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市川社長のブログ

北斎の帰還

  • 2016年12月28日 17:12

暮れも押し詰まった先週、11月にオープンした両国駅
近くの「すみだ北斎美術館」の開館記念展に足を運びました。
私は以前、長野・小布施の「北斎館」で富嶽三十六景の中の
「神奈川沖浪裏」の複製版画を購入したことがありました。

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      北斎館で購入した版画

葛飾北斎は1760年、現在の墨田区本所付近で生まれ、
90歳という当時ではとびきり長命の生涯を閉じるまで
93回引っ越しをしたといわれていますが、そのほとんどを
隅田川かいわいで過ごしたとされています。

その経緯もあり、墨田区では平成元年にこのゆかりの地に
美術館を建てようと計画したが紆余曲折があり、その間
北斎作品の収集は続けて、やっと開館にこぎつけたのです。


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       美術館正面(設計は妹島和世)

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平成6年には世界最大の北斎コレクターといわれたアメリカ人が
亡くなった後、遺族から「散逸させたくない」という理由で
数点しか現存しない初摺りの「富嶽百景」を含む約700点を
破格の値段で譲り受ける、という幸運もありました。


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         開館記念展の図録

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開館記念の展示が「北斎の帰還」と題されているのは
100年以上その所在が分からなくなっていた肉筆画の傑作
「隅田川両岸景色図巻」が公開されているからです。

この作品は明治25年に上野で開かれた浮世絵展への出品後
海外に流出して行方が分からなくなっていたのが、平成16年に
100年ぶりにロンドンのオークションに出品されたことを確認した
墨田区は、オーナーと交渉して昨年取得しました。

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縦が28.5cm、横が6mを超えるこの絵巻物は、両国橋から
隅田川を上って吉原に向かう両岸の景色と、遊郭で男女が遊ぶ
様子が生き生きと描かれ、西洋風景画のようなタッチもあります。

さらにこの購入資金の1億4904万円は区内の3人の
篤志家からの寄付だったことを知り、先日福田川崎市長が
アメリカの美術館はほとんど民間が支えている、と言ったことを
思い出して、「お上」中心の日本が少し変ってくる兆しを感じました。


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川崎の多様性

  • 2016年12月21日 17:54

昨年秋に続き、福田市長に先週ロータリークラブで
お話をしていただきました。テーマは「私の出発点
アトランタ」です。来年6月、ロータリーの国際大会が
アトランタであり、私たちは参加ツアーを計画しています。

福田さんがお父様の転勤でジョージア州アトランタに住み
地元の高校に通い、自分の町は自分たちで作るのだ
という精神に影響され、卒業するころは「日本に帰ったら
政治家になろう」と思うようになった原点のまち。

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アメリカは欧州や日本に比べ例えば文化事業なども
若干の政府補助以外は民間が支えることが多く、
主に住民や企業の寄付で運営されているそうです。

ただし民間で言うと富めるものと貧困層の差は大きく
その後進学したサウスカロライナ州の大学では
学生の25%くらいは超高級車を乗り回し、先祖からの
遺産で生活している人達のように感じたとのこと。

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さてこの夏、川崎市に新しいロゴができたことは
知っていましたが、この日の説明で内容が理解できました。
「Colors,Future!」のメッセージの下に
赤、緑、青の「川」の字がデザインされています。


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「川崎は単なる一色ではなく、多様性を生み出すことを
意味する」という福田市長の言葉に、ロータリー奨学生の
緒方貞子さんが講演で「日本に必要なのは多様性。でも今は
同一性に向かっている」と言っていたことを思い出しました。

川崎市は2020年のオリンピックで英国チームのキャンプ地
に決まりましたが、重点を置きたいのはパラリンピックの方で
これを機に「パラムーブメント」というビジョンを策定。これは
障害者や高齢者、子供達に優しい街づくりを推進しようというものです。


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さらにこれを2024年の市制100周年につなげる「レガシー」に
していきたいとのことで、長期にわたるこの構想の実現は
若い福田さんだからこそ実現できるものと期待しています。

残された昭和初期の名建築

  • 2016年11月27日 09:56

建設業が3Kと言われてから久しいのですが、神奈川県では
それを払拭するべく「建設ステーション元気アップコンテスト」
を毎年行ない、建設現場での創意工夫を表彰しています。

当社は昨年「コンクリート祭り」で応募したところ、奨励賞を
いただきました。今年度は17回目を迎えた「夏休み工作教室」
で再び応募したところ、コミュニケーションアップ賞を受賞し
一昨日横浜で表彰式がありました。


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会場は日本大通り駅で降り地上に出るとすぐの横浜情報文化
センターで、ちょうど神奈川県庁の斜め向かいです。

この建物は関東大震災後の復興事業で昭和4年に「横浜商工奨励館」
として建てられ、昭和50年代に商工会議所が移転したあと20年間の
空き家を経て、平成12年に旧館部分を残しながら後ろに12階が増築され
ました。旧館は横浜市認定歴史的建造物に指定されています。


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改めて見るととても重厚な設計で、西欧建築をうまく取り入れ
昭和初期の作品では代表的なものの一つでは、と感じました。
古い建物が次々に建て替えられる昨今ですが、横浜市は
よくこれを残してくれました。

