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市川社長のブログ

支援バザー

  • 2011年5月 2日 15:00

一昨年に引き続き、NPO法人のアシストを支援する
バザーを今年も4月29日に開催しました。

2回目で多少楽だったかというとそうでもありません。
前回は考えなかった雨天の時の順延日を5月1日と
しましたが、その決定はいつしたら良いのか?

模擬店のお餅の仕込みは前日の夜から行います。
といって前夜の予報で中止を決めて当日雨が止んだら
どうするか、悩みは尽きません。1週間前の長期予報で
当時の晴天が確認できたときは、まずホッとしました。


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次の心配の種は前回の開催から2年間という期間で
提供品がどのくらい集まるかということ。
バザーの品物提供のお願い通知を約600名のお客様に出して
さらにジェクトニュースを送る封筒に再度協力のお願い文を
同封しました。

そのかいあって再び品物が集まり始め、何とか皆さんの
ご協力で前回と同様約1000点の品揃えができました。

一昨年は開始の10時をしばらく過ぎても誰も来なくて
本当に人が来るのか心配しましたが、今回は9時50分に
朝礼を始める頃、もう10人以上並んでいたのにはビックリ。
一度目が好評だったからでしょうか?


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最初の1時間の出足は素晴らしく、夫婦がそれぞれ
大きなビニール袋を2つずつ抱えてレジに並ぶ姿も
珍しくない光景でした。お昼頃には5~6段位積んであった
タオルや毛布などの箱は1段になっていました。


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また模擬店もなかなかの人気で、今年も下小田中の
朝比奈さんにご協力をいただいたお餅は、長い行列が
できて2時間で完売しました。


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終了後のミーティングで収益が前回の2倍以上の
約58万円に上ったという発表があり、休日返上で
参加した多くの社員とアシストの10人の参加者から
拍手が起こりました。

当社のお客様、協力会社そして地域の人々の善意で
知的障害者を支援するこのような催しを開催できたことが
企業理念にある"地域に必要とされる企業であり続ける"
ことの実践に繋がればたいへん幸せです。


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2つのコンサート

  • 2011年4月27日 14:21

今年の初め、私の住んでいる下新城町内会の役員会で
副会長の小林裕さんから「音楽が好きなんですって?」
と話しかけられ音楽談義になり、小林さんがリーダーで
4月に予定しているギターのコンサートに誘われました。

19日にそのコンサートがミューザ川崎の市民交流室で
開かれました。色々あるギター音楽のなかで小林さんの
グループはクラシック・ギターのアンサンブルです。


コンサート1.jpg

         

その名前はロス・ベベドーレス(呑んべえ達)で
早稲田のマンドリン部のギターパートの仲間が集まり
1990年に結成して今回が20回目のコンサートです。
幸区役所のコンサートにも出演したそうで、当日は
スペインやベネズエラ民謡も含む多彩なプログラムで
聴衆と一体感のある素敵な楽しいコンサートでした。
 (写真下:右側が小林さん)


コンサート2.jpg       
24日は私の叔父が合唱パートで出演したバッハの大曲
「ミサ曲ロ短調」のコンサート。会場はミューザ川崎の
大ホールの予定だったのですが、地震でホールの天井が落下し
急遽、新百合ヶ丘の昭和音楽大学に会場が変更されました。


コンサート3.jpg


叔父も早稲田の学生時代から合唱をやっていて、現在は
「アニモKAWASAKI」というグループに加入して
東京交響楽団と競演するコンサートに毎年出ています。

私は20年程前に、叔父が出演したベートーヴェンの「第9」
を聞いたことがきっかけで、初めて第9の合唱に挑戦して
それから何回か年末の演奏会で歌ったことがありました。


コンサート4.jpg


下手でも舞台に上がって歌っているとベートーヴェンの
偉大な音楽の大きな渦に巻き込まれ、聴衆より自分自身が
一番音楽に酔って感動したことが思い出されます。

ロ短調ミサ曲はバッハの死の前年の作品でマタイ、ヨハネ受難曲
と並ぶバッハの最高峰といわれ、特に今回は開演前に
この曲を大震災の被災者に捧げたい旨の放送がありました。
それにふさわしく厳粛な余韻を残して曲が終了し、この荘重な
バッハの宗教曲が犠牲者の魂に届いたような気がしました。


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          叔父(左から2人目)とともに

「りえんと多摩平」

  • 2011年4月18日 17:27

中央線で立川から2つ目、豊田駅を下りてロータリーを抜け
まっすぐ進むと多摩平団地の広大な敷地が目の前に広がります。

ここは昭和33年より当時の日本住宅公団が開発したもので
平成9年頃から老朽化した住宅の建替事業が行われています。
そのうち昭和36年築の6棟を民間3事業者が改修工事を行い
15年の定期借家契約で一括借り上げをすることになりました。


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           ブルースタジオの大島専務

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             中央大学 学生寮

その1社、東電不動産が事業主でデザインをブルースタジオが
手がけた「りえんと多摩平」の見学会があり参加しました。4階建て
50㎡の3Kが中心の住戸2棟をシェアハウスにリニューアルしたもので
そのうち1棟は中央大学が学生寮として借りています。

