市川社長のブログ
サントリー商品開発センター
- 2014年5月10日 19:34
会社から南武沿線道路を小杉へ向かうと
左側にカーテンウォールと白い外壁が印象的な
サントリーの商品開発センターが現れます。
ここに以前ウイスキーを生産する多摩川工場があり
工場長が川崎中ロータリークラブに入っていました。
2002年に閉鎖、解体されたとき、土地は売却され
マンションになるのだろうと思いました。その頃
富士通などが社有地を次々に売却していたからです。
閉鎖の2年後にできたのは、高さがわずか2階の
モダンでシンプルな研究施設で、それを見たとき
サントリーというのは相当余裕のある企業だと思いました。
私が、ロータリーのGSEプログラムで来日した人たちと
初めて見学したのは2007年で、それ以来数回訪れ
2012年に南アフリカチームと訪問したのが最後でした。
一昨日は倫理法人会で久しぶりにこの施設を見学。
まず企業概要について説明を受け、売り上げに占める
飲料・食品の割合が、今や酒類の2倍近くになっている
ことを知りました。
説明をしてくれた課長さんが「お酒が元気なときに
飲料を開発していなければ、サントリーは潰れていた」と
事もなげに言ったのには驚きました。これだけの企業でも
社員がこんな危機意識を持っている・・・。
それはいつ頃のことか質問すると1970年代との答え。
確かに私が社会に出た頃、飲み会での注文はまず「水割り」。
80年代にはすでにウイスキーに陰りが出てきたそうです。
1899年に鳥井信次郎が創業したこの会社の社是は
「やってみなはれ」。サントリーが1年に出す新製品は
2~300種類で、市場に残るものは僅か数種!とのこと。
これを私たちの仕事に置き換えると明日から何をすべきか
と自問しながら、この素晴らしい施設を後にしました。
南アフリカの人々
- 2014年5月 6日 16:37
南アフリカの人々との交流は、ロータリーのGSE
プログラムがきっかけです。まず一昨年の秋、先方から
5人が来日して1カ月を過ごし、シャーン団長が
当家に1週間ホームステイしました。(そして昨年秋には
私たちが南アのシャーン宅に泊まりました)
昨年4月には日本のチーム4名が南アフリカに渡り
職業研修や交流を行ったのですが、その時のホストファミリー
の一人、ヘレンさんと友人夫婦が先週月曜に来日し
彼女が当家に3泊ステイしました。
当家にはその前からフランスの交換留学生のマリオンが
来ていたので、国際色豊かな数日となりました。
ヘレンさんはフランスのブルボン家の血を引く家系で
おばあさんの5代前の先祖がフランス革命で処刑された
という話にはビックリ。
また到着した夜、当社の不動産部のERAの看板を見て
彼女が驚きました。経営する会社がやはりERAチェーン
だったのです。しかもアメリカの世界大会で表彰歴も。
ケープタウンでは、日本のように一人のオーナーが所有する
賃貸マンションは珍しく、分譲マンションを個人個人が
買い取ってそれを賃貸し、管理会社が12%の管理費で受託
するとのこと。家賃保証という制度はないそうです。
看板をバックに写真を撮りたいというので、それならと
当家を発つ日、不動産部の朝礼に参加してもらいました。
水曜日には東京都内を案内。浅草から歌舞伎座、そして
銀座から皇居に廻ったところで雨が強くなり、早々に
切り上げて当家に寄ってコーヒータイムに。おかげで
もうひと組のヘイン夫妻とも色々話ができました。
彼らは4月初旬に南アフリカを発ってクルーズを行い
最後に日本に立ち寄ったのです。旅行の期間は25日間。
私たちがこのくらい長期で旅行ができるようになるのは
いつのことでしょう。
第2回コンクリート祭り
- 2014年4月28日 13:58
好天に恵まれた先週の土曜日に
第2回コンクリート祭りを開催しました。
子供たちはコンクリートを練り、手形を作り
ミキサー車に乗って本当に楽しそうでした。
子供たちがこれらのものにとても興味を
持っていることは昨年やってみて分かりましたが
今年は消防署から起震車を借りられたこともあり
「地域の防災」を副テーマとしました。
また麻生区区民会議からの要請があり、昨年家具の
転倒防止のモデル事業に協力して、19軒の家庭で
金具の取り付けを行ったこともきっかけの一つです。
私たちは地震対策というと建物の強度ばかり研究し
法整備をして建物が壊れにくくなってはいますが
家具が転倒してケガをしたり、屋外に出られなくなれば
実際にはこれが命取りになってくるのです。
マンションのベランダにある隔て板は非常時に蹴破って
脱出するのですが、やったことのある人はまずいないので
この体験コーナーも設けました。
ALSOKの協力で子供たちに水の消火器にも触れて
もらいましたが、やはり一番人気はミニカーのミキサー車で
去年は先着100名としたところ開場前に行列ができて
しまったので、今年は台数を増やし受付も午前、午後
2回に分けました。
もし大震災が起きたとき私たちに何ができるのか?
