- 2011年3月12日 18:50
私は都心に出かけたとき、もしここで地震が起きて
交通機関が全部止まったら帰宅できるのだろうかとフッと
思うことがありましたが、ついにそれが現実になりました。
昨日午後1時から始まるある経営セミナーに出席しました。
場所は銀座線の京橋駅からすぐのビルの3階です。
午後2時46分、そのビルは大きく激しく揺れたのです。
その時思ったことは今までの地震では一番大きい
このビルは古そうなのでまず新耐震基準ではないだろう
つまり崩れる可能性も大いにあるな、ということでした。
幸い揺れは収まり、窓の外を見ると地上にいる人たちが
こちらを指さしています。ここの窓ガラスが割れているのです。
誰かがすぐパソコンを見て、三陸沖の大地震で震度は7
東京が震源でないことに少し安堵しました。
外に出ると歩道がガラスの破片で水色一色に。そのビルの
上を見るといくつもの窓ガラスが割れていて、不思議に
他のビルを見ても窓ガラスの割れているものはありません。
やはりこの界隈で一番古いビルだった?
電車は少ししたら動くだろうという想定で
中央通りを銀座に向かおうと明治屋の前に来たとき
いきなり地面が大きく揺れて周りの人が騒ぎ出しました。
3時15分くらいに起きた大きな余震です。
銀座を抜けて新橋駅に向かうと、駅前広場では大勢の人が
中央の大きなモニターを見ていましたが、その映像を見て
初めて津波が大災害を起こしていることが分かりました。
まだ電車は動いてないのでさらには第一京浜を品川に。
そこでだめなら京急線の平和島の叔母の家までいけば何とかなる。
考えることはみな同じで、国道の歩道は電車が動くまで
沿線を歩こうという人たちで一杯です。バスは動いていますが
待つ人の長蛇の列。ときどきタクシーを降りる人がいるので
それに乗ることもできますが、日が暮れるに従い道路は凄く渋滞し
歩くのと五十歩百歩の感じです。
歩き始めて3時間、足が痛くなり青物横丁駅近くで夕食をとり
少し休憩。駅は照明を落とし今日の電車の運行はないことを
駅員が繰り返していました。
それからさらに1時間歩いて叔母の家に。今夜はここで泊ろうと
思っていたら、隣家に住む当社に勤めている叔母の孫が、少し前に
会社から自転車で帰ってきたとのこと。それに乗れば今日中に帰れる!
彼は裏道を通って1時間で帰ったそうですが、私は途中で道を間違え
1時間半かかって会社に着いたら午後10時を回っていました。
まだ残っていた工事部の連中に「どこへ行っていたのですか?」
と聞かれて顛末を簡単に話してから帰宅。
家内は習い事で都内に出たまま、その教室に泊って「帰宅難民」に。
長い長い一日が終わりました。