市川社長のブログ
地鎮祭
- 2011年7月12日 09:27
私に物心がついた頃、本社屋の隣地には上州屋という
乾物屋さんがすでにあり、その後当社で建物を改築させて
いただき、昭和50年台後半まで「上州屋ストアー」として
営業していました。
オーナーだった茂木さんはお店をたたんで
八王子に引越し、そのあと当社が駐車場として
ずっと借りていましたが、平成20年の秋に
土地を売却したいという話が持ち込まれ、当社で
購入することになりました。
ここに建物を建てるとしたら何がいいか?
中原の駅前立地としては商業ビルか、住居系なら
ワンルームが一般的です。
私はその頃シェアハウスに興味を持つようになって
いました。そしてたまたま昨年春、シェアハウスの
運営をコンサルする会社に関わらないかという話があり
資本参加したのがシェアプロデュース(株)です。
そうしてシェアハウスの構想は昨年末に固まり、年が明けて
実施設計に入って、先週の土曜日に地鎮祭が行われました。
竣工は来年の3月の予定です。
1階は駐車場で2階から6階まで各階6室の個室で
合計30室、7階は共用スペースでキッチン、ダイニング
リビングがあります。水回りは各階に男女別の洗面、トイレ
シャワーが設備され、ユニットバスは7階のみです。
目玉?は7階のリビングから屋上に直接階段で上がれるように
したことで、小杉のタワーマンション群を遠くに眺めながら
グラスを傾ける、なんていうのも可能です。
近年プライバシー尊重が行き過ぎ、人と人との触れ合いを
再び求めるようになり、住宅でもいわば共同生活的な
シェアハウスが脚光を浴びていますが、それを当社が実際に
運営してみて色々なノウハウを得るのが大きな目的です。
ブレーンサービスフォーラム
- 2011年7月 9日 19:12
昨日北青山で行われたブレーンサービスフォーラムに初めて
参加しました。このフォーラムは、経済評論家の荒和雄さんが
毎月主催し、異業種の経営者や幹部が本音を語る会として
活動を続けてきているそうで、今度で238回を数えます。
きっかけは今年の5月12日に荒さんを中心に地元金融機関と
建築家、建設会社が共同主催した「家族の絆を強める3世代住宅」
というテーマの東京ドームホテルでのセミナーへの参加でした。(写真下)
私は講演した建築家の中村さんから誘われ、名を連ねた
建設会社も都内北区の老舗企業で知っている会社でした。
荒和雄さんは銀行の支店長から評論家に転身した人で
著作は今まで160冊にも及びます。
昨日のフォーラムの参加企業は少数でしたが、東北から
関西までの異業種が集まり、大震災の影響や今後の経営の
見通しなどについて、順次意見交換を行いました。
大阪市から来た食品の包装加工を行っている会社は
輸出業者から静岡産のお茶を扱わないよう要望があり
大手飲料業者からは一番茶を使わず前年のものを使うよう
言われているとのこと
また那須塩原の旅館の支配人は、3月11日以降月末までの
宿泊者は予定の1割まで落ち込んだが徐々に回復している。
予約はネット経由が半分までになって「るるぶ」などの雑誌広告は
一切出さなくなり、業界全体でもエージェント経由の予約の比率は
低下していると言っていました。
都内からは輸入ワインの販売会社や、海底ケーブル等を扱う
鋼材卸売会社、学生の就活支援塾を運営するWeb企業など
普段あまり接することの無い企業の話を、神宮外苑の青々とした
銀杏並木をガラス越しに眺めながら聞いていました。
限定したエリアで地域に密着した営業活動を行う当社の仕事は
ちょっと特別なように感じ、ときどき視点を変えて経営戦略を
考えてみることも必要なことかと思いました。
三回忌
- 2011年7月 5日 14:09
京浜急行青物横丁駅の改札を右に出てすぐの交差点を
左折して旧東海道を品川方面に向うと、間もなく左手に
天妙国寺の山門が見えてきます。
先月末、私の母方の伯父の三回忌がそこで催されました。
このお寺はいろいろ思い出が深い場所です。
母方の祖父は私が5歳のときに亡くなり、小学校に
上ってから法事で何回か訪れた遠い記憶がまずあります。
そして私の娘が小学校に入るころから、祖父の命日の
8月28日にここでお墓参りをしたあと、毎年親戚が大森の
祖母の家に集まるようになったのです。祖母はひ孫たちを
大変可愛がり、この集いは祖母が90になる頃まで続きました。
天妙国寺は日蓮の直弟子が1285年に創建したと伝えられ
本堂は18世紀に再建されたもので耐震補強が施されていました。
敷地は地図から推測すると3000坪くらいはありそうです。
近年新しい葬祭施設ができましたが、旧東海道から少し
奥まった山門、広々とした境内と中央にある本堂のたたずまいなど
私の幼少のころの雰囲気もかなり残っています。
今回の法事の中でお坊さんから、次のようなお話がありました。
