スタッフブログ
最も記憶に残る演説
- 2013年9月 4日 08:23
- M.N氏の岡目八目
名だたる指導者は、名を残すにふさわしい言葉を残している。
「私が提供できるのは、血と苦労と涙と汗だけだ」(チャ―チル英首相、
1940年)。「時代に遅れる者は、歴史に罰せられる」(ゴルバチョフ
旧ソ連書記長、1989年)。
歴史の節目には名演説や名言が用意される。といってもいい。
1961年、ケネディ米大統領の「国が国民に何をしてくれるかではなく、
国民が国に何ができるかを問うてほしい」も忘れられない。
1999年、米国の大学の研究者が歴史家らに「20世紀で最も記憶に
残る演説」を尋ねた。1位に選ばれたのは、米公民権運動指導者
キング牧師の演説だった。
今からちょうど半世紀前の1963年8月28日、25万人が参加した
ワシントン大行進でキング牧師は「私には夢がある」と語りかけた。
「いつの日か、私の4人の子どもたちが、肌の色の違いではなく、
人格そのもので評価される国に住める日が来ることを」
ケネディ演説から2年後のことだ。希望に満ちた大統領を生んだ
米国人は、人類差別の国でもあった。2009年に誕生した初の
黒人大統領は黒人社会の夢だった。差別根絶は道半ばだが・・・。
米国の夢を体現したオバマ大統領に、世界が別の夢を託したのは
大統領就任直後のことだった。核兵器のない世界への取り組みを誓った
「プラハ演説」を、後世の歴史家らが「21世紀で最も記憶に残る演説」
に挙げる日が来る展開になることを、世界は夢見ているのではないだろうか。
夢の車
- 2013年9月 4日 08:11
- M.N氏の岡目八目
世界初の自動車は、1769年にフランス陸軍の技術大尉
二コラ・キュニョーが発明した蒸気自動車だといわれる。
大砲運搬用で、石炭を燃やして動かしたようだ。その後、
欧米諸国で開発が進められ、石炭から石油、ガソリン自動車へと
発展していった。今の形に近くなったのは20世紀初頭で、
1908年に米国で生まれたT型フォードが大衆車の先駆けとなった。
それから100年余り。ハンドルを握らず、目をつぶっていても
目的地に運んでくれる自動運転者が実現化されそうだという。
「夢の車」が夢でなくなる日が来るかもしれないとは、
技術者たちの飽くなき探究心に感服させられる。
先日、日産が公開した試作車は21個のセンサーと5台の
カメラを備えているそうだ。200メートル先まで全方位を監視し、
人や車のほか車線、標識を読み取りながら走る優れ物だ。
2020年までの販売を目指すという。
米国では既にゼネラル・モーターズが10年代後半の実用化を宣言し、
トヨタも実験者を公開している。開発競争が過熱する中、先行
しているのは自動車メーカーではなくIT企業の巨人、グーグルと
いうから驚く。
人為ミスによる事故を防ぎ、高齢者や身体障害者も自由に
移動できる。いいことずくめのようだが実用化の大前提は
安全性と信頼性が高くなくてはいけない。目を閉じて命を
預けられるほどの夢の車は本当にできるのだろうか。
慌てずに待ちたい。
ミドル級の新星
- 2013年8月31日 12:50
- M.N氏の岡目八目
ミドル級はボクシングなど格闘技の階級の一つ。
ミドルの意味は「中間」。かってのプロボクシングの階級では、
ヘビー級とライト級の中間のウエートだった。 17階級に
細分化された現在では、5番目に重い。
日本人の感覚では重量級だ。1995年に竹原慎二氏が
WBAの世界王座につき、日本人選手が王座についた最も
重い階級となったが、防衛は果たせなかった。身長や骨格
からいって、アジアの選手には不利な階級とされる。
そのミドル級でロンドン五輪の金メダルを獲得した村田諒太氏が、
鮮やかにプロデビュー戦を飾った。ノンタイトルの6回戦で、
