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市川社長のブログ

馬車道

  • 2010年5月29日 13:44

今週、帝国データバンク横浜支店で
ホームページに関するセミナーがあり参加しました。
当社には建築と不動産の2つのサイトがあり
特に今、お部屋探しの手段の第1位はネット検索なので
ホームページのSEO対策を常に考えています。

更新を頻繁にすることは大切な要素で
実はこのブログを始めたのもその対策からだったのです。
また自社と関連性のあるリンクを多く張っていると
評価されて順位が上に行きますが、何でも度が過ぎると
(これをスパム行為と言うそうです)今度はマイナス評価になって
極端に順位が下げられ、最悪な場合は登録抹消されるとのこと。

また歴史の長いものは評価が高く、当社の最初のホームページは
当社の女子社員が平成10年の末頃に手作りで開設したもので
それから今年12年目になりますが長さの評価はどうなのでしょうか?

ところでセミナー会場はみなとみらい線の馬車道駅の近くで
その周辺で歴史的建造物と呼べるような建物をいくつも見かけました。


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まず昭和11年建築の日本郵船横浜支店はコリント式の列柱が
立ち並ぶファサードが圧巻ですが、事務所建築としての現代性も持ち
それが古典的な意匠と見事に融合し、真に魅了的な建物になっています。


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交差点の角にある建物は昭和4年築の旧富士銀行横浜支店で(写真上)
現在は東京芸大大学院の映像研究科の校舎になっています。


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その先に周囲を威圧する重厚な建物があるのに気がつきました。(写真上)
「神奈川県歴史博物館」で、これは明治37年に横浜正金銀行本店として
建てられたもので、関東大震災でドーム部分は壊れたものの建物は無事で
戦後は東京銀行横浜支店、昭和42年からは博物館として利用されています。


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馬車道駅から地上に出た正面に横浜第二合同庁舎があって(写真上)
よく見ると後ろの高層建築と繋がっています。大正15年に建てられた
横浜生糸検査所が元々の建物で15年前に改築され、外観を復元したものを
高層棟にくっつけた形になっています。新丸ビルなどもそうですが
私はいかにも古い建物を保存したように見せる改築には納得がいきません。

(社長)

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             地下鉄馬車道駅構内


渋 谷

  • 2010年5月23日 17:26

先日、渋谷の宮益坂で研修会があり
少し時間があったので駅の周辺を久しぶりで歩きました。
私は中学、高校と渋谷を経由して学校に通っていたので
ほかの駅にはない格別の感慨が渋谷にはあります。

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渋谷・・・私が渋谷という街を認識したのは
さらに小学校に入った頃までさかのぼります。

その頃、親に連れて行ってもらう遊園地といえば
まず「多摩川園」でした。そして何回に1回かは
東横線で渋谷まで足を伸ばして、「渋谷食堂」という
各フロアが全部食堂のビルで食事をした記憶があります。

東横線を下りて渡り廊下を行くと右に東急文化会館があり
9階のプラネタリウムは親に連れられて行ったときのことと
時が経って子供たちを連れて行ったときの思い出が交錯します。

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            解体前の東急文化会館

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           現在の東急文化会館跡地

映画館は座席数が千を超える1階の「渋谷パンテオン」が
子供心にも立派に感じました。地下1階には入場料10円で
ニュース映画だけを上映していた「東急ジャーナル」がありました。

そして6階の「東急名画座」はロードショーが330円のころに
入場料が確か100円位で学校の帰りなどよく寄りました。
私にとって渋谷の象徴だった東急文化会館は2003年に閉館し
渡り廊下と東横線の駅舎だけが昔の面影を保っています。

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       当時の東急名画座マンスリー(月間予定)

今、文化会館の跡地は地下鉄副都心線が東横線に乗り入れる
2012年に向け、新駅建設のための工事ヤードになっています。
そのあとは商業施設や本格的なミュージカル劇場を含む
33階建ての再開発ビルが建設されるとのことです。

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             東横線との渡り廊下


数年後、渋谷駅周辺は一変することでしょう。
私が約50年慣れ親しんだ風景が無くなることは想像したくないのですが
その代わり新副都心線で武蔵小杉から池袋までが直通になり
中原地区はさらに交通の便が良くなるので、それに比べれば
個人的な感慨が多少失われても仕方がないのでしょうか?

(社長)

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             東横線・渋谷駅ホーム


北 斎

  • 2010年5月12日 16:25

日本橋の旧東急デパート(現在は「コレド日本橋」)の
向かいに「榛原(はいばら)」という和洋紙や紙製品を
扱っている老舗があります。

創業は文化三年(1806年)と古く、明治時代には榛原が
初めて和紙を外国に輸出し、また洋紙を輸入したそうです。


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1800年後半のウィーン万博やパリ万博にも和紙を出品し
榛原製和紙は、イギリスやフランスの美術館にも今も保存され
またこの締結により戦争状態が正式に終了したとされる1951年の
サンフランシスコ講和条約に使用された巻紙は榛原製だったそうです。


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この8階のギャラリーでは北斎の復刻版画展が開催中でした。
北斎や広重などの浮世絵で世界的に有名な江戸時代の木版画は
幕末から明治にかけてそのピークを迎えたあと衰退していきます。


