市川社長のブログ
ピーター・フランクル
- 2011年11月12日 13:22
ピーター・フランクル。数学者で大道芸人。
先週のロータリークラブの地区大会で講演を聴きました。
まずジャグリングをしながら登場したのにはビックリ!
講演のテーマは「真の国際人を目指すために」。それは
英語を習うことよりも、まず知らない人、肌の色の違う人に
会ったら興味を持心を開くことで、今の日本人は
「ほかの人と出来るだけ関わらないようにしている」
ように感じられてならないとのこと。
ハンガリー生まれのユダヤ人で、父と母の両親はドイツ軍に
殺され、彼は小さいときから「人を差別してはいけない」
ことを徹底して教育されたそうです。
大学を卒業してフランスに亡命。就職した会社からインドへ
3ヶ月派遣されたとき、あまりの環境の違いにショックを
受けたが、インドをすべて受け入れようと、カレーを手で食べる
ことから始め、同僚の狭い家にも雑魚寝で20回も泊まり
帰るころは現地の習慣にすっかり溶け込んだとのこと。
来日して最初の3年くらいは日本の40人くらいの家庭に
泊めてもらったがそれ以降ぜんぜん声が掛からないそうです。
スーパーに行った時入り口で立ち話をしている人たちが
出てきた時もまだそこで話をしていたのにビックリした。
自分の国では外で3分も話をしようものなら「うちに寄って」
とすぐにどちらかの家に招かれるとのこと。
広島大学で会議があり、花火の夜で街へ出ると公園で
宴会をやっていたが、誰も「一緒にどうですか?」と
声は掛けてくれないし、それぞれのグループも見えない
境界があるようにお互い背を向けて歓談していたそうです。
この日も大きなスーツケースを2つ持ってきていたが
駅の階段で「手伝いましょうか?」と言われたことは
韓国ではあっても日本では一度もないので、一度有楽町駅で
「手伝ってくれますか?」と声を掛ける「実験」を10回
行ってみると、すべての人が手伝ってくれたそうです。
私は昨日、路上ですれ違いざま肩をぶつけ合った男女が
何もなかったように無言で歩いて行った光景を目の当たりにしましたが
今の日本は日本人同士でも「無言の行」なのでしょうか?
「国際化とは他人と関わることから始まる」という彼の主張には
本当に共感し、わが意を得たりというところです。
上野・谷中界隈
- 2011年11月 5日 21:24
山手線の日暮里駅・南口を出て坂を上がると
もうそこは谷中霊園の一角で、お寺の門が見えてきます。
天王寺という鎌倉時代創建のお寺ですが、正面には
鉄筋コンクリート造のモダンな門が・・・
一昨日、ガブリエルを連れて古い面影の残る東京を
散策しました。天王子の境内は東京であることを
一瞬忘れさせるような静けさで、本堂と客殿はやはり
RC造の立派な建物で新旧がうまく融合しています。
中央のさくら並木を進んで「徳川慶喜墓」という標識を
左に折れると、最後の徳川将軍の墓地に出ます。
ちょうどボランティアの人が解説をしていました。
水戸・徳川家の慶喜は神道を信仰していたが、寛永寺に
墓地を作らせて今でも親族が管理していることや
谷中霊園は都立の霊園で、天王寺と寛永寺の墓地が
地続きになっていることもそれを聞いて知りました。
出口付近に一軒家があり、メニューが外に置いてあります。
元々あった築百年の住宅を建て直して2年前お店を開店したそうで
テーブルが一つしかない"レストラン"で遅いお昼を取りました。
霊園を出て言問通りを右に行くと江戸時代から昭和の末まで
営業していたという古い酒屋が、下町風俗資料館の付設展示場
として公開されています。正面には時代劇に出てくるような
帳場があって、お酒、醤油、塩、砂糖も扱っていたそうです。
ここから東京芸術大学の脇を通って上野公園に向かうと
旧東京音楽学校の奏楽堂に出ます。この建物は1970年頃
明治村への移転がいったん決まった後、反対の声が上がり
台東区によって解体して公園内に移築されたとのこと。
それから不忍池に下りて上野駅に向かいましたが
地図を見ると西日暮里方面(谷中3~6丁目)にも
古い建物が多く、次回はこの方面に時間を取るつもりです。
バス現場見学会
- 2011年10月31日 12:43
先週の土曜日、当社では初の「バス現場見学会」を
開催しました。目的は3か所のメゾネット型の
賃貸住宅を見学していただくことです。(1か所は工事中)
当社では15年前から木造のメゾネット型の賃貸住宅を
建設、管理しています。今は在来工法ですが元々は
当時行っていたカナダの輸入住宅での建設です。
参加者にはまず会社の会議室に集まっていただき
メゾネット型賃貸住宅の特徴、RC造に比べて利回りが
良いことや空室率が低いことの説明を行いました。
最初に向ったのは、高津区久地の「グレースタウンK」です。
ここは約300坪の敷地に3つの棟、計23戸が建っています。
建物と建物の間がゆったりとしていて「小さな子供はここで
