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2015年9月 Archive
悠久の地・インド その2
- 2015年9月23日 19:10
翌日の午前中、ホテル近くにある本屋に行きインド
建築に関する書物を探しました。大きな吹き抜けのある
建物で、外壁の1844の数字は建物ができた年でしょうか?
サンデーブランチをホテルで取ったあと、私たちは
運動着に着替えて車で1時間半の郊外を目指しました。
だだっ広い野原にすでに30人くらいが集っていて
ここから約6㎞、走る人と歩く人に分かれて行くのです。
これはHASHという世界的な組織で、競うことなく走り
交流するのが目的。私は歩く方の組で所々に地面に付いている
チョークの粉を頼りに進み、最後はスタート地点に戻ります。
気温が下がる夕方から出発し、夕闇の中戻ってきました。
日本ではまず見られない本当に何もない、誰もいない荒野。
そこを約1時間半歩き、終了後の懇親会。特別な体験でした。
チェンナイ最後の日は近郊の寺院巡り。南へ下って
カーンチープラムでまず回廊の美しいカイラーサナータ寺院
を見たあと、約60mのゴープラム(ヒンズー教寺院の高塔)
があるエーカンバラナータル寺院へ。ガイドを頼んで中まで
案内してもらい、シヴァ神に手を合わせました。
さらに南のマハーバリプラムへ。ここには1984年に世界遺産に
登録された海岸寺院があります。7世紀頃建てられた石造建築を
代表するもので、いま寺院から海が見えないのは2004年のインド洋
地震で津波が建物の下まで来たので防災用の木々を植えたからでした。
その近くでとても不思議な巨大な奇岩を見ました。「クリシュナ
のバターボール」と呼ばれ、自然か人工かいくら眺めてもわかりません!
さらに一つの巨大な花崗岩から5つの寺院を彫りだしたという
「バンチャ・ラタ」を見学。7世紀頃の建築様式がよく分かります。
初めてのインド。街に繰り出す大勢の中に物売り、物乞いが入り混じり
路上はオートバイと車の追い駆けっこ!2030年にインドのGDPが
日本を抜く予想がありますがこの混沌こそがエネルギー源でしょうか?
悠久の地・インド その1
- 2015年9月21日 17:59
今まで訪れる機会のなかった悠久の地、インド。
イギリスに住む友人夫婦がインドを旅行するという話を聞き
思いきって一緒に行くことにしました。
彼らは南インドを約半月かけて旅行する予定で、私たちは
最初の訪問地チェンナイで合流しました。ここは首都のデリー、
ムンバイ(旧ボンベイ)、カルカッタに続くインド第四の都市。
友人夫婦より半日早く昼前に着いたので、午後からガイド付き
タクシーを事前にチャーターして市内を回りました。
まず神智学協会という団体の本部にある樹齢数百年のバニアンの
樹を見たあと、長さが世界第2位とうマリーナ・ビーチへ。
そのあと行ったのはパルタサラティ寺院。
まず入り口付近のお土産屋に靴を預けて中に進みます。
裸足で石畳を踏みしめながら、祀られている神の像の前に
ヒンズー教徒と一緒に並んで聖水をいただきましたが
足の裏の冷たい感覚と、黒々とした石柱の印象が強く残りました。
泊ったホテルは「タージ コネマラ」。タージグループのホテルは
.世界に100か所以上あるそうで、サービスが行き届いている
のには感心しました。レストランで食事が終わったとき
席までアンケート用紙を持ってきましたが、日本のホテルでは
経験がありません。帰国後にはアンケートのお礼が届きました。
その夜ホテルで友人夫婦と再会し、翌日まずセント・ジョージ砦へ。
1639年にイギリスが東インド会社をここに設立、そこから要塞の
建設が徐々に始まり、インドの支配を進めていったのです。また
町の名前も「マドラス」に変えましたが、今は元の名に戻っています。
武器などの展示のある要塞博物館を見たあと、構内を見学しましたが
今も軍の駐屯地となっている割には鷹揚で、写真もほとんど自由です。
その後繁華街の食堂で昼食をとりましたが、エアコンの効いている
2階に私たちは案内されました。やはり料金が違うのでしょうか?
私は辛いものがダメなので心配しましたが問題なく食べられました。
さらに歩いてサリーのデパートのような所へ行きました。こちらの
女性は9割以上日常でもサリーを身につけている感じです。
東京プリンスホテル
- 2015年9月 5日 19:07
今週木曜の朝、東京プリンスホテルで小泉進次郎
議員のモーニングセミナーがありました。地下鉄の
御成門で降りて日比谷通りに出ると右側がもう敷地です。
そこに建つのはホテル1棟だけで、対する敷地はとてつもなく
広いのです。建物まで伸びる歩道付の2車線の私道は100mを
優に超える長さで、その両側は広大な駐車場です。
開業は1964年、西武グループ初のホテルとして増上寺の
徳川家霊廟跡にオリンピック直前にオープンしました。
ほぼ同時にオープンしたのがホテルニューオータニ。東京は
オリンピックに向けてホテルが絶対的に足りなかったのです。
ニューオータニはこのあと40階建てのガーデンタワーと
30階建てのガーデンコートを建築しましたが、東京プリンスは
駐車場もそのままで、建物も直していないようです。
またこれより少し早い1962年にオープンしたのがホテル
オークラで、建て替えのため先月末で営業を終えました。
海外から解体を惜しむ声が多数寄せられましたが国内は静かなもの。
日本人は建物をいつくしむという習性がないのでしょうか?
私はせめてもこの日本美術を結集したような建物を最後に
体験したいと思い3月に泊まってきました。
それからすると東京プリンスホテルは大健闘している・・・
一昨日、日比谷通りを背にして東京タワーをバックに
ホテルの建物が見えたとき、特別な感慨があったのです。
さてこの日のセミナー講師の手嶋龍一氏の話が終った後
例によって小泉さんがショートスピーチ。安保法案に対し
著名人が発言していることについてこう言いました。
「ハリウッドスターは大統領選のときに旗幟を明らかにして
応援する。これに対し私的な発言を控えるのがこれまでの日本だが
少し変わってきた」これには私も大賛成で、何も言わずにいて
勝った方につくという姑息なやり方はそろそろ止めましょう。
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