私が感心したのは日本では築50年というとまず
全面建て替えになるところを、古い建物の良さを生かして
リニューアルを行ったことで、1階のスチールサッシは
当時のものをそのまま使い、レトロな雰囲気を醸し出しています。


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この団地の特徴は建ぺい率16%という周囲の空間の広さで
樹齢70年を超えるケヤキなどの豊かな緑はこれまでも
地域の都市公園という役割を果たしてきました。


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             共用部分のキッチン


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             食堂スペース

建物を囲むように設置されたウッドデッキのテラスは
野外パーティを開くなど人々がつながりを持てる空間です。
1階にはキッチン、食堂、洗面所、シャワー室、洗濯室等
の共用部分が80の個室に対して2か所あります。

また1階にある個室は3部屋に1室の割合でアトリエがあり
アーティスト系の人の入居を想定しているそうです。
食堂の西側も3枚引きの戸で仕切ると10帖くらいのスペースに
なってギャラリーなどに利用することが可能です。


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個室の広さは6帖でベッド、簡単な机とミニ冷蔵庫付きで
賃料は平均で約5万円と共益費1万円で計6万円。
パンフには「森の団地でシェアしましょう」のキャッチコピー。
東京郊外の団地の再生で80室のシェアハウスが誕生したのは
住まいのシェアがかなり市民権を得て来たということでしょうか。


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           3室に1つある流し台

入園式

  • 2011年4月12日 20:53

昨日、宮前区にある有馬白百合幼稚園の入園式に
出席しました。園長の持田進吾さんとは、たちばな経済
研修会やロータリーの関係で親しくさせて頂いております。

また今この幼稚園の改修工事を当社で施工中でもあり
そのようなことから初めて入園式に招かれました。


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              持田 進吾 園長

この幼稚園は昭和43年に持田園長のお父様が開園され
昭和55年には入園式が行われる亀型のホールが完成
そして平成9年に今のモダンな建物に全面改築しました。

今春の入園児は165人。母親に手を引かれ音楽に合わせて
会場に入場します。中には父親の姿も見受けられましたが
やはり母親がほとんどです。

そう思っていると「ビデオ撮影される方は、2階の線の
引かれたところまで上がって結構です」という
アナウンスがあり、それが終わるや否や、2階へ上る階段は
カメラを持つお父さんたちで鈴なりになりました。


有馬白百合幼稚園3.jpg


改めて園児たちの後ろの席を見るとほとんどが父親たちで
会社を休んで両親そろって入園式に出るというのは、今の世代では
ごく当たり前のことのなのですね。

さてこの幼稚園にきて驚いたのは素晴らしい桜の大木です。
例年入園式の時期は花がすでに散ってグランドが花びらで一杯に
なっているそうですが、今年はいつもの年より寒かったので
いまちょうど満開を迎えています。


有馬白百合幼稚園4.jpg


聞くと樹齢は70年を超えるとのことで、幼稚園の園庭の桜で
これだけの幹の太さと枝ぶりの見事なものは滅多にないのでは
ないでしょうか。

今年は日本中お花見どころではない雰囲気ですが
大きな桜の木を背景に記念撮影をする親子の姿を見ると
本当にほほ笑ましく平和のありがたさをつくづく感じました。


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災い転じて・・・

  • 2011年4月 8日 12:45

小泉進次郎議員のモーニングセミナーの会場が
今回から東京プリンスホテルに変わりました。
赤坂プリンスが3月末で閉館されたためです。

このホテルは東京オリンピックの年にオープン
隣接している増上寺は、徳川家の菩提寺で
いまソメイヨシノやシダレザクラが満開です。


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徳川幕府の崩壊後、明治になって境内のかなりの
部分が芝公園になり、さらに太平洋戦争の戦災で
徳川家の霊廟は焼失し、戦後敷地の一部が東京タワーや
この東京プリンスホテルになったのです。



さて昨日のセミナーの講師は小泉議員自身で
大半の時間が今回の大震災の報告に費やされました。

彼は地震の後、すぐに現地を訪れたいと思い
手ぶらで行くことはできないと考え、救援物資として
タンクローリーに灯油14kl を満たして現地入りしました。

陸前高田の公民館に到着すると何と拍手が起こったそうです。
そこで被災者から「岩手県には国会議員はいないから」
と嘆かれたので「大先生がいるじゃないですか」と聞くと
「何にもやってくれない・・・」とポツリと一言。


東京プリンス5.jpg


日没後に大船渡小学校に着くとある女性が近づいてきて
「父は、妻も息子も孫も失いました。会ってください。」
お会いするとそのお父さんはこう話されたそうです。

「今までいがみ合っていた国まで日本を支援してくれている。
今回のことが"災い転じて福となす"となって世の中が平和に
なってほしい。」 被災の当事者から発せられたこの言葉の重み・・・

小泉議員は「3.11 は日本が形を変えた日」だと捉え
自分で被災地を見て被災者と語ることなく、これからの日本を
考えることはできない。政治家は自らの言葉の重みを認識し
これからの日本を語ることにより皆を激励すべきだ、と結びました。


東京プリンス4.jpg

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