スタッフブログ
歴史的建造物
- 2009年2月27日 09:28
ある建物が取り壊されて、数週間もすると
「この土地に何があったのか」と、ふと思うことがある。
日ごろ目にしていたのに、なぜか思い出せない。
一方で、その場所を通るたびに「壊さないで欲しかった」と
もの寂しさを覚える場合もある。
東京・霞ヶ関近辺で威容を誇った飯野ビルが姿を消した。
イイノホールを含む10階建て規模の石造りの建物が
大通り沿いに100メートルも延びていただけに
強烈な印象を与えていた。国会近くの官庁街に面し
戦後復興や高度成長期の民間パワーの象徴でもあった。
歴史を刻んだ趣のあるシンボルとはいえ
保存は難しかったのだろう。
東京駅前の重厚な丸ビルが生まれ変わったように
新時代にふさわしい現代建築が姿を現すのも
いたしかたないのだろう。
飯野ビルの近くには、大和生命があった。
年配の方達がその建物の前で、長い時間立ったまま 懐かしそうに、語り合っていた姿を思い出す。
壮麗な洋風建築がまぶしく華やいだ舞台を演じた
鹿鳴館(ろくめいかん)があった場所だけに
衝撃も大きかったのだろう。
建物の存廃は街の盛衰と重なる。
歴史的建造物保存は観光客を誘い
住む人の心を豊かにする。
新改築するにも魅力的に仕上げて
人々が、思いを重ねる建物であってほしい。
(M.N)
稲取の吊るし雛と河津桜満開!!
- 2009年2月24日 16:01
先週、満開の河津桜と稲取の吊るし雛を見学して来ました。
河津桜は例年よりも開花が早く、来月まではもたないと地元の方が言っていました。
河津桜は早めの桜なので、寒い時期に楽しむことができます。
また、黄色の菜の花と濃いピンクの桜のコラボが素晴らしいです。
もうひとつ楽しめるのは、河沿いにぎっしりと並んだ露店です。
少し歩いただけで・・・試食をたくさん勧められ、桜饅頭に、桜茶に、桜羊羹に、桜せんべいに、桜あんぱんと桜づくしと、定番のひじき、ひもの、特産野菜、干しいも、ドライフルーツetc・・・数えきれないほどの種類でした。
私は、和菓子やさんの露店で「桜ロール」というロールケーキと、ひものにひじきに海老せんべいと地元の大根で作ったたくわんを購入しました。
(見事な黄色とピンクのコラボです。)
(民家に咲いていた満開の河津桜でした。)
この季節、稲取では伝統的な『吊るし雛祭り』を開催しています。
雛人形が好きな私は何度か訪れていますが、今回で全部の会場を見学できました。
各展示場には、古い雛人形が展示されており、古き良き時代を感じることが出来ます。
(七段飾りと吊るし雛)
どの雛人形も趣があり、長い時間座りながら眺めていました。
桜と雛人形・・・少し早く『春』を感じることができました。
(しむりん)
昭和公園
- 2009年2月23日 15:14
- M.N氏の岡目八目
立川市の国営昭和記念公園に行った。
百三十ヘクタールの広大な公園は
1977年に全面返還された米軍立川基地跡である。
それ以前は旧陸軍立川基地だった。
1937年に東京~ロンドン間を結んだ神風号も
立川基地から飛び立っている。戦後、米軍に接収され
基地拡張に反対する住民らが闘った
砂川事件の舞台ともなった。
日本に返還された後
大規模公園、広域防災基地として整備され、
その一角に昭和天皇記念館がある。
同公園は昭和天皇在位五〇年の記念事業の一環でも合った。
87年の昭和天皇の生涯。展示物を見ながら
昭和と言えば軍靴の音が高く響いたイメージが強いが
戦争が終わって四十年以上、わが国は
他国と直接戦火を交えることがなかったことを
あらためて気付かされた。
昭和天皇が崩御されてスタートした平成も20年が過ぎて
大正をはるかに越えた。
旧日本軍そして米軍と基地の歴史が刻み込まれた公園で
柔らかな日差しの中、若い母親が優しい眼差しを幼児に向けていた。
こんな暮らしこそ守るべきものだろう
そんなことも思う半日だった。
(M.N)
墓参り
- 2009年2月17日 00:31
先日 父の墓参りに行って参りました。
(急に行く事になり、急遽お休みを頂きました。
有難うございました)
前日夜半からの暴風雨で天気が心配でしたが、
出発する頃は雨があがっていましたので、ほっとしました。
富士宮市からみた 富士山 雲がとれて 綺麗でした
快晴になり とても暖かでした
桜の季節になると 見事な景色になります。
春になったらまた 墓参りに行きますので、
満開の桜の写真をお楽しみに・・・・・
(ケロヨン)
ランドセル
- 2009年2月16日 09:50
- M.N氏の岡目八目
ランドセルといえば黒か赤しか浮かばないが
最近は色の種類が増えているのに驚いた。
売り場は青やピンクなどカラフルだ。
祖父母が孫と一緒にランドセルの
品定めをしている場面に出合った。
四月から小学校に入学するかわいい孫のためなら
財布のひもが緩もう。
背中に大きなランドセルを背負った
ピカピカの一年生を想像すると
買い物風景がほほえましい。
ランドセルの歴史は、明治時代に学習院で軍用の背のうを使い始め
背のうを意味するオランダ語のランセルがなまって
ランドセルになったそうだ。
全国に普及したのは戦後の1950年代以降とされる。
カラー化は進んだが、箱型に大きな変化はない。
新しいバッグなどが次々と生み出されているのに
祖父母の代から子、孫へと受け継がれている。
ランドセルは日本の学校文化を代表するといってもよさそうだ。
六年間使い続けると愛着がわき、思い出が詰まる。
不要になっても簡単に捨てられない。
プレゼントされたお孫さんの笑顔が愛くるしい。
健やかな成長を祈りたい。
(M.N)
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