東洋太平洋同級王者に2回TKO勝した。初回から積極的に
前に出て右ストレートでダウンを奪い、2回にも右の強打を
ヒットさせて勝利を決めた。
「80点ぐらいはいいですか?」。試合後に求められた自己採点
の返答だった。大物新人として注目を集めたデビュー戦である。
重圧もあったはずだが、端正な笑顔を見せてリングに立ち、
「勝ってホッとした」とも。新しいタイプのヒーローを予感させる。
日本人のミドル級ボクサーの物語といえば、沢木耕太郎さんが
『一瞬の夏』(新潮社)で克明に描いたカシアス内藤の挑戦が
思い浮かぶ。内藤氏が果たせなかった夢だ。欧米選手中心
の階級で、"新星"が世界チャンピオンになる日も近いかもしれない。
イチロー選手の印象的な言葉
- 2013年8月28日 08:10
- M.N氏の岡目八目
ヤンキースのイチロー選手が4千本安打を記録したときの会見で、
こんなことを言っている。「4千の安打を打つには僕の場合、
8千回以上の悔しい思いをしてきている。常にそれと自分なりに
向き合ってきた事実、誇れるとしたらそこじゃないですかね」。
並外れた努力で、今の立場を築いてきた自負であろう。
プロ生活22年。39歳になっても、走攻守に衰えを感じさせない
状態でプレーしている選手ならではの誇りであろう。
彼はその日、印象的な言葉をいくつも残している。
「記憶に残っているのは楽しいことではなく、うまくいかなかった
ことなんですね。そのストレスを抱えた中で瞬間的に喜びが
訪れる。それがプロの世界の醍醐味ですね」。
昔できたがことが今できないというのは見あたらない。でも、
昔考えなかったことを今は考えるようになった。過去の自分と
現在の自分を客観的に見て、どうなのかと考えるのは大切なこと」。
満足したら終わりというけど、それは弱い人の発想。満足を
重ねないと次が生まれない。僕はものすごく小さなことでも満足するし、
達成感を感じる。それを感じることで次が生まれてくる。
うれしかったら喜べばいいんですよ」。
まるで教育者、哲学者のような言葉が数々。それをすべて、
実践と記録に裏打ちされているから説得力がある。
ビート・ローズ氏の持つ最高安打4256更新も視界に入った。
海の向こうからのうれしいニュースは、日本人の誇りであり
励みともなる。これからもさらに広がる夢を共有したいものだ。
意外な決勝戦
- 2013年8月25日 15:21
- M.N氏の岡目八目
日本中の誰も予想していなかった意外な顔合わせの決勝戦は、
夏の締めくくりにふさわしい好ゲームだった。
夏の全国高校野球は、群馬県代表の前橋育英高が初出場で
初優勝を飾った。防衛率0,00と抜群の安定感で勝ち上がってきた
好投手を相手に3点を先制。逆転を許した後も懸命に食い下がった。
どんな場面でもナインは笑顔を忘れなかった。宮崎県勢初の快挙は
お預けになったが、健闘に拍手を送りたい。
浦和学院、大阪桐陰,済美、横浜・・・大会では、優勝候補と
目された学校や甲子園の常連校が次々に姿を消していった。
最後に残ったのは、試合を重ねるごとに強く、たくましく成長した
2校だった。優勝した前橋育英は準々決勝で、9回2死無走者
という絶体絶命の場面から2点差を追いついた。
延岡学園も準々決勝で9回、内野手の超美技で逃れたはずの
ピンチを微妙な判定で"やり直し"にされ、そこをもう一度
しのいで競り勝った。
素質に恵まれた選手が「古豪」や「伝統校」に集まりやすいのは
確かだろう。だけど、試合をするのは同じ高校生、やってみなければ
勝負は分からないースポーツのそんな楽しさと厳しさ、それに
若さの持つ可能性をあらためて確認できた気がする。
まるで大会の閉幕を待っていたみたいに天気は、下り坂だ。
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