- 2011年5月 6日 13:34
宮城県の塩釜に住んでいる家内の叔父と叔母は
3月の大震災のあと1週間近くたってやっと連絡が取れ
無事が確認されました。落ち着いた頃を見計らって
先週末に塩釜を訪れました。
仙台・石巻間を結ぶ仙石線は途中の東塩釜駅までで
叔父の家は2つ前の西塩釜駅で下車して5分ほど
塩釜湾に向ったところですが、高台のため難を逃れました。
駅の改札脇には「津波浸水予想図」という図が平成17年の日付で
貼ってあり、津波災害に対する注意はされていたようです。
車中から外を見ても、瓦屋根を修理している家が
時々ある程度で、家屋が大きく崩れているところは
叔父の家に到着するまでもほとんど見られません。
塩釜湾は地図で見ると松島湾の一部で、観光名所の
松島町は島々が防波堤となって、死者・行方不明者は4名。
また塩釜市は21名ですが松島湾の外側になる東松島市は
約2000名と地理的条件がたいへん明暗を分けています。
地震発生から10日経って電気、水道、ガスの順で復旧した
そうで"オール電化"の宣伝文句の「災害があっても電気が
一番早く復旧する」というのは本当でした。
叔父の運転で塩釜を出てしばらくすると、崩壊した家屋や
水と泥と瓦礫に覆われた田畑などの光景が目前に広がります。
同じ場所でも全く無傷の家屋と基礎部分だけの家屋があり
何がこの明暗を分けたのか・・・人知の及ばないところで
やはりこの世の仕組みは作られているのか、と思う瞬間です。
仙石線の野蒜駅は構内が泥に埋まり、早期の全線復旧が
困難なことを感じさせます。その脇の水路には、お寺の
建物の屋根部分が無残に横たわっていました。
戦場の爆撃の跡のような光景を写真に撮るとき必ず感じた
"躊躇"を忘れることなく、いつもこの地域を意識して
その復興のために長期に渡りできることを実践していく。
それが幸運にも災害に遭遇してない側の努めだと確信しました。