スタッフブログ
銀ブラから鎌倉
- 2009年5月 8日 15:44
- M.N氏の岡目八目
買い物や飲食を楽しむ都心の散策といえば
銀座通りの「銀ブラ」、大阪・心斎橋の 「心ブラ」
神戸・元町の「元ブラ」が思い浮かぶ。
春風に誘われ銀座をぶらぶら歩いてみた。
一丁目には明治期、初代が鞄の漢字を考案したとされる
鞄店「銀座タニザワ」がある。
姫路特産のなめし革を使ったオリジナルバッグも販売している。
私も、銀座タニザワの名刺入れと、財布を
20年前から愛用している。
四丁目交差点を渡り、神戸に本社がある
田崎真珠店をのぞくだけ。
終点の八丁目.菊池寛も通ったカフェーパウリスタによると
銀ブラには「銀座を歩いてブラジルコーヒーを飲む」
の意味もあるとか。
独特の苦味を味わい「銀ブラ証明書」をもらった。
東京駅から約一時間電車にゆられると
湘南の古都、鎌倉に到着する。
潮の香りがかすかに漂う駅前には大勢の人でにぎわい
客待ちの人力車が観光気分を盛り上げる。
桜並木で有名な若宮大路をゆっくりと歩き鶴岡八幡宮を目指す。
この時期は、やわらかい日差しを浴びて
輝く若葉がすがすがしい。
お参りを終えると江ノ電で海岸へ向かう。
鎌倉は古い神社と海を一度に楽しめるのも人気の理由の一つだ。
晴れた日には時間帯を合わせると
江ノ島を真っ赤に染めて沈んでいく夕日を眺めることができる。
久しぶりに、家内と二人で銀座、鎌倉を散策した。
家内の感想は「疲れた」だった。
(M.N)
名前を呼ばれた後に・・・
- 2009年5月 7日 10:08
- M.N氏の岡目八目
○○ちゃん、○○君、○○さん・・・
人は生まれて死ぬまで、どれほど、家庭で、地域で、学校で、
社会で名前を呼ばれるだろう。呼ぶだろう。
この世にいない人の名を、思いの届かない人の名を
呼び続けることもあろう。
会社に入って定年までみても
その回数は数え切れないだろう。
その名前での呼び掛けに続く命令、叱咤(しった)、
批判、慰め、励まし・・・。わが身を振りかえれば
最後の最後までおしかりが多かったような気がする。
逆に、どれほど心を込めて人の名を呼んできたか。
愛称で呼ばれ続け、それがまるで姓であるかのように
会社のあちこちで、その名前が聞こえてくる。
愛称で呼ばれ続ける人の親しさを
ついに持ち得なかったのは不徳の致すところ。
西田敏行さん演じる映画「釣りバカ日誌」のハマちゃんは
永遠のあこがれか。
去りゆく者に代わり、新人が入社してきた春である。
真新しいスーツ、ピカピカの靴、ワイシャツ、ブラウス。
何より、不安と希望の入り交じった気持ち。
名札に光る名前。厳しい経済情勢の中、新人への期待も強く
「○○君」「○○さん」という辞令の後に続く
トップの言葉にも一層、力がこもるだろう。
明るいグレーのスーツに、茶色のネクタイ。
今年の新人たちがまだ生まれるずっと以前の入社式。
配属先で最初に名前を呼ばれたときの緊張感を
きのうのことのように思い出す。
(M.N)
お花がいっぱい
- 2009年5月 1日 20:27
通勤途中のいたるところのお宅の玄関先に綺麗に
お花が飾られてます。
出社時間が 1時間遅くなり、時間に余裕が出来たせいか
今年はとてもお花が目に付き綺麗だなぁ~と感じました。
情けない事に花の名前の知識がありません ~。~;
(かなりメジャーな花でもわかりません・・・教えて・・・)
ふじ
これは4/30 に撮影。 最初の1枚目は4/24 に撮りました。
良いお天気が続いているので、すぐ開花しますね。
小杉十字路からジェクトまでの中原街道沿いは 両側共
