- 2010年9月20日 18:28
新玉川線の池尻大橋駅を降りて国道246号に出ると
親子連れ、それも母親と小学生の男の子が何組か
最初の信号を左に曲がり、緩やかな坂を上がって行きます。
「ははぁ、これは行き先が同じだな」とこの光景を見ながら
私は母校の文化祭を見るため駒場東邦に向かいました。
おそらく中学受験の準備で親子で志望校を見学に来たのでしょう。
学校には同級生の篠田君が既に到着していました。
高校1年のとき(1969年)友達何人かと彼を会長にして
「クラシック音楽同好会」を作ったのです。
翌年の文化祭に初めて参加して、ギター、バイオリン、ピアノの
演奏を行ってから今年が40周年に当ることに会場で気がつき、また
昨年「同好会」から「部」に昇格したことを顧問の先生から伺いました。
講堂でのコンサートの前に、教室でも演奏があったのですが
シューマンの「クライスレリアーナ」などの大曲ばかりです。
私たちのときはポピュラーなドビュッシーの「月の光」などが
中心だったことを思い出し、今昔の感に堪えませんでした。
次に小柄な生徒がショパンのバラード第2番を弾き出しました。(写真上)
バラードは4曲あり、ショパンの代表的な曲の一つといえますが
この演奏には本当に驚きました。音大のピアノ科在籍の人でも
このくらい弾けるのはおそらく上位の学生だと思います。
あとで分かったのですが彼はまだ中学3年生なのです!
会場を講堂に移しても彼は同じ曲を弾きましたが、プログラムが
ブルッフのバイオリン協奏曲の第1楽章になったとき
再び登場して、オーケストラパートをピアノで伴奏しました。
バイオリンの独奏もかなり立派でしたが、普通伴奏は楽譜を見ながら
弾くところを全く暗譜で弾き通し、そこに彼の音楽にかける情熱を感じました。
最後に高2の部長がショパンのスケルツォ第3番を弾きましたが(写真上)
これも専門家でも目指さない限り、高校生が趣味で弾く曲ではありません。
小さいときから楽器を習っていても受験で止める子供がほとんです。
このクラブに入ったことがきっかけで、再び始めて難曲に挑戦して
音楽を人生の友として過ごすことになれば、それは幸せなことです。
公演終了後に予告なく篠田初代会長が壇上に呼ばれて、後輩から
謝意を表され、そのあと会場に来ていたOBも記念撮影を行ない
再会を誓ってなつかしい母校を後にしました。
(社長)