スタッフブログ
花粉症
- 2010年2月28日 17:47
- M.N氏の岡目八目
やっと布団から出るのが楽にんったと思ったら
まぶたが何だかおかしい。おまけに鼻も詰まっている。
さては、と開いた朝刊の花粉予報に「やや多い」とあった。
気の重い季節が巡ってきた。
今年のスギ花粉の飛散量は、例年より少なめと予測されている。
夏に雨が多く、日照不足で花芽の成長が抑えられたためらしい。
つらい症状に悩む人には朗報である。
日本で初めてスギ花粉症が報告されたのは1964年という。
東京オリンピックの年だ。それから経済成長のカーブを追うように
患者の数も右肩上がりに増え続ける。
今や4人に1人を上回った、との調査もある。
ただスギのせいだけでなく、住まいや食べ物の欧米化がある。
大気汚染もある。人がアレルギーを起こしやすくなった。
温暖化によっても花粉の量は増える。
経済活動との浅からぬ因縁が見えてくる。
全国的に大量の花粉が飛んだ5年前、そのあおりで
実質GDPが6800億円あまり減った、という試算がある。
対策グッズの特需があったものの、外出や旅行の手控えが響いたらしい。
逆に飛散が少なければ、景気にプラス。
長患いの床から起き上がろうとしている日本経済にとっても
花粉予報は人ごとではないと見るが。
(M.N)
カーリング
- 2010年2月25日 15:14
- M.N氏の岡目八目
ヤー!イェップ!」「ウォー!ウォー!」。
氷のレーンに大きな声が飛び交う。
バンクバー冬季五輪のカーリング女子で
日本代表の「チーム青森」が奮闘している。
一発逆転の絶妙ショットが次々と放たれるから、目が離せない。
漬物石のようなストーンを40メートル先の
約直径3・7メートルの円中心目がけ滑らせる。
相手の石を円からはじき出したり、防御用に手前に置いたり。
「氷上のチェス」と呼ばれるが、おはじきやビー玉遊びを連想する。
15世紀にスコットランドで生まれたらしい。
冒頭の「ヤー」は「掃け」。「ウォー」は「掃くな」の合図という。
この掃き具合で、石の停止位置が変わるから必死なのだ。
カーリングでは技だけでなく、対戦相手を思いやることが大切とされ
その「カーリング精神」は選手宣言の決まり文句にもなっている。
相手のミスを喜ぶなどもってのほかだ。
競技の母国、対英国選で日本は好ショットを連発した。
最終エンドのプレーを放棄して英国は日本に握手を求めた。
潔いギブアップぶりは、さわやかで品格すら漂っていた。
(M.N)
転落事故
- 2010年2月22日 19:44
- M.N氏の岡目八目
何年か前、深夜の新幹線ホーム。
前を会社員ふうの男性が千鳥足で歩いていた。
ふらっとホームから落ちそうになったが
運よく持ち直し、事なしにすんだ。
肝を冷やしたのはこちらの方だが
もし転落していたら自分に何ができたろう。
先日、JR中央線高円寺駅ホーム。
酒に酔った女性が線路に転落。たまたまそばにいた
若き男性が線路に下り、着を失っていた女性を
レールの間に寝かせた直後、電車が通過。
男性の機転とわずか20センチのすき間のおかげで
女性は転落時の軽傷ですんだ。
二人とも無事だったが、一つ間違えば逆もあり得た。
レール上にあった女性の手足を
レールの間にそろえて安全を確保した時
電車は目前に迫っており、男性は機敏に
ホーム下の待避所に逃げた。
JR東日本の安全体制や駅員が
どう対応したかが気になったが、表彰は翌日で手早かった。
男性は、「考えて行動したのではなく、とっさに体が動いた。
自宅に帰って冷静になり、あらためて恐怖感がよみがえってきた」
と話した。
誰にでも起こりうるケースだが、誰もができることではない。
それなのにどこにでもいる普通の市民という印象で
テレビに映った笑顔もさわやかだった。
人知れず人を救ったり、道に迷い
何かにつまづいて困っている人にさっと手を差し伸べる人。
そんな心温まる人間になるよう、遠い昔の小中学校時代の先生
亡き父は教えてくれたのだが。反省している。
(M.N)
立松和平さん
- 2010年2月22日 15:41
- M.N氏の岡目八目
昭和期に行われた法隆寺大修理の際の話だが
屋根を支えたいた建材などは曲がって朽ちたように見えたが
数日で元の形に戻り、カンナで削ると品の良い香りがしたそうだ。
宮大工の棟梁・故西岡常一さんはヒノキの命について語っていた。
まな弟子の小川三夫さんは思ったそうだ。
約400年後に来る次の大修理では
「改修に使えるヒノキの大木が今のままでは国内にない」と。
法隆寺では正月に修生会(しゅしょえ)が行われる。
毎年参加する一人に作家の立松和平さんがいた。
小川さんと知り合って話を聞いた立松さんは
ヒノキの苗木を植えて不抜の森を作り
時代を超えて育ててもらおうと思い立たれた。
栃木県出身の立松さんは、1996年から足尾銅山跡で
地元の人と一緒にサクラなどを植樹してこられた。
銅山跡には今、緑が戻りつつあると聞く。
林野庁が動いて国有林を使った壮大な事業が
2002年に京都の鞍馬山でスタートした。
「古事の森」と名づけられた。法隆寺だけでなく
各地の伝統木造建築の改修で使うことを想定しているそうだ。
足尾での目標100万本を植えるには100年以上かかる。
そのころ「古事の森」ではヒノキが幹の太さを増しているだろう。
「木の景色を、木の文化を、みんな守って生きたいね」。
素朴な語り口を思い出す。先日62歳で亡くなられた。
(M.N)
バンクーバー冬季五輪
- 2010年2月18日 16:04
- M.N氏の岡目八目
身近に置いたり、身につけていたりすると、幸運をもたらすとされるマスコット。いまでは大きなイベントにはつきもののようになったから、記憶にはなかなか残らない。
五輪では東京や札幌のときはまだなかったように思うが、長野はフクロウの子どもをイメージした「スノーレッツ」だった。国内はまだしも外国での開催となると、五輪マスコットに関心のある人らを除けばまず覚えていないだろう。
バンクーバー冬季五輪。公式マスコットは3体あるそうだ。茶色のあごひげを持つ人間に似た動物の「クワッチ」をはじめ、いずれもカナダ先住民の神話や伝説に基づくという。
カナダは人口の8割近くを英仏など欧州系が占めるが、先住民のほか多くのアジア系も暮らす多民族国家。むろん、先住民は長く差別に苦しんできたし、言語や文化をめぐって根深い対立も続いてはいる。それでも看板の「多文化主義」は色あせていない。
史上初となる屋内の開会式だったが、そうした文化の多様性をアピールされた。考えてみれば、五輪は民族や文化などの違いを超えて世界の競技者が集う祭典。選手村などはちょっとした多文化共生の場といってよい。
日本人選手の活躍を期待するとともに、「よりよき、より平和な世界の建設への寄与」という五輪憲章の精神がバンクーバーの地でさらに深まってほしい。
友人のお嬢さんがカナダに永住されているが、久しぶりに喜ばしい、嬉しい毎日を迎えられると連絡があったそうだ。五輪中に得た多文化についてのお話を機会があったら伺いたいと願っている。
(M・N)
- Search
- Links