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ネクタイ

進化した首縄と考える人もいれば、敵と戦う剣と見る人もいる。
プレゼントされた物なんか使う気にならないという趣味人もいる。
こだわる人はとことんこだわる。
それがネクタイ。今月2日はネクタイの日だった。

東京の帽子商・小山梅吉さんが
日本で始めて製造した日とされる。
衣替えと重なるのはまったくの偶然だが
クールビズを終えたサラリーマンにとっては
自分の主張を再び世に示すことができる日でもある。

欧米に首元で自己主張をする人が少なくないのは
歴史の長さゆえだろうか。例えば英国の紅茶王リプトンは
独特の結び方をした蝶ネクタイを偏愛した。
その形がアイルランドによくある三つ葉に似ており
その血を引く自分を誇っていたらしい。

スリムな暗色のネクタイしかしなかったのは
米国のケネディ元大統領。エリートくささを嫌ったからだという。
服装評論家・出石尚三氏著書
(「男はなぜネクタイを結ぶのか」新潮社)で知った。
 
日本にもネクタイで自己主張する政治家はいた。
幅広のネクタイを流行させたのは佐藤栄作元首相
水玉が記憶に残るのは海部俊樹元首相だ。
小泉純一郎元首相も「ノーネクタイ」という名のネクタイを世に広めた。

鳩山由紀夫首相の場合、奇抜な花柄ネクタイから
金色の勝負ネクタイまで、守備範囲は随分広い。
宇宙人ぶりを主張していられると言えなくもないが
実際に選んでいるのは幸夫人だと聞く。

(M.N)

2016年夏季五輪開催地

南米に聖火が灯ることになった。
2016年夏季五輪開催地はリオデジャネイロに決定した。
その瞬間を待ち、眠れぬ夜を過ごした人も多かったと思う。
東京で再びの夢は遠のいた。

「候補都市の国では唯一開かれていない。今回はブラジルの番」
「南米中の若者たちのために五輪を新たな大陸にもたらしてほしい」。
投票前、ルラ大統領は目を伏すことなく語り掛けた。
自然体で情熱を秘めたスピーチも
「南米初」という歴史的意義の説得力を高めるのに奏功した。

五輪は国を変える。
45年前の東京、日本がそうであったように
新興国ブラジルはリオ五輪をバネに
さらに新しい時代へと一気に突き進むだろう。
先の金融サミットでは新興国を中心とするG20が
G8(主要国)に代わり、地球規模の問題解決を担う主役として
存在感を誇示したばかりだ。

開催地選びが人気投票ではないことも知らされた。
オバマ大統領夫妻が乗り込み、リオのライバルと見られていた
シカゴは、よもやの初戦敗退だった。
東京はその屈辱を免れたのが救いだった。
G8からG20の時代へと移った。日米の早期敗退は
多極化という世界の大きな潮流をも印象づけた。

(M.N)

白洲次郎の伝説  -その2-

もっとも少し出来過ぎのようで、実は日本語での演説を提案したのは米国側だったようだ。日本のメディグニティ(尊厳)のため」と。
吉田首相のメンツを損なわないように。
演説嫌いの首相、英語の発音も苦手だったらしいから、そこで白洲が引き取ったのが、
真相かもしれない。

 夫人は古美術に詳しい随筆家正子(1910-98年)。
正子さんを介して多くの知遇や財界とのつながりを得た。
ゴルフにも熱中、80歳までポルシェを乗り回した。
そんな白州次郎が今、注目されている。NHKでその伝説の生涯をドラマスペシャルで放映された。別番組では白洲次郎・正子夫妻のお孫さんが面影と想い出を語っておられた。

確かに白洲次郎に対する評価はいろいろで、このブームを「貴族的なものへのあこがれ、格差社会が生んだ現象」との分析もあるが、占領期に米国にもの申すなど、磨き抜かれた英語でよく口にした「プリンシプル(原則)」、決してこびない凛(りん)とした生き方への共感のような気がする。

