- 2011年5月13日 19:18
JR根岸線の石川町駅を降りて元町通りの
手前の急坂をフェリス女学院まで一気に上ると
旧外国人居留地の雰囲気が今でも残っている
山手本通りに出ます。
通りを左に折れると、エリスマン邸や外人墓地
港の見える丘公園など山手の中心地になりますが
先週の連休の一日、この右方向のイタリア山庭園にある
2つの洋館を訪ねました。
横浜山手に住宅や教会が建てられたのは明治の
初期からで、フェリスが現在地に校舎を建築して
生徒14人でスタートしたのは明治8年だそうです。
先ず見たのは「外交官の家」で、もともと内田定槌
という外交官が明治43年に渋谷・南平台に建てた家で
子孫が横浜市に寄贈し平成9年に移築・復元されました。
施主の海外暮らしが長かったこともありビクトリア風の
デザインで、国の重要文化財に指定されています。
内田が明治35年からニューヨーク総領事を務めた時
ポーツマス条約締結のために渡米した小村寿太郎の
支援にあたったというのは興味深いエピソードです。
設計者を調べてみるとガーディナーというアメリカ人で
立教中学(後の立教大学)の教師として来日し校長まで
務めた後、建築家に転進したという面白い経歴の持ち主でした。
もう一つは「ブラフ18番館」で、関東大震災後に
建てられた外国人の住宅です。平成3年まで山手教会の
司祭館として使われた後、横浜市に寄付されました。
こちらの方がもう少しモダンな感じですが、1階の
リビングからサンルームにかけての明るく解放的な空間は
まさに外国人住宅の特徴といえるでしょう。
今の日本の住宅は「和室」がほぼ消滅するなど洋風化の一途を
たどっていますが、その原点となっているのは明治・大正期に
建てられたこれらの住宅であり、横浜市がその保存に力を
入れていることは意義深いことです。