Home

市川社長のブログ

シェアハウスコーディネーター

  • 2012年5月28日 14:40

3月末に完成したシェアハウス「ヴィラージュ中原駅前」
では共用部分の清掃等は外部委託するのではなく
入居者から協力してくれる人を募集する方法をとっています。

このような人たちを「シェアハウスコーディネーター」
と呼び、清掃以外イベント企画など館内運営も分担して
もらいます。3人が定員で報酬は一人月3万円です。

私はこれに応募する人がいるのか不安でしたが
ふたを開けると応募者は結構いるのです!
これは言わば3万円のアルバイトであり、現在の
経済状況の反映もあるのでしょうか。


シェアハウスコーディネータ.jpg


希望者と面談するとフルタイム勤務の人が多く
全部をこなすことは無理のようなので、1人分の仕事を
複数でワークシェアすることになりました。

共用部の清掃担当のクリーンマネージャー、ごみ出しや
節電を管理するエコマネージャー、定期会議やイベント
の企画運営のイベントマネージャーなど、5つに分けます。


シェアハウスコーディネーター.jpg


シェアハウスコーディネーター1.jpg


「クリーンマネージャー」は掃除の研修を受けてもらう
ことが条件で、先週末3名の候補者が掃除コンサルタントの
響城れいさんの研修に参加しました。

響城さんの基本は一つの動作で複数のことを行なうこと。
例えば部屋の中を移動するときに目についた斜めのものを
まっすぐに直したり、棚の上を拭いたりする。


シェアハウスコーディネーター2.jpg


シェアハウスコーディネーター3.jpg


トイレを使うときタンクのレバーにブラシを掛けておいて
水を流す時に同時に中もブラッシングしてしまうそうです。
これならトイレ掃除の時間がぐんと短縮できます。

響城さんの最終目標は「掃除だけの時間を限りなくゼロ
に近づけること」。目から鱗が落ちるようでした。私たちの
業務でも一つの仕事をやりながら周囲に気を配れば
一緒にできることが結構あるのではないでしょうか?
これは生産性向上に通じることだと直感しました。

かんてんぱぱガーデン

  • 2012年5月19日 18:33

「日本でいちばん大切にしたい会社」という本にも紹介
されている長野県の伊那食品工業の見学会に参加しました。
1958年設立のこの会社は、現塚越会長が20代の時とき
関連会社から移籍してから50年余りで、売上170億円
社員400名、寒天生産ではトップ企業に育て上げました。


かんてんぱぱ.jpg


本社のある「かんてんぱぱガーデン」と呼ばれる松林に
囲まれた3万坪の広大な敷地には工場や研究棟をはじめ
3つのレストラン、ショップ、多目的ホール、美術館が
点在し、とても民間会社の敷地とは思えません。


かんてんぱぱ1.jpg
              本  社


かんてんぱぱ2.jpg
             レ ス ト ラ ン 


かんてんぱぱ4.jpg
      美術館のボタニカルアート(植物画)の展示


このガーデンへ訪れる人は年間35万人、レストランは昼間
のみなので利益は出ません。それでも継続するのは
地域への貢献と会社のイメージアップのためだそうです。

「寒天は斜陽産業」と面談した丸山広報室長は言います。
地域貢献も利益があって初めてできること。そのため近年
研究棟を建て、社員の1割に当たる人材をここに投入して
自ら市場を作るべく新商品を開発しているとのこと。


かんてんぱぱ5.jpg
         丸山秘書広報室長(左側)

かんてんぱぱ7.jpg
             研 究 棟

かんてんぱぱ8.jpg
          寒天を使った様々な食品


敷地の清掃は毎朝自主的に社員の手で行われています。
この会社の社是は「いい会社をつくりましょう」。企業は
"会社を構成するすべての人々の幸せのためにある"のです。

塚越会長は「立派な社会人になりなさい」とも言っています。
それは最低限、人に迷惑を掛けないこと。例えばトイレには
次のような札が貼ってあります。「キレイに掃除してあるので
ズボンがつくまで前に出てはいかがですか・・・」トイレを
使うときも掃除する人に迷惑をかけないように行動します。