遊ばせられていい」と参加した女性が話していました。
次は武蔵新城駅から徒歩4分の建設中の現場です。
74坪の敷地に2LDKが5戸の構成で年末の完成ですが
既に全戸申込みが入っています。ここは仕上がっている
1部屋を見られるので、特徴の一つである2階の
ロフトの空間を体験してもらいました。
バスの中である方から「70坪くらいでも建てられますか?」
と聞かれたので「5戸くらい建つでしょう」と答えましたが
現場はたまたま同じ規模だったので参考になったと思います。
最後は社有の「タウンコートⅢ」です。ここも3棟23戸から
できていますが、特に最後に建てた「ノース棟」はデザインの
テイストが少し違っており「何か北欧の建物の感じがする」
という感想を聞いて、そういう評価もあるのかと思いました。
ここは当初RC造4階案も検討しましたが、木造3棟の方が
30年経過時点で税引き後の剰余金が多いのです。ベンチの
置いてある中庭で、建物を見ながら皆さんと談笑していると
たいへん気持ちが良く、建物だけではなく周囲の空間も
暮らしの上で大切な要素なのだと実感しました。
彩の国スタジオ
- 2011年10月26日 14:55
建築家とデザイナー住宅を希望する建築主を結ぶ
全国ネットワークのASJに加盟して4年目を迎え
今月15日,16日には第15回目の「未来をのぞく住宅展」を
川崎市国際交流センターで開催いたしました。
1年に4回の建築家との住宅展は定着してきましたが
最近の集客数が減ってきていることもあり、今後の運営を
改善する方法について、いま考えているところです。
開催のチラシを配布しているのは中原区が中心ですが
この区域は専用住宅と共同住宅が混在している区域なので
住宅併設のデザイン性の強いマンションの潜在需要がある
ということは十分考えられます。
昨日、大宮にある「ASJ彩の国スタジオ」を訪問
しました。こちらでは22日から30日まで、住宅併設の
マンションに焦点を当てた住宅展を開催しているのです。
大宮は2001年に浦和、与野市と合併し、さいたま市の一部
になりましたが、合併前の旧大宮市の人口は45万人でちょうど
中原区と高津区をあわせたくらいの規模です。
このスタジオの運営に当たる埼玉丸山工務所は当社と同じく
大宮を中心にRC造の賃貸マンションの建設・管理が主体の
会社で、やはりASJのスタジオ運営は4年目になります。
今回の住宅展は自宅を併用した賃貸建物の設計実績のある
建築家を選び、22日から30日まで自社スタジオ内で写真や
模型を展示しています。これは全国のASJスタジオでも
前例がないようで、私たちも興味深く見学させていただきました。
このスタジオでは大きなイベントのない月には、建築家の
個展など様々な催しを行って、見込客を勧誘しています。
当社で欠けているのはこのところで、不動産部中原店の隣に
建築や暮しに関わる色々なイベントのできるスペースを作って
お客様にさまざまな情報を発信することを現在計画しています。
プリエ阿佐ヶ谷
- 2011年10月13日 14:28
先週の初め、NHKの朝のニュースで田園調布の
今春開業したシェアハウス(73室が満室)が取り上げられ
入居者のインタビューが放映されました。
その人は震災がきっかけで入居に踏みきり
「余震があったとき一人だと怖かったが、皆がいると
思うと怖くない」と、人とのつながりがあるので
不安が解消される、ということを話していました。
また9日の朝日新聞では「絆ビジネス じわり拡大」という
見出しで、大震災が発生したとき赤坂のシェアハウスでは
住民が自主的に安否を確認しあい、食料の買出しなどを
話し合った、との紹介がありました。
さて10日の祝日には、シェアプロデュースが監修した
シェアハウス「プリエ阿佐ヶ谷」の内覧会に行きました。
ここは元民社党の塚本三郎氏の自宅で、元々一軒家の貸家
だったのをシェアハウスとして5部屋それぞれを賃貸します。
場所は阿佐ヶ谷駅北口を降りてパールセンターという(写真上)
商店街を抜けて青梅街道に出る手前の住宅街ですが
この商店街は活気に溢れ、帽子屋、傘屋、ミシン販売店など
中原あたりでは見られない店舗も並び、興味がつきません。
また同業の細田工務店が「家と暮らしの相談所」という
ショップを出していました。阿佐ヶ谷の乗降客数を調べると
武蔵中原より1万人多い程度でこのにぎわいは不思議です。
この住宅にはインターロッキング敷きの広い庭があり
入居者によるガーデンカフェの運営計画もあるとか。
居室は9帖が3室、10.8帖の和室もあり連休の見学者
8組のうち、3組は母子家庭で、共同生活の中での
子育ても想定しているとのこと。
これを見てシェアハウスの賃貸は今後いろいろな形で
展開していく可能性を秘めていることを認識しました。
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