- 2012年4月27日 08:06
先日、城南信用金庫の友の会の発足記念の集いに参加し
小泉純一郎氏の特別講演を聞く機会がありました。
父親が急逝、その後を継いで初出馬したのが27歳のときで
「弔い合戦」は負けないと言われたが落選。この時奇しくも27歳で
親のあとを継いで出馬した候補が3人いて、小泉さん以外の2人は
当選したそうです。その1人が小沢一郎氏とのことで驚きました。
首相になってから「会社勤めをしていないのに厚生年金を
払っていたのはおかしい」と追及されたのは、落選中に
ある会社の社長が「社員として雇うが、出社に及ばず」と
支援してくれたときのことで「人生いろいろ、社長もいろいろ」
というこの時の答弁は流行語になりました。
2005年郵政改革法案が参議院で否決されて、衆議院を解散
したとき季節は8月、酷暑の選挙はやりたくなかったというのが本音。
それに衆議院選で勝利しても、参議院の勢力は変わらないわけ
だから、常識では衆議院解散は考えられない。それが衆議院での
大勝利で参議院も法案が通過したのでした。
人は生まれる場所や時代、親を選ぶことはできない。つまり
最初から思うようにならないのが人生で、それをどう面白く
するかが人生、と小泉さんは語りました。
アメリカとの関係については、安保条約を結ぶと戦争に
巻き込まれると言われていたが、アメリカが抑止力になって
日本は戦争と無縁で戦後の経済発展が遂げられた。日米関係が
良くなればなるほど、他国との関係が良くなると力説しました。
2004年11月APECがチリで行われた時、各国首脳とのアポを
事前に取る際中国から突然「靖国神社に参拝しないことが会談の条件」
と通告されたので、外務省に「靖国神社は必ず参拝します。それで
良ければ会談を」と返答させたら、中国は靖国参拝を聞かれても
あいまいにして欲しい、と条件を後退させ会談をOKしたとのこと。
いま日本に欠けているのはこの毅然さなのです!
日本は今までいつもピンチをチャンスに変えてきた。
10万人が死亡した関東大震災、300万人が命を落とした太平洋戦争。
戦後すぐの日本の人口は7000万人、東京は350万人。日本人には
知恵があり努力を惜しまない国民性がありこの大震災も必ず復興できる。
1994年天皇が訪米した時クリントン大統領が挨拶の中で
「楽しみは朝おきいでて昨日まで無かりし花の咲ける見る時」と
橘曙覧(あけみ)の歌を引用したとき、これを誰も知らなかったとのこと。
何でもないことに楽しみを見出すことは日本人の特性でしょう。
絶対破られない記録、それは尾崎行雄の衆議院在籍63年、連続
25回当選。彼の言葉に「人生の本舞台は常に将来にあり」があり
常に政治家は未来を見据えるべき、と語って講演を終えました。
人をそらさない話し方は相変わらずで70歳という年齢を全く感じさせず
今の政治の混迷のなか「この人がいたら」と思わずにいられないひと時でした。