
26人のオーナーが会員です。


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当社も高津区子母口にある「富士通第6新城寮」という独身寮
(写真下)を昭和63年から借りていただき、会員になっています。

この建物は6帖に押入れが付いた部屋が約70ほどあり
大きな食堂とお風呂、トイレが共同で、管理人が常駐する
いわゆる「寮タイプ」と言われる建物です。

富士通は昭和50年代後半から毎年新卒を
3,000人以上採用するようになり、新入社員の寮として
中原の本社の周辺に地主さんと折衝してこのような独身寮を
次々に建築してもらい借り上げていきました。


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建物は全く富士通の要望通りのものを作るので
おそらくほかにはつぶしが利きません。したがって
賃料は当時としては破格の、延床当り坪7,500円で
単純利回りは15%くらいになっていました。

それと借上げ条件が良かったもう一つの理由は
昭和40年代後半、富士通は石油ショックのあとに
中原地区で借りていた寮を一斉に中途解約したことがあり
それに懲りて「もう富士通には貸さない」と言う
地主さんが何人もいたからです。

そんな苦い経験があるので、オーナー側も富士通と交渉するときは
団体でできるようにという意味もあって富士通橘会が結成されたのです。
当社の建物は契約期間の10年をとうに過ぎてもう23年になりますが
おかげ様で引き続き借りていただいています。

来賓で出席された富士通の厚生部長さんから
「今期の予測は売上4兆7千億、経常利益750億」という
この不況下では大健闘の成績を聞き、会員一同ホッとしていました。

(社長)

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