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いま東京都では失われつつある41の伝統技術工芸を選び
「東京都伝統工芸品」の指定をしていますが、江戸の木版画は
2007年に経済産業省からも国の伝統的工芸品に指定されています。

木版画は原画を描く「絵師」、それを元に木版を彫る「彫り師」
木版に絵具を塗って摺る「摺り師」の三者で初めて成り立ち
会場では北斎の有名な「赤富士」を摺り師が実演して
江戸時代の素晴しい浮世絵を現代に蘇らせていました。


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展示のなかに私は日本各地の滝を題材にした全8図の
「諸国瀧廻り」という復刻シリーズを見つけました。
このさまざまに流れ落ちる滝の表情はどうでしょう。
構図の多彩さや強調された曲線や直線の抽象的な表現など
北斎の天才、独創性をあらためて感じました。


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             木曽海道小野ノ瀑布(右)


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        同  上(部分拡大)


江戸期に制作したものではなくても、当時の伝統技法で
摺りあがった北斎の木版画が、店員に聞いてみると
1万円ちょっとで手に入るのです。これは安い!

そのうちに欲しいなと思っていたら「残りはあと1部です」
と言われて結局この8枚の連作を買ってしまいました。

(社長)

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         下野黒髪山きりふりの瀧(部分拡大)


丸の内界隈

  • 2010年5月 7日 19:44

大型連休は東京散歩に限ります。
まず3月13日に開業した横須賀線の武蔵小杉駅から
初めて電車に乗って東京駅へ。所要時間は17分
本当に便利になったものです

ただ南武線の小杉駅からは公称で横須賀線ホームまで8分
私の足で6分かかりました。また上りの電車の本数は
昼間の時間帯で1時間に6本で、その内の2本は
成田エクスプレスなので、平均15分に1本というところです。


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成田空港までは77分。今までは電車だと少なくとも
3回乗り換えたのが、小杉駅から空港まで直通というのは
感覚としてまだピンと来ない感じです。

東京駅は1914年に完成し、1945年空襲のため破壊されて
その後改修された形のまま使われていましたが
現在開業当時の姿へ戻す改修工事が大規模に行なわれています。


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丸の内は江戸城ができる前は東京湾の一部の入江だったそうで
それが埋め立てられて大名屋敷などができて、明治維新後は
岩崎弥太郎に売却され、そこには三菱グループの赤煉瓦の建物が
次々にできて「一丁ロンドン」と呼ばれました。

その先駈けはイギリス人建築家のコンドルが設計して
1894年にできた三菱一号館です。この建物は1968年に
解体されたのですが、昨年忠実に再建築されて
「三菱一号館美術館」として先月オープンしました。


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外壁に使用した煉瓦は特別に焼かせたそうですが
どんなに似せても新築には変わりはなく、寸分違わない建物を
建築しても私にはそこに価値を見出すことはできません。
まるまる復元するくらいならどうして解体したのでしょうか?


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美術館と高層ビルのあいだは庭園が整備され、オープンカフェが
設けられてちょっとした都会のオアシス空間になっています。
表通りにブランドショップ、少し入ると洒落たレストラン
これが今どきの「丸の内界隈」です。

(社長)

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シェ・トワ 二子

  • 2010年4月30日 07:55

田園都市線の二子新地駅を下りて
商店街を大山街道の方に向かうとすぐ右側に
3階建ての「シェ・トワ 二子」という建物があります。

1,2階が店舗で3階がオーナー宅だったものが売却され
新しい所有者が自宅部分を「シェアハウス」に改修して
先週末にその部屋の見学会がありました。

私はシェアハウスには以前から興味を持っていて
昨年8月の「賃貸住宅フェア」で行われたシェアハウスの入居者による
トークセッションにも参加し、その様子はブログにも書いた通りです。


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2階の玄関を入り階段を上がるとリビング・ダイニングがあり
キッチンを通って廊下を抜けると6帖の居室が6室あります。
各々の部屋には収納部分が無く、洋服用のハンガーパイプと棚が
そのまま壁についています。
これは「6帖」という部屋の広さを優先した結果です。


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賃貸条件は家賃と管理費をたして約7万円ですが
この広さのワンルームをこの地域で探せばおそらく
8万円は下らないでしょう。大家さんもこの広さのフロアを
普通に賃貸するより収入はずっと多くなります。

うまく行けば入居者とオーナー双方にメリットのあるのが
「シェアハウス」なのですが、問題は浴室などの水回りやLDKを
共同で利用することが、他人に気を使って「わずらわしい」と感じるか
あるいは皆で生活できて「楽しい」「寂しくない」と感じるか?

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私たちは、今の若者は他人との係わりや干渉を嫌がるもの
と考えがちですが、本当にそうなのでしょうか?

最近、大学の学食に一人で入れない若者が増えているそうで
その理由は「一人でいる」のを見られるのがいや、というもの。
また大学を中退する一番の理由は「友達ができない」ことで
自己を貫き孤高に生きる、という人は少数派なのかも知れません。
今後ますますシェアハウスは増えると思われます。

(社長)

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