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市川社長のブログ

九州の旅 その2

  • 2013年2月25日 18:10

香蘭社を出て、深川製磁という陶磁器メーカーの
運営する「チャイナ・オン・ザ・パーク」へ。ここの
大花瓶も1900年のパリ万博で金賞を取っています。


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工場直営のアウトレットで茶碗を購入し、敷地奥にある
階段を上がると重厚な煉瓦貼りの建物がありました。
作品の展示・販売をしている1階を通って、大きな吹き抜けから
2階に上がりカフェで遅い昼食を取りましたが、これだけ
立派な施設をお客さんのため町はずれのような場所に建てた
メーカーの姿勢に感銘を受けましました。


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夕刻博多に戻り、複合商業施設キャナルシティにある
ホテルにチェックインし、翌日は電車で「学問の神様」
菅原道真公を祀る大宰府天満宮を初めて訪れました。


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駅から参道を歩いていくと変わったスターバックスがあり
調べると、"自然素材による伝統と現代の融合"という
テーマで建築家の隈研吾が設計した店舗でした。


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池に架かる太鼓橋を渡って桃山時代の建築の本殿に参拝。
五分咲きの梅を見ながら境内を抜け、ボストン美術館展を
やっている国立九州博物館へ。

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多くの日本美術の逸品を所蔵するボストン美術館展は
昨年3月の東京を皮きりに名古屋、福岡と廻っており
東京展を見損なっていたのでちょうどいい機会でした。

まず平治物語絵巻と、遣唐使の吉備真備を描いた全長
24mの絵巻物が圧巻!その物語性と人の動きの
細かい描写は見ていて飽きることがありません。


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                 平 治 物 語 絵 巻

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                曽 我 蕭 白 の 屏 風


また曽我蕭白という絵師の作品の、筆の運びや題材の
奇抜さに私は魅せられ、30年あとに生まれた北斎にも
影響を与えたのではないか、と素人考えで思うほどで
遠くボストンで保存された日本美術の至宝に、私たちが
今こうして触れることができるのは幸せなことです。

九州の旅 その1

  • 2013年2月22日 09:14

昨年暮れに結婚した長女の夫の両親を
2泊3日で九州に訪ねました。先週金曜の夕刻
福岡空港に到着した家内と私は両親に再会して
一路、宿泊地の佐賀・嬉野温泉へ。

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          ハミルトン宇礼志野

予約した宿は英国風な建物で、細部までなかなか
よく出来ていて、長崎のグラバー邸ではないですが
外国人の邸宅を保存して古くから営業しているのか
と思って聞くと、開業19年という意外な答え。


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この温泉地のウリは「日本三大美肌の湯」。
確かにお湯はぬるっとした感触で他の温泉では
あまり経験したことのない種類のものでした。

翌日私たちは陶磁器の町、有田へ向いました。
まず県立九州陶磁文化館ではボランティアの説明で
館内を見学。江戸期の古伊万里はずい分ヨーロッパに
渡って王侯貴族を魅了したようです。


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           柴田夫妻コレクション


また東京の実業家が、収集した陶磁器を1万点以上
寄付してできたコレクションがあり現代ではパトロンが
貴族から経済人に移っているようです。

その後は伝統ある窯元を幾つか訪問。まず築150年の
建物に現在も当主が住んでいる今右衛門の古陶器展示館へ。
昭和天皇が訪米された際、フォード大統領へのお土産
としてここの花瓶が宮内庁に買い上げられたとのこと。


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道路の向いには明治期に建てられた香蘭社の本社・
ショールームの洋館があります。ここの作品は明治から
昭和初期まで度々海外の万国博に出品し、グランプリを
受賞したそうです。


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この通りはなかなか魅力的で陶磁器の窯元や年代の
古そうな店舗が軒を連ね、その割には観光客らしい人は
見かけません。やはり地元の人の案内がなければ
来られない場所でした。

奇跡のレストラン

  • 2013年1月11日 19:14

当社の仕事始めは毎年1月5日。この数年この日に
全社員に私が1時間程度の話をするようにしています。

今年は、まず人口減少に転じた日本で2035年まで増える
中原区の人口予測を紹介し、同時にライバル企業の多さ、それに
勝つには日々の改善の積み重ねしかないことを話し、一例として
今期の第1四半期に出された改善提案の優秀者を発表しました。

最後に「ガイアの夜明け」で紹介された都内のあるレストランの
映像を皆に見せました。表参道の「カシータ」です。ここは
広告費を一切使わず、リピーターとその紹介だけで売上げを
伸ばしている"奇跡のレストラン"と言われているところです。


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オーナーの高橋氏は「誰もフォーカスしていないサービスに
特化したレストランを作れば、お客様はまた来てくれるし
絶対にお客様を紹介してくれる」と語っていました。

予約の段階からお客さんに色々な質問している映像が流れ
来店して席に着くと自分の名前が刺繍してあるナプキンに
まず感激します。そして帰り際に預けたコートのポケットの中には
カイロが!この日急に冷え込んだので急遽スタッフが考えたのです。


