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2012年7月 Archive
百合丘小学校
- 2012年7月31日 08:13
約1年半に渡って4社のJVで工事をしていた
百合丘小学校が完成して今日引渡しを迎えました。
昭和40年の開校当時も当社が施工を行いました。
駅からのバス通りと敷地には段差があり、今までは
段差のない北側の狭い道路に入口があったのですが
今回は大通りからバスも入れるように校舎の3階に道路から
ブリッジを渡して正面玄関に入るよう設計されていて
これが施工を難しくさせる要因の一つになりました。
内部は他の小学校では見られない特徴がいくつもあります。
まず案内板には点字がほどこされ、部屋名も大きく表示され
広い保健室に続いてカウンセリングルームがあります。
教室は基本的には「オープンクラス」で廊下との仕切りが
ありません。アメリカの小学校の映像で見たことがありますが
生徒はいくつかのグループで別々なことをやっていました。
どんなカリキュラムなのかとても興味があります。
合唱に力を入れている当校の音楽室は広々としていて
図書室もカラフルなデザインです。給食室の厨房設備は
何千万かするそうで、コストを考えれば直営ではなく
外注した方が安いのでは?と納税者の立場で思いました。
床材は今までは長尺シートが普通だったのが1階を除いて
フローリング貼りです。小学1年生から慣れ親しんでいれば
賃貸建物の床もフローリング希望になるわけです。
また洗面・トイレは普通の男女別々のもののほか
「だれでもトイレ」と表示された車椅子でも入れるものが
何か所もあり、今は一般の学校施設の標準設計なのでしょうか?
プールは屋上に設置されています。そのほか太陽熱の設備や
菜園スペースがあり、別棟の屋上は芝生が敷き詰められ
省エネの方向性は屋上利用にも反映されています。
開放的な新校舎で"よく遊び、よく学び"広い心を持った
感性豊かな子供たちが巣立って行くことを願わずにいられません。
平泉への旅
- 2012年7月13日 09:42
山形新幹線を一ノ関で降り東北本線に乗り換えて
二つ目が「平泉」です。先週は関連会社のB&Rカワサキ
の旅行に参加し、この地を訪ねました。
平泉町は今でこそ人口8000人の、岩手県で最も
面積の小さい町ですが、平安時代末期には平城京に次ぐ
大都市だったそうです。
その中心は850年に創建された中尊寺。約250年後に
奥州藤原氏の初代・清衡(きよひら)が大伽藍を造営し
大規模に整備し、昨年日本で12番目、東北では初めての
世界遺産に登録されました。
平泉の駅前広場から西へ毛越寺に向かって真っすぐ伸びる
広い道路の両側に面している建物は、和風の2階建てですが
一通り建て替えが終った感じで古い年代のものはありません。
金融機関が大きな切妻の和風建築になっていたのが
珍しいくらいで、駅から北方向の中尊寺に向かう道路の方が
古い佇まいの店舗がいくつか見受けられました。
平泉の町は小さいので毛越寺、中尊寺という二つの
世界遺産を駅から歩いて見学できるのはメリットです。
毛越寺の創建は中尊寺と同時期ですが、火災や戦火で
長い間建物の礎石を残すだけになっていたのが、明治の
後半になってから新しく本堂や庫裡を再建したそうです。
したがって中尊寺と比べて建物が少ないのが物足りない
感じですが、池を中心とした庭園を歩きながら、壮大な
伽藍の遺構をゆっくり廻りながら平安時代に思いを馳せる
という趣向です。
久しぶりに訪れた中尊寺は、有名な金色堂はじめ本堂や
能舞台などさすがに見るべき建物が多く点在していました。
ただ新しい鉄筋コンクリート造の宝物殿は、形は和風ですが
この由緒あるお寺にそぐわない、と思うのは私だけでしょうか?
"古いものより新しい建物に価値を見出す"のは日本人の特徴で
このようなものを見る度にその功罪を考えてしまいます。
別れ
- 2012年7月 6日 08:52
昨年の8月にブラジルから来日し、3か月間当家に
ホームステイして高校に通っていたガブリエル君が
留学期間を終えて、来週初め帰国することになりました。
同期のロータリー交換留学生は7人、先週の土曜日に
終了式があり各々がこの1年間の感想を発表しました。
皆が異口同音に言っていたのは学校生活の楽しさです。
一番日本語が流暢だったのはフィンランドのイエナ。
原稿を読んでいる学生が多いなか、ほとんど見ないで
ゴキブリを初めて見たこと、学校で寝るのが上手になった
などと笑いを誘い「楽しくて何度も時間が止まって欲しい」
と思ったほどで、帰るまでにメイド喫茶に行きたい、とも。
フランスのアレクシが一番驚いたのが電車の中で
寝ている人がいること。やはり学校は楽しく辞めたくない。
見た目が悪いわりに美味しかったのがお好み焼きで,
見た目はきれいだったがまずかったのがおせち料理。
初め満員電車が怖かった台湾のサユミは、自分の浴衣が
縫えるようになりました。一番明るいエクアドルのマリアが
発表しているとき、私の隣の先生が「いないと寂しくなる」
と漏らしていました。
そして一昨日はガブリエル君とタイのマイ君をうちに招いて
最後の食事会を行いました。マイ君は来日して4日目に当家で
行ったガブ君の誕生会に参加したことを、懐かしく思い出し
来年大学に入ったら、短期留学で日本に来たいとのこと。
当初ほとんど言葉が分からなかったガブリエル君はいま
私たちと意思疎通できる日本語のレベルになりました。
5月のロータリークラブの記念行事で久しぶりに会った際
その2週間前だったの私の誕生日を覚えていてプレゼントを
持ってきました。あれほど気が付き、礼儀正しい子が果たして
日本の高校生にいるか、と思わせるほどです。
10時近くなっても腰を上げない二人を促して別れを
惜しみながら散会しました。再び日本で会うことを約束して。
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