Home > Archives > 2011年11月 Archive

2011年11月 Archive

「らくらす」

  • 2011年11月27日 14:30

当社では決算上、平成24年度のスタートは10月です。
事業の中心は賃貸建物の設計、施工、不動産管理であることは
不変ですが、今後増えることが予想されるデザイナーズ住宅と
リニューアルの新規受注に今年度は特に力を入れていきます。

25日にはその拠点になるコミュニティー・スペース「らくらす」
を不動産部中原店のとなりにオープンさせました。
この名称は「楽に暮らす」から取り、ロゴの「LAC+」は
L:life(暮らし)A:amenity(快適)C:coordination(調和)
をプラスする、という意味合いです。


LAC+1.jpg


ここでは基本的に毎月、建築・デザイン・アート・暮らしに
関する様々なセミナーや展示会等を行って、当社のお客様は
もちろん、広く地域の方々にもご来場いただくことを考えています。

また後方の事務スペースは、加盟しているASJ(建築家と
デザイナーズ住宅を希望する建築主を結びつける全国組織)と
リニューアル部門のスタッフが常駐して、このようなイベントを
企画・運営し、皆さまに色々な情報をお届けする予定です。


LAC+5.jpg


第1回は建築家の石井千歳氏の「ヨーロッパの風景画」展を
開催中。イタリアに6年滞在していたときの印象を描いたものを
中心として写実性を追求した画風がたいへん魅力的です。

来月は、ご夫婦で運営している村上建築設計室の作品展で
10日は村上有紀さんの家事塾セミナー、17日は村上治彦さんの
家づくりセミナーを予定しています。


LAC+21.jpg


LAC+3.jpg


オープン当日、夕刻よりミニパーティーを開きましたが
当社のお客様や近隣の方など予想外に多くの方にご来場いただき
私がこのスペース設置の経緯をお話ししたあと、タカネ電機の
簑原社長に乾杯の音頭を取っていただき、宴は和やかに進行しました。

私は当社の地域活動はまだまだ不十分と思っており
今後「らくらす」を色々な場面で活用して、地域とさらに接触を
図ることなしに、会社理念にある「地域に必要とされる企業」を
実現させることは難しいと確信しています。


LAC+4.jpg

くらら稲田堤

  • 2011年11月22日 21:35

当社には多摩区菅仙谷に社有地があり、約25年前に
そこに独身寮を建設して企業に賃貸していましたが
解約になったあと、ベネッセコーポレーションが
老人ホームとして借りることになり2000年7月に
改修工事が終わり「くらら稲田堤」がオープンしました。


くらら稲田堤1.jpg


くらら稲田堤2.jpg


私が入社したころ、川崎市から収用の代替地として
昭和30年代に取得した菅の山林をいかに開発するかが
最大の経営課題で、その後周辺の取付け道路の買収に成功
この地に賃貸建物が建設できるようになったのです。

2000年は介護保険制度が施行された年で、ベネッセの
高齢者施設の運営もこの前後から始まり、「くらら稲田堤」は
6番目の有料老人ホームだったのですが、現在ベネッセでは
全国で約200ヶ所のホームを運営するに至っています。


くらら稲田堤3.jpg


くらら稲田堤4.jpg


今年の夏ごろベネッセから大幅な施設の改装を行いたい
という話がありました。空きが3部屋になってその募集も
競争の時代に入り、少しでも見学者に好印象を与えて
入居を促進したいというのも理由の一つのようです。

基本的には内部の床や壁・天井を張り替え、食堂は
障子を入れるなどして和の雰囲気を出すようにしました。
床を塩ビシートからじゅうたんに張り替えたのは
入居者が転んだときの骨折防止の対策です。


くらら稲田堤5.jpg


くらら稲田堤6.jpg


外構はアプローチや花壇を整備して、建物の裏側に
野菜作りのための小さな畑も設けました。35室の
「くらら稲田堤」はベネッセの老人ホームの中では小さい方で
それだけにアットホームな雰囲気が評判のようです。

改修工事は入居者が普段の生活を継続するなかで行われ
今月中旬に無事完成。先日挨拶に伺うと「普通は家族から
何かしら苦情が出るものなのに、今回苦情は全くなかった。
空き部屋も工事中に全部決まった。」とホーム長の川口さんから
お褒めの言葉をいただきました。

このような種類の改修工事に職方が慣れてきた、という
工事担当の話を聞きながら暮れかけた菅仙谷を後にしました。

ピーター・フランクル

  • 2011年11月12日 13:22

ピーター・フランクル。数学者で大道芸人。
先週のロータリークラブの地区大会で講演を聴きました。
まずジャグリングをしながら登場したのにはビックリ!