このお寺は顕本法華宗という小さな宗派であること。調べてみると
京都の総本山のほか福島県と千葉県にお寺があるだけです。
そして「久遠実成(くおんじつじょう)」と書いた紙を取り出し
人間として生まれて悟りを開き、苦しみを乗り越え永遠の未来まで
私たちを導いてくれるお釈迦様を教主としていること。
そして「雑乱勧請」していない、つまり境内に色々なお堂が
あるわけではなく、本堂が一つという単純明快な宗派であること。
私は何回も法事に出ていますが初めて聞いたような気がしました。
お清めの席で叔父が「お寺はふるさと」と挨拶しましたが
物心がついた時から変わらない風景に接して親戚が集まって
故人の思い出に浸れる場所・・・私の気持ちを表した発言でした。
松坂・四日市スタジオ
- 2011年6月27日 13:08
当社が建築家との家づくりの全国ネットワークの
アーキテクツ・スタジオ・ジャパン(ASJ)に加盟して
ちょうど3年が経ちました。
建築家がデザインした住宅をテレビや雑誌などで
目にすることが多い割合には、実際にデザイナーズ住宅を
建てる人はまだ少なく、今後は増えていくことが予想されます。
このような施主と建築家と橋渡しをするのがASJですが
4年目を迎える当社の「京浜川崎スタジオ」はというとまだまだ
成績は不十分です。そこで優れたスタジオに学びたいと
三重県で2つのスタジオを運営して業績を伸ばしている
㈱上村工建を訪問しました。
本社のある松阪市は三重県のほぼ中央に位置して
東は伊勢湾、西は奈良県と接する横に長い地形です。
名古屋から近鉄に乗り換え松阪駅を降りると、会社への道中は
空はあくまで広く、道路の両側は青々とした一面の水田です。
9年前にASJに加盟する前は公共工事も行っていましたが
加盟と同時に営業と工事の人材を採用したので、最初の2年は
苦戦したそうですが、今では売上の7割はASJ関連の工事に。
営業マンも住宅営業は初めての人を採用し育てて行きました。
共通するのはみな "デザイナーが提案する図面を見るのが
楽しみ" とお客さん以上に自分たちがワクワクしていること。
好きなことをしているという姿勢がお客さんにも伝わるようです。
その後訪れた四日市スタジオは2009年に80坪の店舗に移転
しました。(写真下) スタッフ4人では広すぎる感もありますが
毎月10人くらいの新規客がこの店構えを見て来店するとのこと。
建築家の住宅展は県内で年間7回開催し、無い月も見学会等
何らかのイベントを行い、見込み客にアプローチします。
営業担当4人工事担当4人で年間25棟、約7億の売上を上げるまでに
至ったのは、ASJに特化して背水の陣を敷いた経営判断と
デザイナーズ住宅の実現に対する社員の熱意だと感じました。
本氷川坂下
- 2011年6月13日 20:23
当社では昨年社名のロゴをリニューアルしました。
英文のJECTOを多少デザイン化したのです。
当社がCI(コーポレートアイデンティティ)を導入して現在の
シンボルマークを制定したのは1990年です。
社名はまだ「川崎組」の時代で、委託したのは企業イメージ
専門の制作会社、アイコム(当時はアルマ)です。
主宰の桑原達美さんはNHKに在籍中、東京オリンピックの
競技別のシンボルマークを作成し、その後独立しました。
それから4年たった1994年、会社設立50周年を迎え
記念事業の一つとして社名変更することが決まり
社内から名前を募集しましたが、決定的なものが無く
再びアイコムに委託して生まれたのがJECTOだったのです。
この時はエポック中原で新社名披露コンサートを行い
舞台の上から新社名を発表しました。
昨年はCI導入から早や20年。アイコムからマークの
リニューアル提案があり、できたのがこの新しい英文ロゴです。
先週の金曜日、たまたま渋谷で打合せがあり、その足で赤坂の
アイコムの事務所を訪ねました。桑原さんとアートディレクターの
太田さんも加わり、いかにして地域に社名を浸透させるか
今後の当社の視覚的な広報戦略について意見を交わしました。
ところでこの事務所の前の道には「本氷川坂」の標識があり
この建物の敷地はなんと「勝海舟邸跡」だったのです。
勝海舟の生まれは今の両国ですが、蘭学を学ぶために赤坂に転居
36歳からは本氷川坂下、つまりこの地にしばらく住んでいました。
坂本龍馬が千葉重太郎と、勝海舟を切る覚悟で面会して
逆に海舟に世界情勢を説かれ、また人柄に惚れて門下生となった
あの有名な会談はこの地で行われたとのこと。
これを機に龍馬は大きく成長して、西郷隆盛とともに
明治維新成立の重要な存在になったことは言うまでもありません。
思わぬところで大きな歴史の節目になった場所に出会えるのが
東京の魅力。今度はゆっくり周辺を散策してみたいものです。
- Search