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最も記憶に残る演説

名だたる指導者は、名を残すにふさわしい言葉を残している。
「私が提供できるのは、血と苦労と涙と汗だけだ」(チャ―チル英首相、
1940年)。「時代に遅れる者は、歴史に罰せられる」(ゴルバチョフ
旧ソ連書記長、1989年)。

歴史の節目には名演説や名言が用意される。といってもいい。
1961年、ケネディ米大統領の「国が国民に何をしてくれるかではなく、
国民が国に何ができるかを問うてほしい」も忘れられない。

1999年、米国の大学の研究者が歴史家らに「20世紀で最も記憶に
残る演説」を尋ねた。1位に選ばれたのは、米公民権運動指導者
キング牧師の演説だった。

今からちょうど半世紀前の1963年8月28日、25万人が参加した
ワシントン大行進でキング牧師は「私には夢がある」と語りかけた。
「いつの日か、私の4人の子どもたちが、肌の色の違いではなく、
人格そのもので評価される国に住める日が来ることを」

ケネディ演説から2年後のことだ。希望に満ちた大統領を生んだ
米国人は、人類差別の国でもあった。2009年に誕生した初の
黒人大統領は黒人社会の夢だった。差別根絶は道半ばだが・・・。

米国の夢を体現したオバマ大統領に、世界が別の夢を託したのは
大統領就任直後のことだった。核兵器のない世界への取り組みを誓った
「プラハ演説」を、後世の歴史家らが「21世紀で最も記憶に残る演説」
に挙げる日が来る展開になることを、世界は夢見ているのではないだろうか。

夢の車

世界初の自動車は、1769年にフランス陸軍の技術大尉
二コラ・キュニョーが発明した蒸気自動車だといわれる。
大砲運搬用で、石炭を燃やして動かしたようだ。その後、
欧米諸国で開発が進められ、石炭から石油、ガソリン自動車へと
発展していった。今の形に近くなったのは20世紀初頭で、
1908年に米国で生まれたT型フォードが大衆車の先駆けとなった。

それから100年余り。ハンドルを握らず、目をつぶっていても
目的地に運んでくれる自動運転者が実現化されそうだという。
「夢の車」が夢でなくなる日が来るかもしれないとは、
技術者たちの飽くなき探究心に感服させられる。

先日、日産が公開した試作車は21個のセンサーと5台の
カメラを備えているそうだ。200メートル先まで全方位を監視し、
人や車のほか車線、標識を読み取りながら走る優れ物だ。
2020年までの販売を目指すという。

米国では既にゼネラル・モーターズが10年代後半の実用化を宣言し、
トヨタも実験者を公開している。開発競争が過熱する中、先行
しているのは自動車メーカーではなくIT企業の巨人、グーグルと
いうから驚く。

人為ミスによる事故を防ぎ、高齢者や身体障害者も自由に
移動できる。いいことずくめのようだが実用化の大前提は
安全性と信頼性が高くなくてはいけない。目を閉じて命を
預けられるほどの夢の車は本当にできるのだろうか。
慌てずに待ちたい。

ミドル級の新星

ミドル級はボクシングなど格闘技の階級の一つ。
ミドルの意味は「中間」。かってのプロボクシングの階級では、
ヘビー級とライト級の中間のウエートだった。 17階級に
細分化された現在では、5番目に重い。

日本人の感覚では重量級だ。1995年に竹原慎二氏が
WBAの世界王座につき、日本人選手が王座についた最も
重い階級となったが、防衛は果たせなかった。身長や骨格
からいって、アジアの選手には不利な階級とされる。

そのミドル級でロンドン五輪の金メダルを獲得した村田諒太氏が、
鮮やかにプロデビュー戦を飾った。ノンタイトルの6回戦で、
東洋太平洋同級王者に2回TKO勝した。初回から積極的に
前に出て右ストレートでダウンを奪い、2回にも右の強打を
ヒットさせて勝利を決めた。

「80点ぐらいはいいですか?」。試合後に求められた自己採点
の返答だった。大物新人として注目を集めたデビュー戦である。
重圧もあったはずだが、端正な笑顔を見せてリングに立ち、
「勝ってホッとした」とも。新しいタイプのヒーローを予感させる。

日本人のミドル級ボクサーの物語といえば、沢木耕太郎さんが
『一瞬の夏』(新潮社)で克明に描いたカシアス内藤の挑戦が
思い浮かぶ。内藤氏が果たせなかった夢だ。欧米選手中心
の階級で、"新星"が世界チャンピオンになる日も近いかもしれない。

イチロー選手の印象的な言葉

ヤンキースのイチロー選手が4千本安打を記録したときの会見で、
こんなことを言っている。「4千の安打を打つには僕の場合、
8千回以上の悔しい思いをしてきている。常にそれと自分なりに
向き合ってきた事実、誇れるとしたらそこじゃないですかね」。

並外れた努力で、今の立場を築いてきた自負であろう。
プロ生活22年。39歳になっても、走攻守に衰えを感じさせない
状態でプレーしている選手ならではの誇りであろう。

彼はその日、印象的な言葉をいくつも残している。
「記憶に残っているのは楽しいことではなく、うまくいかなかった
ことなんですね。そのストレスを抱えた中で瞬間的に喜びが
訪れる。それがプロの世界の醍醐味ですね」。

昔できたがことが今できないというのは見あたらない。でも、
昔考えなかったことを今は考えるようになった。過去の自分と
現在の自分を客観的に見て、どうなのかと考えるのは大切なこと」。

満足したら終わりというけど、それは弱い人の発想。満足を
重ねないと次が生まれない。僕はものすごく小さなことでも満足するし、
達成感を感じる。それを感じることで次が生まれてくる。
うれしかったら喜べばいいんですよ」。

まるで教育者、哲学者のような言葉が数々。それをすべて、
実践と記録に裏打ちされているから説得力がある。
ビート・ローズ氏の持つ最高安打4256更新も視界に入った。
海の向こうからのうれしいニュースは、日本人の誇りであり
励みともなる。これからもさらに広がる夢を共有したいものだ。

 

意外な決勝戦

日本中の誰も予想していなかった意外な顔合わせの決勝戦は、
夏の締めくくりにふさわしい好ゲームだった。
夏の全国高校野球は、群馬県代表の前橋育英高が初出場で
初優勝を飾った。防衛率0,00と抜群の安定感で勝ち上がってきた
好投手を相手に3点を先制。逆転を許した後も懸命に食い下がった。
どんな場面でもナインは笑顔を忘れなかった。宮崎県勢初の快挙は
お預けになったが、健闘に拍手を送りたい。

浦和学院、大阪桐陰,済美、横浜・・・大会では、優勝候補と
目された学校や甲子園の常連校が次々に姿を消していった。
最後に残ったのは、試合を重ねるごとに強く、たくましく成長した
2校だった。優勝した前橋育英は準々決勝で、9回2死無走者
という絶体絶命の場面から2点差を追いついた。

延岡学園も準々決勝で9回、内野手の超美技で逃れたはずの
ピンチを微妙な判定で"やり直し"にされ、そこをもう一度
しのいで競り勝った。

素質に恵まれた選手が「古豪」や「伝統校」に集まりやすいのは
確かだろう。だけど、試合をするのは同じ高校生、やってみなければ
勝負は分からないースポーツのそんな楽しさと厳しさ、それに
若さの持つ可能性をあらためて確認できた気がする。
まるで大会の閉幕を待っていたみたいに天気は、下り坂だ。

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