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市川社長のブログ

井田病院

  • 2012年8月27日 20:03

私の住む中原区には大きな病院が3つあり
この地の暮らしやすい環境の一つになっています。
日本医大病院、関東労災病院、そして川崎市立の
井田病院です。

昨日、父方と母方の叔父2人がたまたま井田病院に
入院していてお見舞いに行ってきました。


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2年前から免震構造の大規模な改築工事を竹中工務店を
中心とする企業体が施工しており、5月に1期工事が終って
新しい建物が開院したところでした。


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      西病棟と看護婦宿舎(昭和46年完成)

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          かわさき総合ケアセンター

井田病院の開設は昭和24年で、当社では当初の
木造建物の時代からずっと工事に関わってきました。
昭和50年完成の3号棟は戸田建設との共同企業体で施工し
最後の工事は緩和ケア、高齢者ケアを目的に平成10年に
オープンした「総合ケアセンター」の建物でした。

こんな経緯もあり新しい病棟はどんな風なのか興味がありましたが
初めて見る新病棟は私の想像を越えた仕上りで、デザイン性は
他の2つの病院より優っているように感じました。


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入口を入ると左前方に総合受付が見えてきますが
待合の椅子や木質系のカウンターが暖かな感じで
その先の右手は大きな吹き抜けになっていて
奥にはドトールのお店が見えます。


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        病室のカラフルなコンセント


壁や床の材料、色彩も変化に富んでいて、フロアごとに
ケヤキ、カエデなど木をモチーフとした名前が付いています。
また7階には「展望ラウンジ」があり、従来の病院のイメージを
完全に払拭しています。

現在稼働中の病床は292床ですが、2年後の完成時には
383床になる予定です。当社とも縁のある病院が
このように新しく生まれ変わっていくのを見るのは
中原区の住民としてもうれしいことです。

真夏の「第九」

  • 2012年8月14日 17:03

ベートーヴェンの「第九」というと日本では年末の
年中行事という感がありますが、このお盆休み中に
サントリーホールでの「第九」を聴きに行ってきました。

初めて「第九」を生で聴いたのは私が高校1年だった
昭和44年(1969年)の年末で、オーケストラはNHK
交響楽団、指揮は当時37歳の岩城宏之でした。


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             当時のプログラム


今回はソプラノパートで出演されている方からのお誘いで
行ったのですが、実は私もだいぶ前にテノールのパートで
第九に出演したことがありました。

初めて聴いてから20年後の1989年に、私の母の弟が
市民合唱団に入っていて誘われて歌ったのが始まりで
そのあと3,4回歌っていると思います。この時は母も参加し
練習は3カ月、私はパート別のテープを購入して耳から覚えて
何とか本番に間に合わせました。


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           私 と 母 と 叔 父(1989年)

今回のコンサートはチャリティーで、演奏前に北朝鮮の
拉致被害者の会に寄付金が送られ演奏がスタート。指揮は
小林研一郎でオーケストラは日本フィル。前から4列目の
席から見る通称コバケンの後ろ姿は凛として美しいものでした。


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           壇上の横田滋夫妻(中央)

第一楽章が怒涛のように始まったとき、今は入院している
音楽好きの母にリハビリを兼ねて第九を何度も聴かせたことを
思い出して不覚にも涙が溢れてきました。

そのあとも音楽に呼応して不思議に涙が流れます。
ベートーヴェンの音楽には人の心を揺さぶり、困難なことを
避けずに立ち向かおう、という気持ちを鼓舞するものがあり
色々考えているうちに高揚してグッと来てしまうのです。

第四楽章が始まり「歓喜の歌」のメロディを弦楽器が
ゆっくり奏でてから合唱が始まるまでの部分が特に良くて
自分が指揮をしているよう手に力が入り、隣の人に
悟られないよう足で拍子をずっと取り続けました。


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私は第九を何度も聴いていますが、今回ほど感銘を受けた
ことはなく、音楽が人を動かす威力をあらためて感じました。

フォトブック

  • 2012年8月10日 13:20

私がフィルムカメラを使わなくなってから4年になります。
2008年秋のアメリカ東部への旅行の前に一眼レフを
CANONのデジカメに買い替えてからです。

買う前と後と何が違ったか?それは撮る写真の枚数で
フィルムカメラでは1週間の旅行で4~500枚だったのが
1,000枚くらいは軽く撮るようになりました。

デジカメは後からいくらでも消去できるので"取りあえず
撮る"ことが多くなり、また同じ場面で何枚も撮るので
1枚ずつ慎重に撮るフィルムカメラのすぐ倍以上になります。

では写真の出来はどうか?というとこれは変わりません。
それは本人の「腕」次第だから当然ですが・・・

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今までカメラで撮ったものは全部プリントしていましたが
1回の旅行で小さなアルバム10冊くらいになってしまうので
去年からプリントしないでパソコン上で見るようにしていました。