 政治も経済も混沌の日本。「なんだ、このざまは。プリンシプルがないではないか」。
天国から聞こえるかっこいい男の叱責(しっせき)を聞きたがっているのかもしれない。

 鳩山由紀夫首相は英語だった。外交デビューの国連演説は「温室効果ガス25%削減」を提示したところ拍手が起きていた。訥訥(とつとつ)とした印象だが、自らの言葉で共感を呼んだ。米スタンフォード大仕込みの英語が生きたようだ。

 ところで首相の言う「友愛」は、仏語のFraternite(フラタナティ)が由来だそうで、
フランス革命のスローガンで、国際社会では理解の速い理念だろう。
問題は、鳩山外交の具体策をどう行動で示すかである。

(M.N) 

白洲次郎の伝説  -その1-

戦後間もなく、吉田茂首相の側近として活躍。その毅然(きぜん)として臆(おく)しない言動が伝説のように語り継がれている人だ。

 人間のかっこよさは見てくれだけでは無い。その人の考え、行動、生き方、ライフスタイルをひっくるめて他を魅了するものである。そこに人は「かっこいい」とあこがれるのだ。

 Tシャツにジーンズ。藤(とう)いすに腰掛けてすらりとのびた足を組んでいるロマンスグレー。
写真に見る白洲次郎(1902-85年)は日本人離れしたかっこよさだ。
兵庫県芦屋に生まれ、神戸一中から英国ケンブリッジリ大に留学。
26歳で帰国するまで、ベントレーやブガッティといった車を乗り回したようだ。

 戦後は吉田茂元首相の右腕としてGHQ(連合軍総司令部)との交渉に当たり、
「従順ならざる唯一の日本人として」煙たがれた。占領軍将校から「君の英語は立派だ」と褒められると「あなたももう少し勉強すれば立派な英語になりますよ」と切り返したという逸話の持主でもある。

 1951(昭和26)年9月のサンフランシスコ講和会議での逸話も面白い。
吉田首相は英語で演説するつもりでいたが、原稿を見た白洲は激怒して随行員らに日本語へ書き直しを命じる。内容が卑屈だ、戦勝国と同等資格の講和会議は自国語で演説すべきだという。

 直前の書き直しが始まった。400字詰めで12枚余りの原稿を毛筆で書き写した。
全長は30メートル。巻き紙にすると、「トイレットペーパーのよう」と外国人記者が評したほどの太巻き。外務省のホームページを見たら、その写真があった。
                                 その2へ続く
(M.N)

2016年五輪の東京招致

ソ連のタッチネットで金メダルが決まった女子バレーボールの「東洋の魔女」。
神永を破った柔道無差別級のヘーシング。
トラックで抜かれ無念の銅メダルになったマラソンの円谷。

 1964年の東京オリンピックのドラマを覚えている人が減った、五輪の感動を若い世代にも知ってほしい。
石原慎太郎東京都知事が以前、2016年五輪の東京招致の狙いをこう語っていた。

 同感だが、当時と今回の最も大きな違いは国民的な盛り上がりを欠くことだろう。
当時、敗戦からの復興を目指して五輪開催は国民の悲願で、政府や経済界、在外邦人も一体となり招致に動いた。

 それと比べ今回の関心は低く、IOC(国際オリンピック委員会)が昨年6月に行なった世論調査では東京の地元都民の開催支持率が候補4都市の中で最低だった。
国民の関心が年金や不況対策などに向いていることや、東京一極集中が進むことに対する危ぐも影響しているのだろうか。

 開催地が決定する10月のIOC総会に向け海外での招致活動に熱心だが、
2008年五輪の招致に失敗した大阪市では根強い市民の反対運動があった。
市民らの支持はIOCの大きな判断基準になっているように思う。

 2度目の東京五輪がどんなスポーツの未来を目指すのか、十分伝わってこない。
もっと国内でビジョンを語り理解を広める努力が必要だと思うのだが。
 ライバル都市では大統領や国王など元首クラスの出席が決まる中、鳩山首相が10月2日にデンマーク・コペンハーゲンで開かれるIOC総会に出席し2016年夏五輪の東京招致を訴えることに決まったようだ。

(M.N)

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