つつじが見事ですが、そろそろ色があせてきました。
花のいのちは短し・・・ですね
今の季節の紫外線は1年中で一番お肌の大敵です。
紫外線対策をしっかりしなくては・・・・・
花ではありませんが 可愛いバルーンでしょう ♪
すごく大きい箱でたくさんの風船と一緒に届くので
孫の誕生日に贈るのですが、結構評判良いのですよ ^。^
(ケロヨン)
意思の疎通
- 2009年5月 1日 09:04
- M.N氏の岡目八目
簡単のようで難しいのが、意思の疎通ではないだろうか。
言葉一つで信頼が深まることもあれば
疑心暗鬼を生ずることもある。
十人十色というように、企業にも独自の風土がある。
異なった空気が漂う。
加えてその会社内でしか通用しない「隠語」も存在する。
特に新入社員を迎えたこの時期は言葉に起因する
トラブルも起こりがちだ。
随分前のことだが、ある建設会社で上司が新入社員に
約50枚の設計図を渡し「焼いてきてくれ」と指示した。
しばらくして戻ってきた社員は手ぶらであった。
上司が「焼いたか」と尋ねると「はい、焼いてきました」との返事。
上司の「焼く」は青焼き図面(複製)を指すが
新人君は焼却炉の「焼く」と解し、灰にしてしまった。
原図でなくて良かったが、「言葉を尽くす」ことが
新人研修のだ第一歩と痛感したという。
ある出版社に就職した人が
「隣の人との椅子は一メートルもないが
心の隔たりは何十キロもあるような気がする。
社内コミュニケーションがない」と
空しさを故郷の父に手紙で相談した。
ただ嘆いているだけでは、どこに行ったって同じだよ
と父からの返事。基本はコミュニケーションだよと。
父は自身の入社時を顧みての返事だったのかもしれない。
新入社員も早く会社の雰囲気をつかみ慣れていくことだ。
(M.N)
旧吉田邸
- 2009年4月21日 07:57
- M.N氏の岡目八目
日本の戦後政治を担った歴代首相30人のうち
既に20人が鬼籍に入っていらっしゃるが
国葬として送られたのは吉田茂(1878年-1967年)
元首相ただ人だけです。
一度政権の座を退きその後再び首相の座についたのも
戦後では今のところ吉田茂元首相だけである。
だれにも陽と陰、功と罪があり評価は一つではない。
それは当然だが、吉田元首相が戦後日本の礎を築いた人物として
評されることに異論を挟む人は少ないと思う。
第一次吉田内閣は短命だったが片山哲、芦田均内閣の後を
引き継いでからは第五次(1954年12月10日)まで
第一次を含め7年余の長期政権を樹立して日本を引っ張ってきた。
占領期の前後という時代が必要とした政治家吉田さんが建て
暮らし、戦後政治の舞台となった大磯町の「旧吉田邸」が全焼した。
「大磯」と言うだけでそこだと知られたこの屋敷をこよなく愛し
政財界の友人、知人を事あるごとに招いたといわれる。
引退した後も愕然たる力を誇り、その意見を仰ごうと
内外の人たちが詣でた筑125年の歴史的建造物が灰となった。
こうも無残に焼け落ちては講和条約の締結、占領の終結
そして日本の独立を獲得した"ワンマン帝相”の思い出を
懐かしむしかないとは残念だ。
日本では、米国のような慣習はないが、
吉田元首相が飼い犬三匹に「サン」「フラン」「シスコ」と
名付けていたと聞いたことがある。
昭和26年のサンフランシスコ講和条約での
独立の回復にちなんだものだろう。
米国ではオバマ大統領家に飼われる愛犬に
「ボー」と名付けられたようだ。
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