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また番組では、食事のあとプロポーズをしたカップルを追い
プロポーズを受けたあと眼下を見るとスタッフが「おめでとう」の
プラカードを持って見上げているのです。カップルはもう涙、涙・・・


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昨日、ERAチェーンの経営トップセミナーに参加しました。
安藤社長の今年の見通しの話のあとは、角田識之氏による
「地域密着型企業が"感動力"で大手と差別化する時代」という
テーマの講演です。驚いたのは角田氏があるリフォーム会社の
社員を連れ、この「カシーダ」まで食事に行った話になったところ。

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最初は少し我儘を言ってやろうか思っていた社員たちが
あまりに素晴らしい対応に感激して、最後は間違って出てきた
コーヒーも気持ちよく飲んだのです。その訳は"それを指摘して
良くしてくれた店員に頭を下げさせたくなかった"からでした。

その後その会社は、顧客満足度のアンケートで大手を抑えて
トップになるまで成長したそうです。私たちも同様で「他では
やっていないサービス」を行なっていくこと以外に、大手との競争に
勝ち、生き残っていく方法はない、ということを確信しました。

渋谷・松濤町

  • 2012年12月17日 22:48

今日、私は初めて井の頭線の渋谷から1つ目の
神泉駅で降りました。神泉というと東電OL殺人事件を
思い出しますが、ここは都内でも指折りの高級住宅地の
「松濤」へは一番近い私鉄の駅です。


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向かったのは高級フレンチレストランの「シェ松尾」。
今日は当社のエリアスタッフのメンバー5人の1年の労を
ねぎらうため、ランチをちょっと張り込んでみました。

「シェ松尾」の開店は1980年で、その後青山ほかに出店し
洋菓子店や惣菜の販売など一時はグループ全体で19店舗まで
拡大し、高級レストランの代名詞になりましたが、経済変動の
波を受け、2年前から経営母体が変わったようです。


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大正末期に英国人により建てられたというこの店舗は
当時の雰囲気がなかなか良く残されていて、建物だけでも
一見の価値がありました。

今日のメインは真鱈のポワレと鴨胸肉のローストでしたが
前菜のフォアグラからの一皿一皿がとても美味しく
ゆったりとしたランチが終了したのは3時を過ぎていました。

レストランを後にした私の興味は、松濤の家並みです。
さすがに敷地の規模や、高級感のあるデザインなど
都内でもあまり見られないような大邸宅が隣り合っていました。


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途中あった公園の名前は「鍋島松濤公園」とあります。
この地域には江戸時代に紀州徳川家の下屋敷があって
明治になり佐賀の鍋島家が譲渡をうけ、ここに「松濤園」
という茶園を開き、それが町の名前の由来になりました。
ここのお茶は一時東京中に広まったとのことです。


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明治中期、東海道線の開通により静岡茶が入ってきてから
茶業が振るわなくなって果樹園に変っていき、大正時代には
次第に宅地として分譲されて、今の邸宅街が形成されたのです。

公園は鍋島侯爵邸の跡地です。帰りは東急文化村の横を通って
渋谷駅に出ました。渋谷の大喧騒の裏手の歴史ある住宅街が
一面の茶畑だった頃を想像するのも楽しいことです。

入居者の交流会

  • 2012年12月 9日 20:19

当社が施工・管理しているマンションのなかで
最も規模の大きい「センチュリー等々力緑地」は
2年前の10月から入居が始まり12月に満室になりました。

それから2年が経過し、今でも満室を保っていて
その間10所帯が転居したのですが、すぐに次の
入居者が決まっているのが特徴です。ペットと共生
できる住居というコンセプトも魅力なのでしょう。


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昨夜は2度目の入居者交流会を開催しました。
分譲マンションなら管理組合等を通して入居者が交流
する機会がありますが、賃貸ではそうは行きません。

当社の最終目標は、建物完成後入居者の快適な暮らしを
実現させることで、そのためにはまず「建物」という
ハードと「暮らしやすさ」というソフトが必要です。


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前者を充実させるのは当然ですが、後者に気を配って
管理を行っている会社は少数で、当社では入居者同士の
コミュニケーションが「暮らしやすさ」に繋がると考えます。

「私たちは昼間不在で、お隣の方と話したことがないのです」
「赤ん坊がいるので、上下の居住者に一度ご挨拶をしたい」
昨夜このように話されているご夫婦が複数組ありました。


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住み心地を聞くと「エレベーターや廊下ですれ違う時
知らない人から挨拶をされるので嬉しい。以前住んでいた
ところは、会うと顔をそむけていた。」という方も。

もし入居者交流会が少しでもこのようなことに寄与
しているとすれば、たいへん嬉しいことです。交流促進へ
さらにできる事がないか、考えていきたいと思います。


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また「住んでみると中原地域は住みやすいので
分譲住宅の購入も考えたいが、お宅では扱っていないか」と
聞かれたのは意外で、今後の当社の検討課題が
入居者の方から投げかけられた形になりました。

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