かんてんぱぱ0.jpg


また社員が地元のマーケット等の駐車場に車を止めるとき
店の入り口から最も離れた所から止めるように言われています。
それがお年寄りや荷物の多い人への親切につながるからです。

会議室には2100年までの21世紀全体の100年カレンダーが
掛っていました。会長は新入社員に自分の「命日」を予測し
書き込ませるそうです。人生には限りがある、だから
一日を無駄に過ごしてはいけないことを教えるためです。


かんてんぱぱ6.jpg


社員の楽しみは社内旅行。今旅行をしない会社が多い中で
この会社では40年前から隔年に海外旅行を実施している
(その間は国内旅行)ことを聞いて驚きました。

しかも行先は社員が企画した複数のコースの中から選んで
参加できるのです!これなら楽しくない訳がありません。
また旅行中も人に迷惑を掛けない行動に徹し、例えば
宴会終了後は、使った食器の片づけまで行うそうです。

会長は毎月全社員を集め方針を話します。文書でなく
繰り返し繰り返し話すこと以外に方針を徹底させる方法はない・・・。
本だけでは分からないことをたくさん学んだ一日でした。

白金台の自然

  • 2012年5月 8日 21:58

連休の最後の日、目黒の周辺を探索しました。
武蔵小杉から地下鉄に乗り白金台駅で降り
目黒通りを左方向に行くとすぐ白金台の交差点で
一昨年当社で施工した5階建てのビルが見えます。


白金台1.jpg


白金台2.jpg


そこを過ぎると前方に見える緑が自然教育園です。
隣接する庭園美術館は何回か訪れたことがありますが
一度ここへは行きたいと前から思っていました。

古来、このあたりは銀(しろかね)・白銀とも書かれ
武蔵野に栄えた豪族に白金長者と言われた人がいて
地名の起こりになったようで、16世紀には太田道灌の
ひ孫がこの地を治めていた記録があるそうです。


白金台3.jpg


白金台5.jpg


園内に入ると6万坪という広さと、都心にこのような
自然が残されていたことにまず驚かされます。沿革を
調べると江戸時代に大名の下屋敷だったものが明治から
海・陸軍省の管理を経て宮内省所管となりました。

昭和24年から文部省の所管で「天然記念物及び史跡」
に指定されて環境が保護され、国立科学博物館附属の
自然教育園として公開されたのは昭和37年からです。


白金台4.jpg


園全体がコナラ・ケヤキなどの落葉樹、シイやマツ類
などの常緑樹に広く覆われ、小川や池が点在しています。
大きな松の老木は江戸時代の庭園の名残りなのでしょう。

ここは公園と違い広い芝生など人工的なものはないので
子供たちが駆け回る事はできませんが、連休中にもかかわらず
何しろ人が少ないのが気に入りました。


白金台6.jpg


白金台7.jpg


この日は自然教育園を後にして目黒駅を左に折れた住宅街の
レストランで2日遅れのバースデーランチを取りました。

ここはエルガーハウスといって、外国人の住居をレストランに
改造したもので英国風の調度品と、程よく現代的な内装が
よくマッチし、何よりフレンチのコースが美味しかったこと!
この邸宅レストランが事情で6月末に閉店とは真に残念です。

芸術の「春」

  • 2012年4月29日 19:07

一級建築士事務所アルカディアの村田眞一さんとは
もうかれこれ30年のお付き合いになります。

村田さんは武蔵野美術大学の建築科を卒業して
設計事務所に勤務した後、今の事務所を立ち上げました。
その後川崎青年会議所に入会してお会いしたのがきっかけで
これまでいくつかの建物を当社で施工させていただきました。
(写真下:東京第四友の家 1996年完成)

芸術の春.jpg


村田さんの作風は、現代建築の流れとは少し異なる独特の
意匠性があります。以前いた事務所では市川染五郎邸
(現在の松本幸四郎)を担当しました。

少し前から絵を描いていることは聞いていましたが
この度ロータリーの会員が集まり絵画展を開くという
案内をいただき、昨日関内のギャラリーに行ってきました。


芸術の春1.jpg


横浜市内のロータリーアンの作品が中心で、私が初めて
GSE委員会に属したときの委員長だった佐藤さんの
2枚の絵が目を引きました。佐藤さんは画家で
色彩や構成や絵の具のタッチはさすがにプロの仕事です。


