- 2009年6月18日 08:06
「東京・両国」と聞くと
たいていは「国技館」を連想すると思いますが
先週大相撲観戦ではなく、両国第一ホテルで行われた
賃金管理のセミナーに参加してきました。
駅を降りてから国技館を左手に見て
巨大な高床式の江戸東京博物館の横を通りぬけると
まもなく会場のホテルに到着します。
セミナーが終って両国駅に戻るのに
散策がてら,行きとは違う道を歩いていくと
道路の向かい側の街路樹越しに三重塔が見えました。
そこは「横網(よこあみ)公園」という場所で
三重塔は大正12年の関東大震災の犠牲者のための
慰霊堂の一部だということが分かりました。
この地震発生後、多くの人が家財道具を持って
「被服廠跡」というところに避難をしたのですが
運び込まれた家財道具に周囲の火災の火が移って燃え広がり
さらに大旋風が起こり、そこだけで約38,000人が亡くなったことは
話には聞いていましたが、それがこの場所だったのです。
1ヶ所でこれだけの人が亡くなるというのは
本当に想像を絶することで、この横網公園にあった
元陸軍の被服廠は大正8年に赤羽に移転し
その後公園予定地として約2万坪の更地になっていたことが
大惨劇に繋がってしまいました。
昭和5年にこの「震災記念堂」が完成し
その後の太平洋戦争の空襲で亡くなった身元不明の遺骨の
納骨堂を併設して今は「東京都慰霊堂」となっています。
公園のさらに奥には、昭和6年完成の「復興記念館」があり
周辺一体、昭和初期の雰囲気が色濃く感じられ
モダンな江戸博物館などと全く違う両国の一面を垣間見ると同時に
80年以上前に東京で起った大災害を再認識する機会になりました。
(社長)
JR 両 国 駅