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さて今日はロータリー財団100周年を記念してのシンポジウムが
東京駅前のJPタワーであり、国際親善奨学金で留学し、国連や紛争
地域等で活動を行っている学友が集合。(緒方貞子さんもその一人)


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会場は昭和6年に建てられた東京中央郵便局を再開発した
ものです。平成19年に郵政が民営化され建て替え計画が進み
ましたが、昭和初期の貴重な旧庁舎を保存して重要文化財に
という運動が起き、外観は保存・再生され38階建てのビルに。

中に入ると新しい建物との間が大きな吹き抜けになっていて
様々な店舗がクリスマス商戦を繰り広げていましたが、残されたのは
建物の一部なので文化財の指定は受けられませんでした。
このような形は本来の意味の保存とは異なりますが、昭和初期の
名建築を形だけでも残す手法としてよしとすべきでしょうか?


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さよならイベント

  • 2016年10月21日 14:49

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川崎市役所の本庁舎の「さよならイベント」のことを
新聞で知り日曜日に行きましたが、もう今年の2月に
すべての部署が移転して今まで閉鎖されていたのでした。


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昭和13年に竣工したこの庁舎は、数年前に耐震性から
建て替え計画が浮上し、市民の意見を求める期間があり
私は「戦前に建築された庁舎は市民の誇りであり、次世代に
継承させるべき」との意見を提出しました。しかしそのような
意見は私の1通だけ(記事参照)で、高層ビルへの
建て替えが決定しました。


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    (2016.3.15 神奈川新聞記事)

まず正面玄関ですが、ここがもっと広くて吹き抜けがある
立派なホールだったら、文化財指定もあったのではと思います。
設計者が事務所建築としてそこまで考えなかったのは残念です。


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中2階に渡り廊下があり、そこで本庁舎の歴史等が展示
されていました。そこを渡った北館には建築関係の部署が
集まっていて、よく仕事で行ったことを思い出しました。

中央階段を2階に上がると正面が市長室。福田さんが
市長に就任したあと、支援者が集まり昼食を取ったのは
もう2年半前のことです。


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      (2014.1.17 市長応接室で)


また講堂ではジャズコンサートが開かれていました。
ここは元の市議会議場としてはちょっと狭い気がしますが
昭和13年の川崎市の人口を調べると約24万人と今の中原区
くらいなので、当時はこれで十分だったのでしょう。


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最後に見たのは地下の入札室。元々は道場だったそうで
ここで十数年前に行われたとても大きな官庁工事の入札で
当社が僅かな差で落札したことがあり,思い出深い場所です。


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川崎市民でも市庁舎とは縁がない人が大半だと思いますが
私は関わりが多かった方の人間なので、最後に見学できて
良かったと思うと同時に、何とか残す方法がなかったものか
との気持ちを拭いきれずに、見納めに最後の写真を撮りました。

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アメリカ東部 その3

  • 2016年9月12日 08:27

ピッツバーグの結婚式に出ることをウエストバージニア州の
ロータリアンの友人のグレッグに連絡したら、ジェファーソン
第3代大統領の邸宅「モンティチェロ」に一緒に行こうと誘われ
シャーロッツビルのホテルまで紹介してくれました。

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     紹介されたリゾートホテル「ボアーズ・ヘッド」

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ピッツバーグから約30分のフライトでシャーロッツビルに。
空港はとても小さく、タクシー乗り場に車がいません。
仕方なく待っている間、ある女性と話をしたら親切にも
ホテルに車を回すように電話をしてくれたのです。このような
異国での親切はとても有り難いもので、私も困っている
外国人を見たら声をかけようと思いました。


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     空港のタクシー乗り場


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翌朝、そのホテルでグレッグ夫妻と4年ぶりに再会しました。
グレッグは2007年にロータリーのGSEプログラムの団長として
来日し、当家にホームステイしたことがきっかけで行き来するように
なり、彼の家にはすでに過去2回泊めてもらっているのです。

モンティチェロには立派なビジターセンターがあり、案内
ビデオを見たりして、館内ツアーが始まるまでの時間を
過ごしました。トーマス・ジェファーソンは政治家のほか
科学者や建築家などの顔も持ち、この邸宅は彼の設計で、
40年の歳月をかけて建設、改修、造園を行ったとのこと。


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次に訪れたのはジェファーソンが1817年に設立したバージニア
州立大学です。やはり彼が設計し、広大な芝生を囲んで教室棟があり
それを学生の宿舎が囲む形になっています。敷地面積は4.7㎢
というから一辺が2㎞以上ある広さ。ジェファーソンは学生が
建築様式を学べるよう様々なものを建てたそうです。


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日本では彼のことはあまり知られてはいませんが、彼が
手掛けた素晴らしい建物群を通して「合衆国建国の父」
の一人と言われていることを実感できました。

最後にグレッグ夫妻とシャーロッツビルのダウンタウンの
を散策し、「この次はあなたたちが日本に来る番」との約束?
を取り付け、アメリカ式にハグをして別れを惜しみました。


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      ダウンタウン・モール

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