市川社長のブログ
サンモトヤマ
- 2010年8月21日 08:16
銀座の並木通りの老舗「サンモトヤマ」で
知人の写真家の写真が展示されているというので
お盆休みに見に行きました。
「サンモトヤマ」は昭和30年に茂登山長市郎により
創業された、日本のブランドショップの元祖のようなお店です。
茂登山氏は戦争中、中国の天津である物を見て衝撃を受けました。
それは「ショーウインド」を通して見た衣装や家具などで、初めて
ヨーロッパの一流品を目の当たりにして、もし生きて帰れたら
こういう素晴しい品物を売りたいと強く思ったそうです。
中国では何度も死線を越えて、終戦後やっと日本に帰り
東京で舶来品を扱う小さなお店を始めました。
その後ヨーロッパに行って有名ブランド店をいくつも訪ね
「おたくの商品を輸入して日本で扱わせて欲しい」と申入れしましたが
全く相手にしてもらえず、それでも何年も何年も通い続け
その熱意が認められて、フェラガモやグッチを扱う最初の日本人になりました。
まだブランド自体が知られてなかった時代、お店は大変繁盛して
越路吹雪、三船敏郎、川端康成なども常連客だったそうです。
日本人写真家のMaikaさんは南フランス在住で
主にワイナリーで働く人たちの撮影を中心に活動しています。
また、ワインのコルクキャップのシールで作ったアート(写真下)も
日本に紹介しており、以前私の家内が日本での窓口になって
「サンモトヤマ」にコルクキャップのアートをいくつか納めたことがあり
それが縁で今回の写真の展示の運びになりました。
89歳になる茂登山氏はいまだに毎日出勤していて
この6月にはフィレンツェ市から長年の功績が認められ
市の鍵を授与されましたが、その際も一人でイタリアまで出かけたとのこと。
アウトレットの出現などでブランドビジネスは様変わりしましたが
銀座の老舗には、まだまだ意気盛んな創業者の存在がありました。
(社長)
大山講
- 2010年8月12日 13:07
毎年8月10日は地元新城の「大山講」の日です。
このあたりから富士山を見たときに左側に見える
やや平たい三角形の山が大山です。
標高1251mの大山は、またの名を「あふり山」といい
常に雲や霧を生じ、雨を降らすことから命名されたそうです。
大山は山野の幸をつかさどる水の神・山の神として
古くから関東一円の農民や漁民から崇められて
中原地区でも地域ごとに大山詣の講が存在します。
また関東各地から大山への参詣者が通った道がいくつもあり
溝の口を通っている大山街道は代表的なものです。
新城講の始まりは古く、江戸文政年間に木の刀を奉納した
ことを示すものが上新城の井上弘明さん宅にあるそうです。
また新城の下、中、上町が別々にお参りしていたのが
昭和50年頃に統一され今の形になりました。
バスを降りて山裾からケーブルカーに乗り
数百段の石段を上がったところに、今から2200余年前の
創建と伝えられる大山阿夫利神社の下社があります。
ここから山頂の本社までは山登りに慣れていれば1時間と少し
なのですが、ハイキングにしては勾配がきつく足元も岩が多く
新城講で頂上を目指す人は毎年数人しかいません。
私は体力チェックの意味も兼ね参加したときは必ず
頂上まで行っていますが、ふだん大した運動もしていないので
登りはじめの20分くらいが一番きついところです。
今年は上りの途中から雨が降ってきて、傘をさしながら
なんとか山頂に到着すると、私たちと別行動で先に電車で来て
登っていた広山宗一さん一家が下山するところでした。
晴れていれば山頂から江ノ島や三浦半島、遠くは房総半島まで
一望することができますが、それは来年以降に期待することにして
雨が降り続ける中、ずぶ濡れの姿で何とか下山しました。
(社長)
T 邸オープンハウス
- 2010年7月31日 09:19
当社が建築家と地域の工務店を結ぶネットワーク
「アーキテクツ・スタジオ・ジャパン(ASJ)」に加盟して
ちょうど2年になります。
川崎市中原区、幸区、川崎区をテリトリーとした
「京浜川崎スタジオ」を設置、運営して、今までに
気鋭の建築家が参加する住宅展を10回開催し
“デザイナーズ住宅”を希望する施主と建築家の
橋渡しをしてきました。
このシステムで当社が受注、施工させていただいていた
中原区の住宅のオープンハウスが先週日曜日にありました。
設計はキューポデザイン建築計画設計事務所の
猿田仁視氏です。
建築主は永らく地元にお住まいの方で
1階の親世帯はたくさんの人が集まれるよう
広いリビング・ダイニングと和室8畳がつながっています。
2階の子世帯は、階段を上がったところにある
大きな床下収納が特徴で、これを中間層として
その上に子供部屋があり、そこはLDKから階段で上がります。
私はこの2つの部屋がつながる開放的な大空間が
この住宅で一番魅力的だと思います。
またゆったりとした敷地の中で南面を広く取っていて
2階にあるリビングから続く広い奥行きのバルコニーは
パラソルやチェアーを置いて家族で寛ぐのが目に浮かぶようです。
木質の材料を効果的に使っているのも特徴の一つで
外国でよく屋根に使う杉皮を外壁の一部に使ってるのが珍しく
