市川社長のブログ
卒塾式
- 2012年11月25日 18:59
1年通った「創新塾」が終了して21日に卒塾式が
ありました。「経営とは"存続"であり、創新(革新と創造)
なくして企業の存続はない」というのが塾の根幹です。
革新とは、今まで気づかなかったことに気づくこと
創造とは、気づいたことを付加価値として実現すること。
その前提は今の日本に存在する大きな需給ギャップ。
つまり供給が過多でどの業界も「買い手市場」になって
過当競争が起こり、結果は「生存」か「淘汰」しかない
ということを第1講で塾長は強調しました。
月1回の8時間の講義は原則遅刻、欠席は許されず
毎回宿題が出るだけでなく、小テストもあるのです!
同期は弁護士、建築家、日本のシェアNo.2のジャムメーカー社長
企業ブランディングの専門家など私を含めて6名。
講義形式は先生の話を一方的に聞くだけではなく
塾生の共同作業も多く、初講では「太平洋から生還せよ!」
という興味深いプログラムがありました。
航行中のヨットで火災が発生し、乗客が救命ボートに
移るとき持っていくものに優先順位を付けるゲームで、
初め個人で行った後、6人が協力して順位をつけ直し、
用意された正解と照らし合せます。すると個人の点数より
全員で行ったときのほうがずっと点数が良くなり
"衆知を集める"ことの大切さが体得しました。
また「100年企業探求会」では100年以上存続する
会社を訪問し、発表会で別の期のグループとプレゼンの優劣を
競い合います。以前ブログにも書いたように我々は「文教堂」を
選んで訪問した後、プレゼンの打合せを同期生の青山のオフィスや
六本木のカフェで行ったこともいい思い出です。
塾の後半から始まった「AIC会議」は、各社が作った将来計画を
実施していくなかで、何が重要課題なのかを他の同期生全員が
アイデアを出し合って、そこから本質のポイントを抽出し、さらに
その実現のための具体策を決めてくという共同作業です。
他社のことは客観視できるせいか有益な意見が数多く出ました。
最終日は1年間で気がついた同期生の良いところや改善点を
「塾友メッセージ」としてお互い伝え合いました。中々そのような
ことを人から指摘される機会はないので、同期生からの意見は
ありがたく、6名は今後も定期的に情報交換することを約束しました。
卒塾式では各々が今後の経営基本計画を発表した後
各々が事前に選んだ座右の銘の額を受け取りました。
私のものは「知行合一」~知ったことを行わないのは
知らないことと同じ~塾で学んだことを実践あるのみ。
1年間で得られた経営の気づきと友人。学校時代の卒業式
にも似た微妙な心境を久しぶりに味わっています。
授業参観
- 2012年11月 6日 18:28
先日、珍しく近くにある大戸小学校から授業参観の
案内が来ていたので3日の祝日に行って見ました。
今の教育は私が受けた頃とあまり違っていないのでは
という疑問が私にはありました。高度成長時代とは
すっかり変わった今の世の中で、教育が変わらなくて
時代を変えてくことはできないのです。
人と自分とは違う、ということから教育が出発する
欧米と、なるべく人と違わないよう目立たないよう
結果として教育?される日本。今の停滞している状況が
皆と同じことをやっていて打破できるとは到底思えません。
そんな先入観を持って、たまたま6年生の社会の時間で
秀吉の検地と刀狩りがテーマの授業を参観しました。
まず田んぼに農民数人と武士がいる絵を見せて、これは
どんな場面だと思うか質問します。意見が出てそれを次々
白板に書いたあと、秀吉が検地役人に出した手紙を読ませます。
何をしている場面か分かった後、これは農民にとって得なのか
そうでないのかを発表させ、また秀吉にとってのメリットは何か
意見を求めて白板にそれを書くのですが、意見を言った人の
名前を冒頭に必ず書くのが強く印象に残りました。
自分がその立場ならどう考えるかをまず発表させて
違う意見にも耳を傾けてから資料を読むので、頭に入り易い
と思うし、何より自ら考え、発表する力が付きます。
私はこの授業の進め方に驚き、児童が積極的に発言するのに
さらに驚きました。この先生が特別なのでしょうか?それとも
教育の方向が基本的に変わってきたのでしょうか?