しかしどうしても手に取って写真を見たい、また人にも見せたい
という思いが強くなり、娘がパソコンで注文したフォトブック
を見せられ、私も一度注文してみることにしました。


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最初頼んだものは1冊40ページが最大で、これでは一度の旅行で
6~7冊必要になるので思案していたところ、他のメーカーが
最大120ページのフォトアルバムを始めたことを知りました。

「フォトバック」で検索し、登録を済ませてログインしてから
載せたい写真をアップして、1ページずつ構成パターンを選び
写真をそこに貼り付けていきます。120ページ分を1日では
できませんが、データは14日間保存されるので数日かけて作れます。


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入力終了後1週間で初めに頼んだ「South Colorina」が、3日後に
「West Virginia」が宅配されました。紙質、写真の上りとも
満足のいくもので、価格も1冊240枚で計算すると、普通にプリント
する代金とそれほど変わりません。

これはいいものを見つけました。このフォトブックを逆かのぼって
次々に作ることを考えて、一人ほくそ笑んでいるこの頃です。


百合丘小学校

  • 2012年7月31日 08:13

約1年半に渡って4社のJVで工事をしていた
百合丘小学校が完成して今日引渡しを迎えました。
昭和40年の開校当時も当社が施工を行いました。

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駅からのバス通りと敷地には段差があり、今までは
段差のない北側の狭い道路に入口があったのですが
今回は大通りからバスも入れるように校舎の3階に道路から
ブリッジを渡して正面玄関に入るよう設計されていて
これが施工を難しくさせる要因の一つになりました。

内部は他の小学校では見られない特徴がいくつもあります。
まず案内板には点字がほどこされ、部屋名も大きく表示され
広い保健室に続いてカウンセリングルームがあります。

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教室は基本的には「オープンクラス」で廊下との仕切りが
ありません。アメリカの小学校の映像で見たことがありますが
生徒はいくつかのグループで別々なことをやっていました。
どんなカリキュラムなのかとても興味があります。

合唱に力を入れている当校の音楽室は広々としていて
図書室もカラフルなデザインです。給食室の厨房設備は
何千万かするそうで、コストを考えれば直営ではなく
外注した方が安いのでは?と納税者の立場で思いました。

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床材は今までは長尺シートが普通だったのが1階を除いて
フローリング貼りです。小学1年生から慣れ親しんでいれば
賃貸建物の床もフローリング希望になるわけです。

また洗面・トイレは普通の男女別々のもののほか
「だれでもトイレ」と表示された車椅子でも入れるものが
何か所もあり、今は一般の学校施設の標準設計なのでしょうか?

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プールは屋上に設置されています。そのほか太陽熱の設備や
菜園スペースがあり、別棟の屋上は芝生が敷き詰められ
省エネの方向性は屋上利用にも反映されています。


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開放的な新校舎で"よく遊び、よく学び"広い心を持った
感性豊かな子供たちが巣立って行くことを願わずにいられません。

平泉への旅

  • 2012年7月13日 09:42

山形新幹線を一ノ関で降り東北本線に乗り換えて
二つ目が「平泉」です。先週は関連会社のB&Rカワサキ
の旅行に参加し、この地を訪ねました。

平泉町は今でこそ人口8000人の、岩手県で最も
面積の小さい町ですが、平安時代末期には平城京に次ぐ
大都市だったそうです。


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その中心は850年に創建された中尊寺。約250年後に
奥州藤原氏の初代・清衡(きよひら)が大伽藍を造営し
大規模に整備し、昨年日本で12番目、東北では初めての
世界遺産に登録されました。


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平泉の駅前広場から西へ毛越寺に向かって真っすぐ伸びる
広い道路の両側に面している建物は、和風の2階建てですが
一通り建て替えが終った感じで古い年代のものはありません。


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金融機関が大きな切妻の和風建築になっていたのが
珍しいくらいで、駅から北方向の中尊寺に向かう道路の方が
古い佇まいの店舗がいくつか見受けられました。

平泉の町は小さいので毛越寺、中尊寺という二つの
世界遺産を駅から歩いて見学できるのはメリットです。


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毛越寺の創建は中尊寺と同時期ですが、火災や戦火で
長い間建物の礎石を残すだけになっていたのが、明治の
後半になってから新しく本堂や庫裡を再建したそうです。

したがって中尊寺と比べて建物が少ないのが物足りない
感じですが、池を中心とした庭園を歩きながら、壮大な
伽藍の遺構をゆっくり廻りながら平安時代に思いを馳せる
という趣向です。


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久しぶりに訪れた中尊寺は、有名な金色堂はじめ本堂や
能舞台などさすがに見るべき建物が多く点在していました。
ただ新しい鉄筋コンクリート造の宝物殿は、形は和風ですが
この由緒あるお寺にそぐわない、と思うのは私だけでしょうか?

"古いものより新しい建物に価値を見出す"のは日本人の特徴で
このようなものを見る度にその功罪を考えてしまいます。


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