内部の床はチークのフローリングで、メインの玄関の壁は
ウォールナット貼りで暖かい雰囲気になっています。
規模、デザインともデザイナーズ住宅の模範のような建築で
敷地内にあるアパートを解体したあと、アプローチや
植え込みを整備して全体が完成するのが楽しみです。
(社長)
平城遷都1300年
- 2010年7月17日 18:48
藤原京から奈良・平城京に都が移されたのが西暦710年。
今年はそれから1300年の記念すべき年になります。
メンテ・リフォームの子会社のB&Rカワサキの旅行に参加して
久しぶりで(学生時代以来?)奈良を訪れました。
京都から近鉄に乗り換え奈良の少し手前の大和西大寺駅で降り
まず「平城宮跡歴史公園」へ。平城京の中心であった宮跡の
保存を図るため、平成20年に国営公園に制定されたそうです。
正門の朱雀門を入ると敷地の広さにまず驚かされます。
タテ1㎞、ヨコ1.3㎞ほどで天皇の即位式などが行われた
大極殿が遥かかなたに見えてきます。
元の建物の記録はなく同時代のものを参考に復元したようですが
ここに上がり広々とした公園を見下ろして
唐の都、長安を模して碁盤の目のように整然と区画された
1300年前の街にひととき想いを馳せてみました。
遣唐使船も復元されていましたが、こちらも当時の姿を
正確に記述したものはないそうです。この程度の船に
100人以上が乗り込み海を渡ったので、20回くらい派遣して
全船が無事に戻れたのは何と1回だけという苦難の連続で
遣唐使船が四隻だったのはどれか一つだけでも唐に着くように
ということだったそうです。
宿泊場所は興福寺の裏手で、翌日この寺を訪れました。
藤原鎌足の病気の平癒を願って創建したのが起源で
730年築の五重塔は国宝で、猿沢池からの姿は本当に「絵」になります。
その後、東大寺まで歩きました。
南大門が見えるところまで来ると中国や韓国をはじめ
様々な外国人の姿が見えました。年配のお坊さんが
かなり流暢な英語で観光客と話していたのには驚き!
また大仏殿の中もフラッシュ無しなら写真撮影OKで
建物より?グローバルな開放性に感心してしまいました。
ロンドンと近郊の旅 その4
- 2010年7月 3日 10:51
最後の日は友人夫婦の住む街ハムステッドを訪れました。
中心地から電車で約15分の閑静な住宅街で
東京でいうと京王・井の頭線の沿線あたりでしょうか。
友人によると1066年にノルマン人がイングランドを征服した後に
行われた土地の調査記録にこの街の名が出ているとのこと。
にぎやかな駅前から住宅街に入ると一転して緑が多くなり
さらに歩くと森林のような公園に入っていきました。
ここはハムステッド・ヒースと呼ばれていて、ヒースというのは
人の手があまり入ってない自然公園というくらいの意味で、ここから
ロンドンの中心部の建物も小さく望めますが、何しろ広い・・・。
調べたら明治神宮と代々木公園を併せた面積の3倍近くありました!
ロンドンには大公園がいくつもあるので、利用するのは近くの住民が中心
とのことですが、それにしては信じられないような広さです。
イギリスの国土の面積は日本の3分の2で、人口は6,000万人と
半分以下なので、人口密度は日本より少し少ないのですが
ヨーロッパの中では3番目に多い国で、それでも都市部に
これだけオープンスペースがあるのは、日本は山地が多く
平野が少ないのでしょうがないとしても、古いものを残すという考えが
自然を残すことにも繋っているような気がします。
公園の中のケンウッドハウスという元ギネスビールのオーナーが
所有していた邸宅のカフェで昼食を取って中を見学した後
友人夫妻と別れロンドンに戻りました。
最後の夜はミュージカル鑑賞です。ホテルは高級なショップが並ぶ
リージェント・ストリートのすぐ裏側で、ソーホーという繁華街も近く
その周りあるシアターにも歩いていけるという好立地です。
見たのは「ストンプ」という友人推薦のミュージカル。
ストーリーは特に無く、8人の出演者が床を拭くデッキブラシから始め
バケツ、ゴミ箱、ドラム缶などを使い、リズムだけで独特の音楽を
創り出します。最後は観客の手拍子も加わり、素晴しく盛り上って
終了しました。私は日本では和太鼓のグループ「鼓童」が好きで
何度も見ていますが、その西洋版といったこところでした。
イギリスの生活は決して便利でサービスが行き届いているもの
ではありません。まずコンビニはないし、ホテルのメイドも
メモを残したことをやってくれません。床はきしむ音がするし
バイブリーではテーブルが傾いているのが分かるくらい
ホテルの部屋の床が傾いていました。
また旧植民地からの移民を受け入れているのでロンドン中心部は
ホテル従業員を含め生粋のイギリス人の方が少ない感じで
それが日本と比べたサービスの低下に繋がっている面もあるのでしょう。
それでも10年前と街の様子は全く変らず、さらに100年前とも同じで
いつ訪れても変らない場所があるのは、私は羨ましいと思いました。
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