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スタッフブログ

扇風機

夕顔。ひまわり。ふうりん草。松風。
昭和30年、40年代は草花の名を打った扇風機が多かった。
羽根は明るい若葉色や薄青色が主流だった。
とにかく「涼を感じて」という心意気がにじんでいた。

エアコン全盛期でも、しぶとく生き残る身近な生活家電だ。
いま、目の前でも小型の卓上扇が風をくれている。
近ごろは黒や白、銀の無彩色が好まれるようだ。
寒色系よりも冷たく感じるから不思議だ。
人の趣向は変わるものだ。

むしろ戦前は黒一色だった。はやりの呼び名は「電気扉」。
1927年の業界団体の冊子に、そう呼ばないと時代遅れだとまで
言わしめている。(大西正行「生活家電入門」技報堂出版)

江戸時代には手車で数枚のうちわを回転させるカラクリがあったらしい。
隔世の感があるのは、話題の羽根のない扇風機だ。
ぬれた手を温風で乾かすエアタオルと同じ原理を用い、
圧力差で回りの空気を集めて風を送り出す仕組みらしい。

リング型の奇抜なデザインだ。扇のない姿を扇風機と呼べるのかは別として、
固定観念を覆す発想は、ぜひ政治も見習いところ。
ねじれを生かす知恵を絞りきれないまま臨時国会は閉じた。
確かに熱いが、空気はよどむ。まさに風死す印象だ。

(M.N)

スイカ

赤いスイカが食卓にあると「日本の夏」を実感する。
冷やしたものに塩を振ってほおばれば暑さも忘れる。
冷やすほど甘みが増すというから、まさに夏にぴったりである。

スイカは「夏の果物の王様」といわれている。
買うときは指でたたいて、その音の響きで熟れ具合を見る。
音が鈍いようだと熟れすぎとされる。
スイカに対しては、こうした認識を持っている人が
多いのではなかろうか。

ただ、スイカが果物かというと、そうでもないようだ。
農林水産省のホームページによると、生産や出荷の
統計をとる上でスイカを野菜に分類している。
果実的な利用をすることから「果実的野菜」として扱っているという。
 
では、野菜と果物をどう分類するのか。
一般的には、田畑で栽培、副食物、草本姓といった特性を持つ
植物を野菜としている。だが、はっきりした定義はないという。
ちなみに、イチゴやメロンも「果実的野菜」である。

さて、スイカのうんちくはこれぐらいにして立秋も過ぎた。
暦の上では秋の始まりだ。暦の上とはいえ、
不思議なことに秋という文字をパソコンで打つだけで、その気分になる。

だが、現実の世界はうだるような暑さが続いている。
こまめに水分補給しないと熱中症にもなりかねない。
秋とは名ばかり。しばらくは「夏の果物の王様」のお世話になりそうだ。

(M.N)
 

古刹巡り

歴史好きの「歴女」や、著名人のお墓を訪ね歩く
「墓萌(も)え」などの造語が、ここ数年の若い女性を
中心としたブームを象徴している。
古刹(こさつ)巡りや仏像のファンも増えているようだ。
特集を組む雑誌、本が書店でも目立つ。
 
先日、都内で開催中の仏教美術を紹介する二つの展覧会に行ってみた。
どちらも女性が特別多いというわけではないが、
幅広い年齢層でにぎわっていた。
仏像のどこに人々は引きつけられるのだろうか。

根津美術館(南青山)は「いのりのかたち」展。
重要文化財の「金剛界八十一尊曼荼羅(まんだら)をはじめとする
密教絵画や来迎図、説話画などが、ホールや庭園の石仏群とともに
崇高な美の空間を構成していた。
 
三井記念美術館(日本橋)の「奈良の古寺と仏像」は、
平城遷都1300年を記念した特別展。
飛鳥から室町時代の仏像、仏教工芸品の名品が一堂に集まり、
その織細な造形美に魅了された。

いずれの展示も、信仰によってはぐくまれてきた美の世界が
重厚な存在感を見せる。
現世では煩悩や物欲に無縁というわけにもいかず、将来は不安だらけ。
現実社会を離れ、自分自身を静かに見つめ直すよい機会だった。

仏像や仏画の前に立てば、そこには穏やかなまなざしとともに、
戒め、教え導く厳格な表情だ。
信仰の対象としても、そうでない人にとっても、
何か新しい発見があるように思う。
父から、仏像はまなざしを見るよう何十年前教わったことを思い出した。 

(M.N)

 

熱中症

「帽子をかぶっていないと、日射病になるぞ」。
夏になると、こんなふうに、大人たちから注意されたことだった。
炎天下、麦わら帽子にランニングシャツ、網を手にセミを取り、
トンボを追った日を思い出す。
 
年配者になじみ深い日射病に代わるように、
1990年代から広く使われ始めたのが熱中症だ。
屋外だけでなく、室内でも起こり得る。
全年齢で発症するが、高齢者が重篤になりやすい。
日射病では病態を誤解されかねない。そんなことが理由という。
 
熱中症が気温の上昇と比例するのは言うまでもない。
記録的な猛暑に見舞われた2003年のフランスでは、
死者がが高齢者を中心に1万人に達した。
わが国でも、やはり猛暑だった07年に900人を超す人が
熱中症で亡くなっている。しかも8割が60歳以上だ。
 
高齢社会に追い打ちをかけるような地球温暖化である。
このままだと、今世紀には熱中症の死亡リスクが
4倍近くに上昇するという予測もある。こども時代と重なる、
かっての日射病イメージは消した方がよさそうだ。

今夏も梅雨明けと同時に、各地で猛暑日を記録するなど
水銀柱はうなぎ上り。
畑仕事のお年寄りら熱中症による死者も報道されている。
海へ山へ若者たちには待ちに待った夏も、
高齢者にはいささか過酷だ。

日差しのきつい日中は水分を十分とって室内で涼しく過ごす。
今年はそんな夏になりそうである。

(M.N)

チャーチル

英国の政治家チャーチルは「一晩で考えを変える人だった」
軍拡競争を批判したが、戦争不可避を鋭く感じ取ると一変。
海軍大臣に就き軍備増強を始め、
軍艦の燃料を石炭から石油に変えた。
速度が出るからだ。

石油の安定供給に遠い時代。冒険もあったが、
可能になれば海軍力は増す。
大国が植民地支配を競い合う第一次大戦前夜、
チャーチルにはこれを「支配権は冒険に対する褒美」と表現した。

その供給を英国から一手に引き受けたのがいまのBP社、
メキシコ湾で原油流出事故を起こした国際石油資本だ。

事故から3カ月、密閉バルブを取り付けて流出がやっと止まった。
推計で7億リットルが流れ出た。
それまでの最大規模はアラスカでのタンカー事故で
約4千万リットル。膨大さが分かる。
環境への深刻な影響もどんどん明らかになろう。

第一次大戦中、フランスのクレマンソー首相は米大統領あてに
「石油の一滴は血の一滴」と打電し、石油供給を求めた。
国家の血流にも例えられる石油は、陸上でも、浅い海でも掘り尽くし、
今は深海で掘る。今回は海底1500メートル。

何かあれば”冒険の褒美”どころか、
冒険の代償となり、環境破壊にもつながりかねない。
チャーチルのように一晩ではとはいかないが、環境負荷の少ない
新エネルギーをそろそろ真剣に考えなければ。

先日、ジェクト社長のブログでチャーチルの広大な屋敷を知ったが、
スケールの大きな人物だったんだなあと久々に感慨無量。

(M.N)

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