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スタッフブログ

ふすまの効用

住宅の洋風化が進み、ふすまや障子などの
日本家屋の建具が姿を消しているようだ。
ライフスタイルの変化で和室が減り
ふすまや障子を使う場所が少なくなっているからだ。

日本は「引く」文化だという。従来の日本家屋は壁のほかに
ふすまや障子など、引いて開ける建具で部屋を仕切ってきた。
障子は中国から伝わった言葉だが、
ふすまは日本人が名付けたもので、臥所(ふしど)(寝室)の仕切り用に
布を張ったついたてが原型だそうだ。

欧米は「押す」文化で、ドアは外側から室内方向に
押して開けるのが一般的だ。プライバシーを守るため
レンガや石材などを使った強固な壁で部屋を仕切り
中の音が漏れにくい構造となっている。

しかし、日本人は木と紙ででき、鍵もかからず、物音も筒抜けの
ふすまや障子を壁と同等の「隔て」として過ごしてきた。
こうした生活文化が日本人独特の人間関係や
相手を思いやる心を築いてきたのだろうと
哲学者の故和辻哲郎博士は指摘していられる。

例えば、ふすまが閉まっていれば「入ってほしくないのだな」と思い
中でひそひそ話の声がすれば、「聞かれたくないのだな」と察して
そばを離れる。ふすま文化の中で、他人の気配を常に感じ
気持ちを察し、細かい心配りをすることが
自然と訓練されてきたと言われる。

ふすまにこうした効用があったとは意外な気もするが
日本家屋の良さを見直すきっかけになればと思う。

(M.N)

万国博覧会

万国博覧会。輝くべき第1回開催地は1851年の英国・ロンドだった。
再びロンドンで開かれた1862年、福沢諭吉(1834-1901年)ら
36人の遺欧使節団がその大博覧会を見学、西洋の技術発展に
目を丸くしたようだ。

明治に入って日本の国是は富国強兵・殖産興業。
その成果を世界に示そうと1907年、日本は万博誘致を試みるが                      世界からは相手にもされなかった。歳月は流れて1970年。
念願かなって日本万国博覧会 (大阪万博)が開催したのは
その年の3月14日のことである。

「こんにちは こんにちは 桜の国で 1970年のこんにちは・・・」。
軽やかなテーマソングが日本中に流れた。
東京オリンピックの成功から6年、「人類の進歩と調和」をテーマにした
大阪万博はまさに高度経済成長を加速させた日本の
「大国入り宣言」でもあった。

大阪の千里丘陵に造成された約330万平方メートルの会場の中心に
岡本太郎(1911~96年)制作「太陽の塔」がそびえ立ち
117のパビリオンが展示を競った。
宇宙船のドッキング場面を展示した「ソ連(ロシア)餡」
月の石やアポロ2号の実物大模型を展示した{アメリカ餡}。
日本は「電力餡」「鉄鋼餡」「自動車餡」などで国力を誇示した。

5月1、大国・中国の勢いそのままに上海万博が開幕した。
テーマは「より良い都市」、より良い生活」。
北京五輪(2008年)に続く中国での国際イベント。
GDP(国内総生産)2ケタ成長など、日本が世界の大国の仲間入りをした
高度成長期とよく似た状況での開催である。

世界が目を見張る成長の反面、環境破壊や貧富の格差拡大など
負の側面を同時に抱え持った大国の真価が問われる                             万国博であると思う。
 
(M.N)

映画界の天才

北野武さんが仏芸術文化勲章の
最高章コマンドールを受賞された。
いまや国際的な映画監督の評価を得るが
やはり「ピートたけしさん」の方がしっくりくる。
つくづく感じるのはこの人の生きざまだ。
常にエネルギーにあふれている。
 
80年代の伝説のテレビ番組
「おれたちひょうきん族」を思い出した。
当時お笑い会の頂点に君臨したドリフターズの
「8時だよ!全員集合」の裏番組を張り、ついに人気で逆転した。
明石家さんまさんや島田紳助さん、山田邦子さんらが
レギュラーで革命的な面白さだった。

