- 2013年6月20日 17:34
ベルゲンより空路スウェーデンのストックホルムへ飛び
20世紀初めにできた市庁舎へ。毎年ノーベル賞の祝賀
晩餐会が行われる青の間は1300人が着席できるそうで
オスロの市庁舎のホールと比べるとかなりクラシックです。
祝賀会の舞踏会が行われるのは2階の黄金の間で
ここが市庁舎とはとても思えない宮殿のような豪華な内装です。
ガムラスタンと呼ばれる旧市街にノーベル博物館が
ありました。そこには過去の受賞者を年度別に表示する
端末が置かれていたので、日本人初の受賞者湯川秀樹から
山中教授までのプルロフィールを見ることができました。
ストックホルムは半日のみで翌朝、空路最後の訪問地
フィンランドのヘルシンキに向いました。国境がロシアと接し
国土の一部がロシアの支配下にあったこともあり
ロシア風の建築も目立ちます。
この国の作曲家シベリウスの記念公園を訪れたあと
岩盤をくり抜いてできたテンベリアウキオ教会を見学。
北欧の都市は岩盤の上に建ち、ノーベルは道路を作るため
岩盤を爆破するためダイナマイトを発明したとのこと。
それにしても岩盤の中に教会を作るとは...。内部に入ると
ピアニストがベートーヴェンのソナタを演奏中で別世界に
迷い込んだようです。
その後ロシア正教のウスペンスキー寺院とプロテスタント
ルーテル派(北欧の宗教の主流)のヘルシンキ大聖堂を
訪れたあと、日本でも名高い建築家アルヴァ・アアルトの自邸へ。
1935年築のアトリエも兼ねた自宅は、閑静な住宅街にあり
外観はさりげなく、タクシーも通り過ぎたほどです。モロッコ出身の
運転手はこの国の暮らし易さを語り、日本人の礼儀正しさを
褒めていました。
アールトのデザインは家具や照明まで及び、木材や曲線を多用した
暖かみのあるのが特徴で、日本の建築と通じるものを感じさせます。
2階のゲストルームに床の間風のものがあるので、聞くと説明員では
分からず、帰国して調べるとアールトはこの頃日本建築についての
本を集め、1935年に設立されたフィンランド日本協会の創設にも
名を連ねていたとのこと。日本に彼のファンが多い訳が分かりました。
日本と北欧は遠くても近い国、つながりがあったのです。
アールト邸からの帰りに路面電車に乗りました。住宅街の中まで
線路が引かれ、電車がすっかり風景に溶け込んでいます。
中心部の公園は平日の昼間なのに地元の人?で一杯です。
この人々が公園に集い憩う和やかな雰囲気こそ、北欧の魅力的な
暮らしそのものだと感じました。
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