芸術の春3.jpg

           佐藤さんの「路 地」


芸術の春4 .jpg

           関さんの「裸 婦」


その次の委員長だった関さんの絵画や、それ以前に派遣団長も
務めた当家近所の長戸さんの鎌倉彫も展示されていました。

村田さんは「紫陽花」と「夏蝉」の2枚を出品。
どちらも具象画なのですが、そのものを越えた何かを
私たちに想像させるような雰囲気のある素敵な絵です。


芸術の春2.jpg
            左より「夏 蝉」と「紫陽花」  


また家内が歌舞伎好きなので,松本幸四郎邸のことを
聞くと、幸四郎さんは自分の好みのイメージをはっきり
持っている人で、設計担当としてはやり易かったそうです。

私は絵を見るのが大変好きで、さらに自分で描ければと
思うことはあります。このようにロータリー会員の方々の絵を
見ると刺激を受けますが、実現は果てしなく先のような気がします・・・

芸術の春6.jpg

思うように行かないのが人生

  • 2012年4月27日 08:06

先日、城南信用金庫の友の会の発足記念の集いに参加し
小泉純一郎氏の特別講演を聞く機会がありました。

父親が急逝、その後を継いで初出馬したのが27歳のときで
「弔い合戦」は負けないと言われたが落選。この時奇しくも27歳で
親のあとを継いで出馬した候補が3人いて、小泉さん以外の2人は
当選したそうです。その1人が小沢一郎氏とのことで驚きました。


城南友の会0.jpg


首相になってから「会社勤めをしていないのに厚生年金を
払っていたのはおかしい」と追及されたのは、落選中に
ある会社の社長が「社員として雇うが、出社に及ばず」と
支援してくれたときのことで「人生いろいろ、社長もいろいろ」
というこの時の答弁は流行語になりました。

2005年郵政改革法案が参議院で否決されて、衆議院を解散
したとき季節は8月、酷暑の選挙はやりたくなかったというのが本音。
それに衆議院選で勝利しても、参議院の勢力は変わらないわけ
だから、常識では衆議院解散は考えられない。それが衆議院での
大勝利で参議院も法案が通過したのでした。


城南友の会.jpg


人は生まれる場所や時代、親を選ぶことはできない。つまり
最初から思うようにならないのが人生で、それをどう面白く
するかが人生、と小泉さんは語りました。

アメリカとの関係については、安保条約を結ぶと戦争に
巻き込まれると言われていたが、アメリカが抑止力になって
日本は戦争と無縁で戦後の経済発展が遂げられた。日米関係が
良くなればなるほど、他国との関係が良くなると力説しました。


城南友の会1.jpg


2004年11月APECがチリで行われた時、各国首脳とのアポを
事前に取る際中国から突然「靖国神社に参拝しないことが会談の条件」
と通告されたので、外務省に「靖国神社は必ず参拝します。それで
良ければ会談を」と返答させたら、中国は靖国参拝を聞かれても
あいまいにして欲しい、と条件を後退させ会談をOKしたとのこと。
いま日本に欠けているのはこの毅然さなのです!

日本は今までいつもピンチをチャンスに変えてきた。
10万人が死亡した関東大震災、300万人が命を落とした太平洋戦争。
戦後すぐの日本の人口は7000万人、東京は350万人。日本人には
知恵があり努力を惜しまない国民性がありこの大震災も必ず復興できる。


城南友の会2.jpg


1994年天皇が訪米した時クリントン大統領が挨拶の中で
「楽しみは朝おきいでて昨日まで無かりし花の咲ける見る時」と
橘曙覧(あけみ)の歌を引用したとき、これを誰も知らなかったとのこと。
何でもないことに楽しみを見出すことは日本人の特性でしょう。

絶対破られない記録、それは尾崎行雄の衆議院在籍63年、連続
25回当選。彼の言葉に「人生の本舞台は常に将来にあり」があり
常に政治家は未来を見据えるべき、と語って講演を終えました。

人をそらさない話し方は相変わらずで70歳という年齢を全く感じさせず
今の政治の混迷のなか「この人がいたら」と思わずにいられないひと時でした。


21  22  23  24  25  26  27  28  29  30  31

Home

Search

ページ上部へ戻る