私が先日、全社員を集めて話した今期の行動目標の一つが
「自ら考え、自ら行動しよう」なのです。社員一人一人が自分で
もの考え、他と違う行動をしていかなければ、競争に勝ち残れない
現代、教育に期待するところは余りに大きいのです。
南アフリカからのお客様・その3
- 2012年11月 6日 08:23
23日は生田緑地で様々な日本文化を体験しました。
最初に訪れた日本民家園では、まず入り口近くの
「旧原家住宅」を見学しました。
これは小杉にあった元県会議員の住宅を当社で解体
移築したものですが、元々は私の曽祖父とその兄が棟梁となって
建築し、若き日の祖父(当社の創業者)もその手伝いをしたのです。
室内で工事の様子を写した映像を見ると、懐かしい
大工さんの顔が何人も映っていました。また敷地の
一番奥の「船越の舞台」は江戸時代に三重県の漁村に
建てられた芝居小屋で、晩年の祖父が移築工事の指導に
当っていたことを覚えています。
南アフリカの5人は興味深く見学していました。時々
「建物に煙突がないのに火をたいて煙はどうなるのか?」
などと聞かれ、すぐ答えられない場面も。
彼らと同行して感心することは、専門外のことでも何しろ
よく質問することです。翌日公認会計士事務所を訪れたときは
所長に「どうして独立しようと思ったのですか?」その後の
関東労災病院では院長に「どうして医者になったのですか?」
民家園のあとは岡本太郎美術館を見学、青少年科学館では
プラネタリウムを楽しみました。日本文化の体験はこのほか
習字教室で大きな文字に挑戦したり、生け花教室では
南アフリカ原産のピンクッションという花を上手に活けました。
24日の夜は当家で開いたホームパーティに全員が参加。
会話は多岐にわたり話題が尽きません。私が日本では
子供の名前に変わったものが多くなっていると言うと
向こうも同じで「STORM(嵐)という名前もある」
とのことで日本にもある名前なのにはびっくり!
その一人が「外国旅行をしても家庭を訪れることは珍しく
各々のカルチャーなど今日は色々な話ができて楽しかった」
と言ったことがたいへん印象的でした。
南アフリカからのお客様・その2
- 2012年10月31日 14:00
15日、来日したGSEメンバーの歓迎会がありました。
また来年南アフリカに派遣される日本チームがそこで
紹介されました。その一人が当社の工事部の林明子です。
(写真下・中央)
当日は南アフリカ駐日大使も参加され、ポリオワクチンの
接種など貧しい人々への同国のロータリーの活動や
私たちに対して謝意を述べられました。(写真上)
GSE委員としての私の担当は先週1週間で、地域の主な
企業やメンバーから要望のある場所を回りました。
月曜日に訪れたサントリーの商品開発センターでは
映像での説明のあと、異物の混入や、匂いが変などの
クレームのついた商品を分析する部署で話を聞きました。
そのほとんどが製造工程以外が原因ですが、混入物を
分析してそれを消費者に説明するのが仕事とのこと。
万一製造の過程で起ったことが分かった場合は即刻
市場からすべての商品を回収するそうです。
午後は川崎市長と交通局、まちづくり局を訪れました。
交通工学のエンジニアのクリシュナのリクエストです。
「混雑時にバスを優先的に通すようなシステムはあるか」
との質問に「川崎駅から臨海部までで信号がバスを感知して
変わる経路がある」そうで市民でも知らない人が多いのでは?
まちづくり局では川崎市の1日の交通事情を市内から市内、
市内から市外、単なる通過の3つに分けた統計がありました。
これによると平成42年まで交通量は増え、通勤などで
市内から市外に移動する量も今より増える予測です。
当社が管理している賃貸建物では都心へ通勤している人の
割合が多いのですが、さらにあと20年は増え続けるという
予測は当社にとっても価値のある情報でした。
これは川崎市では将来とも私たちの仕事が減らない
ということが公けに裏付けられたことになります。
南アフリカからのお客様・その1
- 2012年10月29日 19:23
25から40才までの社会人をお互いの国に
派遣して職業研修や文化体験を行うロータリーの
GSEプログラムは今回が最後になりました。
今月13日、南アフリカチームの5人が来日しました。
彼らは1ヶ月間横浜と川崎のロータリーの会員宅に
ホームステイしながら企業訪問などを行い、私たちGSE
委員は1週間単位で彼らのお世話を担当します。
今回は特に専門性の高い職業を持っているメンバーが
集まりました。団長でロータリー会員のシャーンは
栄養士で、一昨年は地区統括のガバナーを務めました。
バヴェニーは原子力発電所に勤務するエンジニアで
アニーは公認会計士、ガイは人体の立体アニメーター
クリシュナは交通工学のエンジニアで、それぞれ関係する
企業などを5回訪れるのが決まりになっています。
シャーンは20日から1週間、当家に滞在しました。
職業柄からか食べるものには気をつけているようで
当家の野菜中心の食事はピッタリだったようです。
21日の日曜日にクリシュナも一緒に東京見物に行きました。
まず明治神宮です。都会の真ん中のあれだけの緑の空間
に驚き、隣接の原宿の喧騒との差を楽しんでいました。
表参道で昼食を取ったあと浅草へ。仲見世や浅草寺を見た後
地下鉄に乗り竹橋で下車。地上に出るともうそこは皇居の
お堀端で、ここでも浅草の賑わいから一転した静寂さに
感銘を受けていました。
平川門から東御苑に入り、大手門から出てリニューアルの
終ったばかりの東京駅へ向かいました。約100年前の姿に
復元された赤レンガ駅舎は日本の中心にふさわしい重厚さで
バブル期に超高層ビルに建て替える計画もあったようですが
考えただけでもゾッとします。
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