ピーター・フランクル1.jpg


講演のテーマは「真の国際人を目指すために」。それは
英語を習うことよりも、まず知らない人、肌の色の違う人に
会ったら興味を持心を開くことで、今の日本人は
「ほかの人と出来るだけ関わらないようにしている」
ように感じられてならないとのこと。

ハンガリー生まれのユダヤ人で、父と母の両親はドイツ軍に
殺され、彼は小さいときから「人を差別してはいけない」
ことを徹底して教育されたそうです。

大学を卒業してフランスに亡命。就職した会社からインドへ
3ヶ月派遣されたとき、あまりの環境の違いにショックを
受けたが、インドをすべて受け入れようと、カレーを手で食べる
ことから始め、同僚の狭い家にも雑魚寝で20回も泊まり
帰るころは現地の習慣にすっかり溶け込んだとのこと。


ピーター・フランクル2.jpg


来日して最初の3年くらいは日本の40人くらいの家庭に
泊めてもらったがそれ以降ぜんぜん声が掛からないそうです。

スーパーに行った時入り口で立ち話をしている人たちが
出てきた時もまだそこで話をしていたのにビックリした。
自分の国では外で3分も話をしようものなら「うちに寄って」
とすぐにどちらかの家に招かれるとのこと。

広島大学で会議があり、花火の夜で街へ出ると公園で
宴会をやっていたが、誰も「一緒にどうですか?」と
声は掛けてくれないし、それぞれのグループも見えない
境界があるようにお互い背を向けて歓談していたそうです。

この日も大きなスーツケースを2つ持ってきていたが
駅の階段で「手伝いましょうか?」と言われたことは
韓国ではあっても日本では一度もないので、一度有楽町駅で
「手伝ってくれますか?」と声を掛ける「実験」を10回
行ってみると、すべての人が手伝ってくれたそうです。


ピーター・フランクル3.jpg


ピーター・フランクル4.jpg


私は昨日、路上ですれ違いざま肩をぶつけ合った男女が
何もなかったように無言で歩いて行った光景を目の当たりにしましたが
今の日本は日本人同士でも「無言の行」なのでしょうか?
「国際化とは他人と関わることから始まる」という彼の主張には
本当に共感し、わが意を得たりというところです。

上野・谷中界隈

  • 2011年11月 5日 21:24

山手線の日暮里駅・南口を出て坂を上がると
もうそこは谷中霊園の一角で、お寺の門が見えてきます。
天王寺という鎌倉時代創建のお寺ですが、正面には
鉄筋コンクリート造のモダンな門が・・・


谷中界隈1.jpg


谷中界隈2.jpg


一昨日、ガブリエルを連れて古い面影の残る東京を
散策しました。天王子の境内は東京であることを
一瞬忘れさせるような静けさで、本堂と客殿はやはり
RC造の立派な建物で新旧がうまく融合しています。

中央のさくら並木を進んで「徳川慶喜墓」という標識を
左に折れると、最後の徳川将軍の墓地に出ます。
ちょうどボランティアの人が解説をしていました。


谷中界隈3.jpg


谷中界隈4.jpg


水戸・徳川家の慶喜は神道を信仰していたが、寛永寺に
墓地を作らせて今でも親族が管理していることや
谷中霊園は都立の霊園で、天王寺と寛永寺の墓地が
地続きになっていることもそれを聞いて知りました。

出口付近に一軒家があり、メニューが外に置いてあります。
元々あった築百年の住宅を建て直して2年前お店を開店したそうで
テーブルが一つしかない"レストラン"で遅いお昼を取りました。


谷中界隈5.jpg


霊園を出て言問通りを右に行くと江戸時代から昭和の末まで
営業していたという古い酒屋が、下町風俗資料館の付設展示場
として公開されています。正面には時代劇に出てくるような
帳場があって、お酒、醤油、塩、砂糖も扱っていたそうです。


谷中界隈7.jpg


谷中界隈8.jpg


ここから東京芸術大学の脇を通って上野公園に向かうと
旧東京音楽学校の奏楽堂に出ます。この建物は1970年頃
明治村への移転がいったん決まった後、反対の声が上がり
台東区によって解体して公園内に移築されたとのこと。


谷中界隈9.jpg


それから不忍池に下りて上野駅に向かいましたが
地図を見ると西日暮里方面(谷中3~6丁目)にも
古い建物が多く、次回はこの方面に時間を取るつもりです。


谷中界隈10.jpg


Index of all entries

Home > Archives > 2011年11月 Archive

Search

ページ上部へ戻る