今回、防災コンサルのアドバイスも受け、リヤカーや
担架、地割れで段差ができたときに使う土嚢やベニヤ板
なども展示し、ミニセミナーも開催しました。
当社はこれを機にオーナーや入居者に少しでも役に立てる
ような緊急時の体制作りをしていくつもりです。
デザイナーズ賃貸
- 2014年4月25日 22:09
武蔵新城駅から徒歩2分のという立地で
建築家が設計した木造3階建ての賃貸建物
"ZINK-H"が先月完成し、引渡しをしました。
当社は建築家の設計による住宅は毎年数棟施工して
きましたが、本格的なデザイナーズ賃貸物件としては
ZINK-Hが第1号と言っていいと思います。
この建物は1階が1戸、2-3階が2戸のメゾネット
いずれも40㎡前後の1LDK。床から天井まですべて
白一色。この理由を設計者は白は空間的な広がりがあり
家具等で自分の好きな色に染め易いからと話していました。
家賃は相場の3割増しくらいの設定ですが、これも
レベルの高い入居者に入ってもらう意図があるとのこと。
そのかわり設備はワンランク上で、流し台は家具として
見ても優れているオリジナルキッチンを使用しています。
メゾネット型の1LDKは引渡し後間もなく申し込みが
入りました。建築費が少し高くても、家賃を高く設定できて
何年経ってもその秀逸なデザインで空いてもすぐ決まる物件。
私たちはデザイナーズ賃貸をこう定義したく思います。
横浜の保土ヶ谷である建築家が設計した賃貸マンションの
内覧会が先週行われ見学しました。RC造の打放しの外壁と
バルコニーの外側に付けられたブラインドのコントラストが
まず強く印象付けられます。
ユニークな郵便受が並ぶ先にエントランスがあり
内部は1LDKとメゾネットの組合せです。
玄関が寝室兼用?の住戸などすべてが大変ユニークな
間取りでこのようなオリジナリティを求める入居者は
必ずいるはずです。
当社では少し前からASJ建築家展でもデザイナーズ賃貸を
テーマの中心にしていますが第2弾を是非実現したく思います。
代々木公園一帯
- 2014年3月29日 19:26
先週末、ロータリー財団の研修会が代々木の
オリンピック記念青少年総合センターで行われました。
小田急線の参宮橋で降りて井の頭通りを渋谷方向に
行くと、カラフルな建物群が見えてきます。
敷地の東側は明治神宮、南側は代々木公園に接し
建物の設計は坂倉建築研究所で全体は2001年に完成しました。
研修施設や宿泊棟など5つの建物から成り、1980年代には
中国残留孤児が来日した時の定宿に利用されたそうです。
この施設ができる前、この辺に1964年の東京オリンピック
の選手村があったということは聞いたことがありました。
戦前、陸軍の練兵場だった今の代々木公園を含む一帯は
終戦後アメリカ軍に接収されて「ワシントンハイツ」という
米軍住宅になり、約3万坪の敷地に830世帯が暮らし、中に
学校、教会、劇場まであったそうです。東京のど真ん中、しかも
明治神宮の隣地に出現したこの施設に、当時の日本人は
正に「敗戦」を実感させられたことでしょう。
昭和35年にオリンピックの招致が決まって政府は米軍に
ワシントンハイツの返還を求め、そこを選手村として利用し
さらに丹下健三が設計した素晴らしい2つの屋内競技場を
そして渋谷寄りにはNHK放送センターを建設しました。
オリンピック終了後、更地になった旧ワシントンハイツは
昭和41年から約5年に渡って樹木の植栽が行われて
現在の代々木公園が形成されたのでした。
代々木公園の広さは約54万㎡、東京ドーム12個分で
明治神宮と併せて渋谷、原宿、新宿というビッグタウンの
喧騒の緩衝地帯となっています。
研修が終わって代々木公園を横切り、NHKホールの前を
通って渋谷駅まで歩きました。公園内でのんびり憩う人々、
一転してPARCOや西武の前を行き来する大群衆。
私が最も好きな東京の風景のひとつです。
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