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2013年5月 Archive
「ヴィラージュ中原駅前」1周年
- 2013年5月27日 19:43
当社が管理運営をしているシェアハウス第1号の
「ヴィラージュ中原駅前」は先月完成1周年を迎え
昨日その記念のバーベキュー大会が行われました。
まず料理が並べられた7階のリビング・ダイニングで
私が乾杯の発声を頼まれ、1年間色々なことがあったが
満室状態を保っているお礼を述べました。
ゲストも様々で、子供連れの人がいるので聞くと以前
幼稚園で教えて成長した教え子を招いたとのこと。
この1年で退去した人は数人いましたが
次の入居者がいずれも短い時間で決っているので
何がその要因なのか色々な人に話を聞きました。
当初から気になっていた30名に対して流し台、冷蔵庫
とも3台ということに関しては、途中で冷蔵庫を1台
追加で設置したのです。流し台は3か所でどうか聞くと
ピーク時は少し待っても何とかなっているとのことでした。
階段が建物内に欲しかった、浴室がもう1か所あれば
という要望については、延床面積が制限一杯なので
部屋数を減らさなければできないことを説明しました。
また最初から入居しているある女性は、以前何回か
シェアハウスは経験していて、入居した途端に次はどこが
いいか探したのに、ここでは全く次を探す気がないとのこと。
2か月前に入居した男性は、住宅型のシェアハウスに
4名で住んでいましたが、掃除や整頓が良くなかったそうで
「ここはホテルみたいです!」との感想にはびっくり。
バーベキューの用意ができて屋上に上がりました。
晴天の下、武蔵小杉の高層ビルを眺めながらの懇親会は
たいへん気持ちの良いもので、これがこのシェアハウスの
最大のウリなのかも知れません。
こどもの国
- 2013年5月15日 09:08
私が初めて「こどもの国」行ったのは中学生の時
昭和41~2年頃です。横浜市と町田市にまたがる
多摩丘陵の起伏に富んだ敷地は約100万㎡あり
皇太子のご成婚の記念事業として昭和40年の
子供の日にオープンしました。
広大な敷地には乗り物中心の遊園地とは一味違った
自分で体を動かして楽しむものがたくさんありました。
ドラム缶のいかだに乗れる湖や屋外アイススケート場。
今はない子供自動車教習所ではまず学科の講義があり
ペーパーテストを受けて、電気自動車?で隣に教官を
乗せてコースを一周し、合格すると「こどもの国免許証」
が交付され、教習所の疑似体験ができたのでした。
それから歳月が流れ、娘2人が小学校に上がった頃
再び訪れるようになりました。ある時私の弟と妹の家族も
一緒に行ったことがあり、娘、甥、姪の6人で写真を撮り
良く撮れたので焼き増しして各家庭に配布しました。
さらに今月4日私は還暦を迎え、姪からお祝いをしたい
という話があったとき、私は「皆でこどもの国へ行って
また皆で写真を撮ろう」という提案をしました。
誕生日から一週間後の当日、出かける直前に古いアルバムを
調べたら、6人の写真を撮ったのは1993年5月4日
つまり20年前の私の誕生日だったことが分かったのです!
写真では一番小さい妹の長女は4月から大学院生になり
授業の途中から駆けつけました。昼前から小雨が降り出し
たので、屋根のある休憩所を探しまず昼食を取って
20年前の撮影地点と思われる牧場に向いました。
奥が小高くなっている牧草地、ここに間違いありません。
6人は以前と同じ順に並んで座り、無事撮影が終わりました。
この次皆でここで集合写真が撮れるのは5年後?10年後?
と想いを巡らせながら、思い出の場所を後にしました。
富士屋ホテル
- 2013年5月 6日 13:20
箱根・宮ノ下の富士屋ホテル。私は中学生のころ
ここに家族旅行で来て泊ったことがありました。その時
日本人は少数でお客のほとんどが外国人だった記憶が
残っていました。(今は逆で外国人は2,3組だけです)
それから40数年の時が流れ、この連休中にやっと2度目の
宿泊が実現しました。エントランスのある本館は明治24年築で
フロントロビー、客室に至るまで100年前の空気がそのまま
保存されていて、現代の日本ではまず味わえない雰囲気です。
私は以前泊ったときのリーフレットを持っていて
それにはホテルのレジスターブックには世界各国
からのお客さんの名前が記されている旨の記述があります。
その時の私の家族の名前も載っているのではとコンシェルジュの
織田さんに資料室にある昭和42~43年の8月分を調べて
もらいましたが見当たりません。そのブックを実際に
見せてもらったらほとんどが外国人の署名でした。
これは宿泊カードとは別のサイン帳なので、全員が書く訳では
ありませんが、外国人が大半という私の記憶は裏付けられました。
リーフレットには私の母の字で「予約係 秋山様」と書かれていて
織田さんに尋ねると「それは退職した秋山元副社長でしょう」との答え。
入社31年という織田さんにどうして昔は外国人が大半だったか
聞くと当時外国人向けのホテルは、横浜のホテルニューグランド
日光金谷ホテルや軽井沢万平ホテルなど限られていたから
ではないか、とのことでした。
明治11年に開業後、一時は道路向かいの奈良屋旅館と協定を結び
奈良屋旅館は日本人専用、富士屋ホテルは外国人専用だった時期も
ありましたが、現在は半ば"日本人専用"になっているのは
時代の流れでしょうか。
奈良屋旅館は残念ながら2001年に閉館され、現在はエクシブの
リゾート施設になっていますが、その原因を調べてみたら相続税と
財産分与だった、とのことでこれには驚きました。
富士屋ホテルも実は創業家の山口一族に争いが起こり
昭和40年頃に国際興業の傘下に入ったのです。それ故明治の
建物が残り、私たちが今でも宿泊できるとも言えるのです。
個人が古い良い伝統を承継できない今の税制は、オーバーに言えば
貴重な日本文化を消滅させるもので、残念と言うしかありません。
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