北野さんは1947(昭和22)年
東京・下町生まれの団塊世代。
教育熱心な母親の下で大学に進むが
ストリップ劇場「浅草フランス座」で芸人生活を始め
89年「その男、凶暴につき」で映画監督に。
97年の[HANA-B1」でベネチア映画祭の最高賞を獲得された。
 
週刊誌の編集室で騒動を起こしたり
派手な交通事故で批判を浴びたこともあった。だが
人は失敗して前進することを証明するかのようで感嘆する。
パリでは北野さんの映画上映会や絵画展も始まったとのこと。
つい愚痴っぽく後ろを振り返っても、人生という時計の針は走り続け
待ってはくれない。

(M.N)

歌舞伎座

歌舞伎で主演役者が登場することを「出」といいます。
舞台を歩く単純な演技に、芸が凝縮されています。
この歩く芸を楽しめる作品の一つが
助六由縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)だ。
桜が咲き乱れる吉原。
遊郭の三浦屋へ向かう男伊達(おとこだて)の助六が
花道から登場する。白血病を克服した市川団十郎さんが
東京の歌舞伎座で熱演されている。

その歌舞伎座が老朽化のため建て替えられることになり
今月28日まで「さよなら公演」が行われている。
人間国宝を含む人気俳優のそろい踏みがファンをうならせる。
「助六」はそうした名演目の一つだ。

初代の歌舞伎座は明治半ばの1889年に開場した。
現在の建物は4代目で、太平洋戦争時の空襲によって焼失した
3代目の構造の一部を使って再建されたそうだ。
唐破風(からはふ)と呼ばれる丸い山形屋根の玄関が特徴で
国の登録有形文化財でもある。

蛍光灯を採用したため場内が前より明るくなり
戦前と戦後の「時代の明暗」を感じた、と
演劇評論家の渡辺保さんが書いていらっしゃる。
再開の年には「源氏物語」が初上演され、大反響を呼んだという。
伝統芸を引き継ぎながら
絶えず新しい要素を取り入れてきたのが歌舞伎だと思う。

新歌舞伎座は29階建ての高層ビルに生まれ変わって
3年後に完成すると聞く。
瓦屋根などを再利用し、今の外観は継承されるそうだ。
伝統文化の情報を世界に発信する拠点機能も備えるそうだ。
そこでどのような芸が育つのか
新しい歌舞伎座の「出」を楽しみに待ちたい。

(M.N)

あいさつ

4月に入ってから、いろんな機会に
「あいさつをしましょう」という呼び掛けを耳にした。
保育園の入園式で小さな子どもたちに語りかける園長さん。
小学校の入学式では校長が元気いっぱいのあいさつを
今年度の目標にした。

同じことが新入社員を対象にした研修会でも
社会人の基本として取り上げられていた。
小さいころから言われてきているはずなのに
簡単なようでなかなか身に付かないようだ。

新人研修の講師が「あいさつの角度は心の角度」と教えていた。
相手に伝わるおじぎの角度は会釈なら15度、敬礼なら30度
最敬礼は45度、謝罪するなら気持ちを伝えるために
90度ぐらいが必要になるという。

もちろん一つの目安だろうが、ビジネスの世界では
必要な知識なのかもしれない。
本人があいさつをしているつもりでも、きちんと伝わらなければ
「あいさつもろくにできぬやつ」ととられてしまうからだ。

新入社員を迎えたばかりの職場では
毎朝、気持ちの良い声が響いていることだろう。
返すあいさつも自然に大きな声になり
職場が明るい雰囲気になっているはずだ。
だがこれがなかなか長続きしない。

あいさつは、その4文字をもじって
「明るく」「いつでも」「先に」「続ける」が大事といわれる。
職場を明るくするフレッシュな風を止めてしまうのが
先輩社員にならないように、年度の始まりに
ベテラン社員も基本に立ち返ってみたらどうだろうか。

(M.N)

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