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早春の京都(2)

  • 2009年3月17日 13:59

私たちは昼間、いくつか古寺を散策したあと
宮川町の料理屋で夕食をとり、お茶屋へ。そこで
舞妓や芸妓さんと遊ぶという稀有な機会を得ました。

京都には「五花街」といわれるお茶屋がある花街が
五つあり、現在約100人の舞妓さんがいるそうです。
宮川町もそのなかのひとつです。

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昔、舞妓さんは中学のころからお茶屋に起居し
日本舞踊、端唄、三味線、清元などを習いながら
学校に通ったそうです。

たいてい二十歳で芸妓さんになるのですが
それまでの費用はお茶屋の「お母さん」がすべて負担。
無給で月二回のお休みのときお小遣いがもらえます。

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芸妓さんになると島田のかつらを着用しますが
それまでは地毛で日本髪を結い、それを結い直すのは
1週間に1度、寝る時は形が崩れないよう箱枕を使います。

日本髪は町を歩いても目立つので
自然と立ち居振る舞いも淑やかになり
この髪型を結い続けるのも修行のひとつだそうです。

また1年未満の舞妓さんは口紅を上唇にしません。
もし不調法をしてもお客さんはそれを見て
新米だということが分かり、大目に見てもらえます。

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今舞妓さんの応募は全国からあり、その時の芸妓さんは
横浜出身で、オーストラリアのホームステイ先で
日本の掛け軸を見せられ、全く読めなかったことがあり
それから日本文化を猛烈に勉強し、それが高じて、
この世界に飛び込んだという経歴を話してくれました。

数百年前からある日本の特上の接待文化の継承が
京都以外の多くの若者によってされている-
これが「伝統」ということなのでしょう。

(社長)

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